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彼女は安楽死を選んだ

2019年6月2日(日) 放送のNHKスペシャルでは、3年前に体の機能が失われる神経難病である多系統萎縮症の告知を受けたミナさんの最後の選択についての姿が放送されていました。将来の自分の姿は「言葉を失い意思表示すらできない胃瘻と人工呼吸器を必要とする姿」。未来にあるのは、ワクワクした希望ではなく、これまで以上の忍耐や苦痛が求められる絶望に近い不安や恐怖心。自死を試みるが既に自死をする力も失い未遂に終わる。唯一残る希望は、「安楽死」という選択。4姉妹の3女であるミナさんの安楽死について、長女と次女は悩み続けながらもミナさんの尊厳を尊重し協力の意思を示すが、4女は尊厳のあり方を考え直して貰いたいと反対。生前のミナさんの願いでもあった安楽死について、日本のみんなの一人として私も考えたいと思います。


以下、番組内でのミナさんの言葉です。

確実に私が私らしくなくなるんですよ
それが怖かった
時々食事を与えられ 時々おむつを替えてもらい
果たしてそういうふうな日々を
毎日過ごしていて
それでも生の喜びを感じているのか
生きていたいと思っているのか
自問自答するわけです
自分で死を選ぶことができるということは
どうやって生きるかということを選択することと
同じくらい大事なことだと思うんです。
私の願いでもあるんですよ。
安楽死をみんな(日本)で考えることは・・・
「私が寝たきりで天井をずっと見つめてても、苦しがっている様子を見ても、生きてて欲しいって言いますか?」
自分はいずれ寝たきりになって
今度はおしめを替えてくれても
「ありがとう」も「ごめんね」も
ろくに言えなくなる
人にしてもらって
「ありがとう」が言えなくなる人の気持ち
考えたことある
(姉に向けられた言葉より)
人間なんていつ死んでも
今じゃないような気がするの
私だって今じゃないかもしれない
気持ちは無きにしもあらずよ
最後は2人に一緒にいてもらえて、本当に幸せ ありがとう
心から感謝してる

最後にこんなに見守られるなんて
想定外 ほんと
そんなに体つらくなかったよ
病院にいつも来てくれたから
すごく幸せだった
(ミナさんの最後の言葉)

結論から申し上げるならば、私はミナさんやミナさんのお姉さんたちの選択を支持します。

ミナさんは生き続けることへの執着が全くなかった訳ではないでしょう。しかし、生き続ける選択をすることは自分だけではなく家族たちに齎される苦痛や苦労があり、更には死ねないことによる不安感が死への恐怖心をより一層高めていくことが予測できます。他方で、今ならば笑顔で感謝の言葉を伝え主体性を保ちながら自らで死を選択できる状況があります。
ANDの選択が失われた状態で、ORのトレードオフの選択。

中にはANDの選択が失われた状態と考えるのは早計であり、未来は決して定まったものではなく、変わるもの、変えるものであると考える人もいることでしょう。つまりは、医療やテクノロジーの急速な進化発展により、数年前まで治らないと言われていた病気が治るようになってきている現実が目の前にはあります。しかしそれは、自分の将来を他人や外因に起因する僅か数%の不確実な未来に委ねることであり、主体性=尊厳と考える人にとっては、尊厳が失われてしまうことを意味しています。

他方で、安楽死ではないORの選択である生き続けるという選択をしたならば、症例の少ない多系統萎縮症に関するサンプル数やデータ数を増やすことになり、研究者たちが失われていたANDの選択肢を生み出すことに繋がる可能性もあります。つまりは、自分が生き続けることが、数年後に同じ病気になった人たちにとっての希望となる可能性もあります。

また、安楽死の選択は難病の発症年齢によるところも大きいのではないかと私は考えます。例えば、同じ多系統萎縮症であったとしても、40代で発症したケースと70代で発症したケースでの選択は異なるはずです。体に自由がきいていた40代での発症では、体の自由度が急激に奪われることなります。他方で、70代での発症では、体の自由度の減少幅は小さくなります。


翻って昨年、2018年3月18日付PRESIDENT Onlineでは、日本における安楽死のケースとして実際に安楽死を行った一人の医師の行動に対する是非が問われていました。

