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抜擢人事の意図を理解、納得する

松下幸之助 一日一話
12月 7日 抜擢人事には介添えを

先輩が多くいるにもかかわらず、その後輩の若い人を抜擢して上のポストにつけるという場合があります。そういう場合には、単に辞令を渡して“今度A君が課長になった”と発表するだけでは具合が悪いと思います。そんな場合には社長が、その課の一番古い先輩に、課員を代表して「われわれは課長の命に従い頑張ります」というような宣誓をさせるなりなんなりして、はっきりけじめをつけさせることが必要です。それをしないでいると、変なわだかまりがくすぶり、課全体が困ることにもなります。

抜擢人事には、そのように、社長が適切な介添えをすることが、非常に大事だと私は思います。

https://www.panasonic.com/jp/corporate/history/founders-quotes.html より

仮にあなたが勤続20年、現在42歳のミドル世代。課長補佐として、既に課内では一番の古株になっていたとします。順番的にも、次は「あなたが課長になるだろう」と周囲の後輩たちから囁かれていたとします。そこに、突然社長からの辞令が下され、自分よりも8歳年下の係長である後輩A君が「課長」に任命される抜擢人事が行われたとします。後輩のA君が新入社員当時、30歳であったあなたは主任としてA君を指導していました。

あなたはこのような状況下で、課長に抜擢されたA君に対して課員を代表して「われわれは課長の命に従い頑張ります」というような宣誓をすることが出来るでしょうか。例え素直な心であることを心掛けていたとしても、嫉妬心が生じてしまい難しい行動であると言えるのではないでしょうか。現状の充実した転職市場があることを考えますと、転職という選択肢が頭を過る人も多いのではないでしょうか。

転職をするかしないかの決め手は、抜擢人事をした上でけじめをつける松下翁の意図がどこにあるのかを理解し、納得出来るか否かが重要になります。

先ず、抜擢人事においてはその背景に「適材適所こそが面白く仕事し労働生産性を高め企業を強くする上で欠かせない」という考えがあることが伺えます。松下翁は以下のように述べています。

 私どもは、どうすればみんなが面白く仕事をやっていけるか、いわゆる適材適所に立って仕事ができるかということを考えないといけない。ある集団とある集団を比べてみますと、ある集団はおおむね適材適所に立っている、しかしある集団はそれに反して適材適所に立っておらないという場合には、大きな差が出てきます。そうでありますから、多くの従業員の方々にできるかぎり適材適所に立って、面白く仕事をしていただく、そういうことが会社経営の大きな問題やないかと思うんです。

 そういう大きな問題は、経営者の立場にある者が考えることは当然ですが、しかし、ひとり経営者にのみそれを要望しても、私はこれはいかんと思います。経営者も考えますが、皆さんもみずからそういうことを考えて、親切な意味で提案をされなくてはならない。親切な意味でそれを要望されなくてはならない。そしてみんなの力で、なるべくみんなが適材適所に立ちやすいようにやっていく。

 自分は課長職をやっているが、課長職よりも課員としてやったほうが自分は生きるなという場合も、私はあろうと思うんです。そういう場合には、「自分は課長の仕事をしているけれども、どうも課長の仕事は自分には適所でないと思う。適職でないように思う。だから課長を辞めたい。平社員としてやったら、ぼくは働くんだ、また働けると思う」と、そういうことを提案なさる必要があると思います。

 しかし、日本では、そういうことはあまりないんですね。これはほんとうに仕事と取り組んでいるかどうか、仕事そのものを理解し、その仕事に尊さを感じているかどうかによって、そういうことが起こってくると思うんですね。

 日本の会社なり官庁の仕組みは、給料の高さは職階によって決まると、こういうことにおおむねなっております。この方に十万円の月給をあげたい、またあげなならん、しかし平社員ではあげられない、課長にしないことにはあげられない、それなら課長にしないといかんと、こういう傾向ですね。

 課長にしなくても、平社員においておいたほうがかえって間に合う人、かえって仕事ができて喜びを感ずる人は、その姿において待遇しないといかんと思うんです。しかし、日本ではそういうことができない。だからわざわざ課長にする。その人は非常に困る。こういうことがアメリカと日本とを比べますと、日本のほうがたいへん多いと思うんです。

