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婚活歴20年……心の折れない婚活
【20代編】私が婚活を始めたのは20代後半だったと思う。もはや独身歴から考えると20年近く婚活をしていて、決して成功しているわけではない。それでも、失敗談がどなたかの同志を励まし、慰めることもあろうと、自分自身の自戒も込めてここに書き始めたものである。
最初に始めたのは婚活パーティや特定の職業に特化した婚活サイトを通じてだ。
婚活パーティで初めてマッチングした人は、大手企業のエリートサラリーマ
コロナ禍の東京を逃げ出して半年
私が持病の心臓病とコロナパニックでシフトがぐちゃぐちゃになって、過労と咳喘息で過疎の町である故郷に戻ってから半年。
予想通り、東京は今、とてもひどい状態となっている。あの時、帰郷を決意してなかったら、漏れなくひとり暮らしの部屋で感染して、自宅療養中にポックリは間違いなかっただろう。
しかし、故郷である過疎の町の暮らしが快適かと言えば、物価は東京なみに高いし、仕事の給料は東京の半分で、かかりつけ
ねばーえんでぃんグソォとーりー
7月28日、29日、30日と某町で健診・検診業務があった。1日がかりの仕事であったため、ベーン(便)は
「愛する君の都合に合わせるよ」
と、3日間、音沙汰がなかった。
そして、7月31日の朝5時にベーンは私を叩き起こした。
「きのっぴ。もうダメだ。出てもいいかい」
そして、私の一人きりのネバーエンディングストーリーが始まった。
最初は風呂の栓みたいなバカでかいヤツがいて、私は自分の腹肉
21日から23日までのひとり旅(3日目)
実家エリアに戻ってきたはいいが、どうしてもそのまま家に帰りたくなくて、展望台でまたひと眠りした。バケツをひっくり返したみたいな雨が降った。朝起きると、二日酔いで死にそうになっているのにお茶がない。自販機もない。急いで山を下りて、講演でいろはすの桃味を買った。
うめぇええええええええええええええええええええ
身体がそう叫んでいた。黄色い胃液まで吐きかけていたのに、この神の水は一体何者がもたらした
21日から23日までのひとり旅(2日め)
目が覚めると、そこは全然知らない路肩で、車がぶんぶん走る音で気づいた。明らかに寝ていい場所じゃない。直射日光も半端じゃない。とにかく、朝ごはんを食べて、出発しなくては!
そう思って、最後のでか握り飯を口に放り込んでいた時であった。
「う〇こがしたい!」
それは、予断を許さない全身を突き上げるような衝動であった。
眠っていた体が朝ごはんで目を覚ますなんて、キャンプでもしてりゃ映えるんだろうけ
21日から23日までのひとり旅(1日め)
認知機能の衰えた母75歳に、なくしたものは娘に全部盗まれただの,、やれ飯がまずいだの、家事のやり方が気に食わないだの、帰郷して半年近くもなると、20人以上も一人暮らししてきた人間が親と暮らすってマジで拷問なんだなあって思ったよ。
職場の人になにげなく、相談してみた。「母親、うるさくない?」と聞いたら、
「私、家では、〈うん〉、か、〈はぁ〉、か、〈へえ〉しか言わないから」
って言っていた。この
親不孝という名の親孝行
5年患った心臓病のおかげで、母が父の葬式費用に貯めておいた貯金もなくなった。
父の葬式費用を私が返済するまで、死んでは駄目だと父に言った。
父は余裕の笑みで100歳まで生きる
と言っていた。あと20年あればなんとか返せるだろう。親不孝行者の自分のできることは、サッサと金を貯めることだ。
お菓子も酒もみんなやめた。
もう父には時間がない。長い間、半身不随だった為に肉が腐り、掻きむしると身
40歳の思春期(2016年8月5日)
40歳。
それはとても残酷な年齢のように思える。ようやく20、30代で確立した自分の生き方や価値観を、体の老いに伴って手放して、新しい生き方を模索しなければならない頃だからだ。
あるいは、もうすでに一度は夢をかなえた成功体験も積んでいる人もいるだろう。
それゆえに、もう若いときのようにがむしゃらに1つの事だけ打ち込みさえすれば満足することがなく、代わりにバランスよくいろんなものが見えてきて、自
本当に欲しかったもの(2016年8月17日)
2016年に電撃結婚するとツイッターで公表してしまった私。
気付くと8月に入っており、そろそろ出会う気配すらない毎日に焦り始める。
8月はこれで最後にしようと思って8月最初の週にお見合いパーティに行く予約を入れた。
その晩、夢を見た。犬にキスされる夢だ。その犬は人間みたいに大きな犬で、犬臭かった。
「なあ、きの、キスしてくれよ」
とその犬は言って、自分からキスしてきたのである。
夢占い
暗示と失恋(2016年10月4日)
8月に暗示的な恋愛の終わる夢を見てから1か月近く。
驚くほど私たちは空回りをし始めた。
心がちっとも通いあわない。セックスと食事だけが彼との全て。
彼は話を聞くふりとして、ちっとも内容を理解しておらず。
私は8月の予知夢を無視して、自分の見たいものだけを見ようとした。
自分の考えは心配性な自分の杞憂に過ぎないのだと思いたかった。
9月に実家に帰省をしたときに、私は夢を見た。
ご先祖を名乗る人