20年来の友人を安楽死させた名医の告白 穏やかに逝かせるための苦渋の決断

( https://president.jp/articles/-/24609 )

via 小さな集落で尊敬を集める「院長先生」が、患者を「安楽死」させたとして、殺人容疑で逮捕される。1996年に京北町(現・京都市右京区)で起きた事件は、全国に衝撃を与えた。なぜ院長は筋弛緩剤を投与したのか。ジャーナリストの宮下洋一氏が、元院長に会い、21年前の真意を聞いた――。…

私は上記の記事に対して、次のように考えました。

トロッコ問題に並ぶ難しさがあります。そして絶対的な解はありません。しかし、エンディングノートを残すことなどで解を近似値へ導くことは可能です。日本人の多くは、自らの倫理観に従って行動する訳ではなく、恐らく「何も出来ない、何もしない」というのが事実でしょう。その後は自らに「何も出来なかった、何もしなかった」という認知的不協和が生じ、結果として自らの行動を自己正当化へ導くような解答が正しいとするのではないでしょうか。


改めて、ミナさんが安楽死を決行したスイスにおける「安楽死に必要な主要条件」をみてみますと

・耐え難い苦痛がある
・明確な意思表示ができる
・回復の見込みがない
・治療の代替手段がない

更に、安楽死をサポートしたスイスの医師は次のように言っています。

自分が死にたいからといって
家族を傷つけてはいけません
大切なのは本人がきちんと別れを言い
家族が本人の気持ちを尊重することです

仮に、自死を試みた場合ですと本人がきちんと別れを言うこともなく家族を傷つけ苦しめることになります。一人の死が齎す意味や影響というものを考えますと、安楽死という選択は家族に辛い選択を与えるだけではないという側面があることも見て取れます。


西洋では安楽死に対する一定の理解があり環境も整備されていますが、その要因として日本との倫理観の違いによるところが大きいのでしょう。日本を含めた東洋における倫理観と、欧米を含めた西洋における倫理観は抜本的にその成り立ちを異にするところがあります。東洋においては、人は何ものかに生かされている存在であり、大自然の中の一部でしかなく、大自然を敬い自然と共に生きてきました。所謂、アニミズムをベースに倫理観が構成されています。

他方で、西洋においては、人間こそが一番尊い存在であり自然をも支配出来ると考えるヒューマニズムを基に成り立っています。東洋では神様が形を持たない大自然であったり、人間とは異なる容姿を持つことが多いですが、西洋では神様も人間の姿をされていることが多いのはその証です。