 まあ、私の体験を申しますと、今まで何千人という人が、この五十年のあいだに課長になってこられましたけど、「課長になってください」と言うて、断わられたことはありません。「それは社長、困ります」「なんで困るのか」「私を課長にするとはけしからん。私は今の仕事がいちばんいいんですよ。課長には、課長になるような適材が他にあるではありませんか」と言われた人は一人もないんです。「課長になってやってください」「どうもありがとうございます。大いにやりましょう」と言う人が全部です。私はいつか、松下電器でも、また日本の各方面でも、そういうことがたびたび起こってくるようにならないといかんと思います。そうなってきて初めて適材適所になってくると思うんです。
(松下幸之助著「人生と仕事について知っておいてほしいこと」)

つまりは、日本の組織においては、月給を上げるために役職を与えるという旧態依然のシステムが未だに多く残っていますが、役職とは月給を上げるためのものではなく、組織の大黒柱を増やしていくために行っていくものであり、仮に役職がなくてもそれなりの成果がある社員には相応の給与がプラスされることが望ましいということです。

具体的には、抜擢人事をされた後輩の課長A君よりも、その業務経験が長く業務に精通しているあなたの月給の方が場合によっては高くなるケースも充分あり得るということです。

更に、松下翁は「功ある人には禄を与える」として以下のように述べています。

 実際に一つの部署がうまくいくかどうかは、その会社の力にもよるが、その部署の長、個人の力によるところが大きい。今までうまくいかなかった部の責任者をかえると、見ちがえるようになる場合がある。しかし適材適所に人を配置するということは、口でいうのは易しいが、実はなかなかむつかしい問題である。私はこの人はどうかな、と多少心配である場合でも、今のところこの人しかいない、この人に一度やってもらおう、きっとできるだろうと思ってやってもらったことが、案外成功した場合が多い。人間の力では60%ぐらいは判断してわかるであろうが、あとの40%というものは、やってみなければわからぬものである。

 これは人間に関する話であるが、この60%の可能性ということは、他の場合にもあてはまると思う。60%という点数は一応及第点である。いろいろの観点から集まった点数が60%になれば、事は決定してさしつかえないと思う。しかし重要なのはこの六○%は、いいかげんな60%ではいけないことである。まちがいのない確実な60%でなければならない。この方法で人を抜てきすると、その会社の成績は非常に変わってくると思う。ところが、外国ではこの方法できわめて簡単にやっているのに、日本の会社では非常にやりにくい実情にある。それは日本の国民性というか、一つの習慣である。そこに日本産業の一つの弱点があると思う。
(松下幸之助著「物の見方考え方」)

加えて、松下翁は抜擢人事によって役職を与えた人に求める責任について以下のように述べています。

…西郷隆盛が次のような遺訓をのこしている。
「国に功労がある人には禄を与えよ。功労あるからといって地位を与えてはならない。地位を与えるには、おのずと地位を与えるにふさわしい見識がなければならない。功労があるからといって、見識のないものに地位を与えるということは国家崩壊のもととなる」と。
 これは国のことではあるが、事業経営についても同じことがいえる。あの人は会社に大きな功労がある、だから重役にしようということになり勝ちであるが、この点は十分に注意せねばならぬことである。功労ある人には禄をもってこれに報いる。会社でいえば、賞をもって報いる。そして地位は、それにふさわしい見識ある人をあてるということになる。しかし実際にはなかなかそのとおりには行なわれない。それがアメリカだと、取締役の任期は大体一年であるので割に合理的に重役改選が行なわれるが、日本では四年なので、どうも合理的に処理できないことが多い。この重役は変えるべきだとみなが知っておりながら実行できないのが実情である。

 重役にかぎらず、会社を伸ばしていくには人の配置転換が重要である。会社内部の部署の入れ替えをしないと、どうしても沈滞の空気がみなぎる。えてして人を替えるのは、その部署の成績がわるくて、だれか他に人はないかといって替える場合が多いものだが、それではおそいと思う。後手にまわってしまう。その人のうまい使い方は経営者の意思一つできまる。だれが悪いとかだれがいいとかいっても、やはり結局は経営者の責任である。だから私は仕事がうまくいかなくとも、その人を格下げするということはつとめて避けてきたが、それだけに一つの部署の責任者、それが部長であっても課長であっても、その人の責任の自覚をつねに強調しているのである。
(松下幸之助著「物の見方考え方」)

上記における松下翁のお話を鑑みるならば、松下翁の意図するところが理解、納得でき、あなたの転職に対する選択肢はなくなるだけではなく、課長の後輩A君に宣誓をし、自分にとっての適材適所において、むしろ今まで以上に最善を尽くし、会社や社会に貢献していこうという気持ちになるのではないかと私は考えます。


中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI 日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp

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