日本においては、人間は生かされている存在ですから、自らで死を選ぶことは選択肢にすらありません。


最後に、哲学者であり国民教育の師父と謳われた森信三先生の死生観というものをいくつか参考に挙げさせて頂きます。

念々死を覚悟してはじめて真の生となる。 自銘 学者にあらず 宗教家にあらず はたまた教育者にもあらず ただ宿縁に導かれて 国民教育の友としてこの世の「生」を終えん (終戦後帰還間なき日に)
「真に徹して生きる」
人生はしばしば申すように、二度と再び繰り返し得ないものであります。したがってまた死・生の悟りと言っても、結局はこの許された地上の生活を、真に徹して生きるということの外ないでしょう。
「安んじてこの世を去る」
この世にある間は、自分の全力を挙げてこの世の務めを尽くす。これやがて、安んじてこの世を去る唯一の秘訣でありましょう。いざという時に心残りのない道、これ真に安んじて死に得る唯一の道であります。
「真実はいつか輝き出す」
世の中ほど正直なものはない。ほんとうの真実というものは、必ずいつかは輝き出すものだと思うのです。ただそれがいつ現れ出すか、三年、五年にして現れるか、それとも十年、二十年たって初めて輝き出すか、それとも生前において輝くか、ないしは死後に至って初めて輝くかの相違があるだけです。人間も自分の肉体が白骨と化し去った後、せめて多少でも生前の真実の余光の輝き出すことを念じるくらいでなければ、現在眼前の一言一行についても、真に自己を磨こうという気持ちにはなりにくいものかと思うのです。
「人生の正味は三十年」
実は人生の正味というものは、まず三十年くらいのものです。実際人間も三十年という歳月を、真に充実して生きたならば、それでまず一応満足して死ねるのではないかと思うのです。
「一日の終わり、人生の終わり」
われわれが夜寝るということは、つまり、日々人生の終わりを経験しつつあるわけです。一日に終わりがあるということは、実は日々「これでもか、これでもか」と、死の覚悟が促されているわけです。しかるに凡人の悲しさには、お互いにそうとも気付かないで、一生をうかうかと過ごしておいて、さて人生の晩年に至って、いかに歎き悲しんでみたところで、今さらどうしようもないのです。人間も五十をすぎてから、自分の余生の送り方について迷っているようでは、悲惨と言うてもまだ足りません。
「人間の本懐」
われわれの学問の目的は、「国家のためどれだけ真にお役に立つ人間になれるか」ということです。どれほど深く、またどれほど永く・・・。人間も自分の肉体の死後、なお多少でも国家のお役に立つことができたら、まずは人間と生まれてきた本懐というものでしょう。
「死への心構え」 
われわれ人間は、死というものの意味を考え、死に対して自分の心の腰が決まってきた時、そこに初めてその人の真の人生は出発すると思う。
「満足できる生き方」
諸君らの中には、「どんなに努力したって、この世に心残りがないというわけにはいかないだろう」と思う人もありましょう。確かにそれも一面の真理だとは思います。しかしまた他の一面、人は生前、自分の全力を出し切って生きれば、死に臨んでも、「まああれだけやったんだから、まずこの辺で満足する外あるまい」という心にもなろうかと思うのです。
「不滅なる精神」
われわれ人間は、その人の願いにして真に真実であるならば、仮にその人の肉体が生きている間には実現せられなくても、必ずやその死後に至って、実現せられるものであります。否、その志が深くて大きければ、それだけその実現には時を要して、多くはその肉体の死してのち、初めてその実現の緒(ちょ)につくと言ってもよいでしょう。そしてこれがいわゆる「不滅なる精神」、または「精神の不滅」と呼ばれるものであります。
「偉人は死して実を結ぶ」
人間もほんとうに花の開き出すのは、まず四十くらいからです。そしてそれが実を結ぶのは、どうしても六十辺でしょう。ところが偉人になると、実の結ぶのは、その人の肉体が消え失せた後ですから、大したものですね。
「生命を慈しむ」
私達が、自分の生命に対して、真に深い愛惜の念を持ち得ないのは、自分の周囲に無数の人々の生死を見ていながら、しかもそれをわが身の上に思い返さないからです。さらに一歩をすすめて申せば、わが身が人間として生をこの世にうけたことに対して、真の感謝の念を持たないからでしょう。
「死に際は修養の結晶」
人間も死に際が悪いと、その人の一生を台なしにしますが、しかし死に際のいかんは、その人の生涯を貫く心の修養の結晶であり、その結実と言ってよいでしょう。それ故お互い人間は、平素から常に最後の場合の覚悟を固めて置かなければならぬと思うのです。
「偉大なる信念」
もしその人にして真に偉大だったとしたら、その人は必ずや偉大な信念の所有者であり、そして偉大な信念に基づく言行は、必ずや何らかの形態において、死後に残るはずであります。
「感動が進歩の源になる」
情熱というものは、まず物に感じるという形をとって現れるもののようです。したがって感激とか感動とかいうものは、その人の魂が死んでいない何よりの証拠です。ですからわれわれ人間は、感激や感動のできる間は、まだその人は進歩する可能性を持っていると言ってもよいでしょう。
「誠によって貫く」
人間の真価が、本当に認められるのは、その人の死後に相違ないですが、しかもその真価は、死後にあるのではなくて、実に生前の生活そのものにあることを忘れてはならぬのです。結局一口に申せば、その人の一生が、いかほど誠によって貫かれたか否かの問題でしょう。
「死後に名が残る人」
死後にその名が残るということは、その人の精神が残るということです。では一体どういう人が死後にもその名が残るかといいますと、生前国のために尽くす心が深くて、死んでも死に切れないという思いに、その一生を送った人でしょう。すなわちその人の国をおもい世をおもうその思いの深さが、名という形をかぶって、死後にまで生きのびるわけです。
「余韻を残す」
いかに凡人といえども、その生涯を深い真実に生きたなら、必ずやその死後、何らかの意味でその余韻を残している。

人生二度なし。絶対不可避なる事は即絶対必然にしてこれ「天意」と心得べし。絶対不可避なることは、絶対必然にして、絶対必然即絶対最善なり。


中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI 日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp

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