見出し画像

アブノーマル(普通じゃない事)をコンテンツ化する時代の流れにあえて私は抗いたい

高校3年生の夏、初めてアイデンティティークライシスを起こした。

私にとって、毎年夏休みは作文とスピーチ執筆の時期だ。元々は、英語しか喋れない私を不憫に思った母が、私が小学校に入ったタイミングで日本語の文章の書き方を学ばせるために「夏休みは作文を書いて、コンクールに出しなさい」と言い出したことが始まり。

その後、一度入賞すると周りがチヤホヤしてくれることに味をしめて、なんやかんや高校時代までずっとそうしてきた。おかげで、”スピーチコンテスト荒らし”などと勝手に命名されたり、ついには審査員の先生に名前を覚えられていたりしたのだが…

毎年毎年スピーチなり作文なりが入賞する私にはちょっとした”チートカード”がある。

「あなたは”経験”からしか良いものは書けないから」と、母は言う。この”経験”こそが私のチートカードだった。

ある年は、ツノが欠けて安く売られているカブトムシを発達障がいの弟に重ねて障がい者の人権問題語り、ある年は奇形に生まれた自分の境遇(指が1本多かったらしい。生まれた直後に手術で取り除かれているので今は無い)から「普通」とは何かについて綴った。

ああ、所詮お涙頂戴かと思うかもしれないが、私にはそれでもよかった。「この境遇のせいであなたが苦労してることも多いんだから使えるものは利用しなきゃ損でしょ」と度々母に言われていたからかもしれない。
私にとっては人に作品が認められることが、自分が今まで大変な思いをしたことも込みで”頑張ったね”と言ってもらえているようで素直に嬉しかった。

高校2年生の時までは。

高校3年生の夏、私はアメリカの大学を受験するために、パーソナルエッセイ(自己紹介エッセイのようなもの)の執筆に追われていた。
自分はどういう人間で、誰に影響されて、どのように考えて生きてるのか、人生でこれまでに無いくらい考えさせられる良い機会だった。
何を書けば良いかわからなくてどうしようも無くなったとき、私はこれまで毎年書き溜めてきた夏休みの作文たちを読み返した。

正直、それらを良い感じに書き直して出してもそこそこ良いパーソナルエッセイができたと思う。でもそれをやってはいけない気がした。
「障がい者の姉」とか「奇形に生まれた子」とか
一生自分にそんなレーベルを貼って生きていて良いのだろうか?
私ってそれだけの人間なんだっけ?

———
昔、こんなことがあった。
サマーキャンプで担当のメンターが、1日目に
「ハナは声が綺麗だね」と褒めてくれた。
「ありがとう、歌うのが好きなの」と私が言うと、どこからかギターを持ってきて「じゃあ歌って」と言った。

2日目、今度は私が「あなたは何が好きなの?」と聞いた。
そしたらスラムポエトリー好きだと言うので、お互いに嫌いな食べ物について詩を書いて発表し合った。

3日目、そのメンターはキャンプの参加者全員を呼んでお茶会を開き、自分がトランスジェンダーだと言うことをカミングアウトした。
「1日目に言わなかった理由はね、”あの人はトランスジェンダーの人だ”って言うレーベルだけで僕のことを覚えてもらいたくなかったからだよ」
って。その時私は、”トランスジェンダーの彼”より先に、”ギターが上手で、詩を書くのが好きで、パクチーが少し苦手な彼”を知れてよかったなあと思った。
———

レーベルを全部剥がした自分。
想像もつかなかった。
いや、想像するのが怖かった。
だってレーベルを取ったら私は半分も残らないんじゃ無いかと思う。
なんて薄っぺらい人間なんだと自分にがっかりしたくなかった。

昔バレエを習ってて、歌が好きで、食いしん坊で…
あー、普通普通普通。
こんなんじゃ面白いエッセイが書けない。
誰も興味を持ってくれない。つまらない。

どうしよう。

高校3年生の夏、私は初めてアイデンティティークライシスを起こした。
人生で初めて、普通じゃない自分の境遇をレーベルにして人の興味を引いたり、普通じゃない自分をコンテンツ化したく無いと思った。
でも、もう遅かった。
”それ”なしの私はセミの抜け殻のようにあまりにも空っぽで、脆くて、軽い。

幼い頃にやりすぎたのだ。
もうそれしかコンテンツの作り方をわからなくなってしまった。
周りの人たちも私に”その”コンテンツしか期待しなかった。
「あなたは経験からしか良いものは書けないから...」
まさにその通りになってしまった。

このままじゃダメだと思った。
どんなに時間がかかっても良い。
絶対にこのパーソナルエッセイだけはレーベルに頼らないようにしようと決めた。
それから何ヶ月も経って、ようやく完成したエッセイは3歳の時から12年通ったバレエ教室での1日を、当時先生に教わったことと、バレエを辞めた今でも貫いている自分の信念や考え方と重ねて振り返った創作エッセイ。
(ちなみにこのエッセイは私の一番最初の自己紹介noteに全文掲載されているので興味がある方はぜひ!)

賞が欲しいとも、認めてもらいたいとも思わなかった。
ただ、私を初めて知る人に最初に読んで欲しいと思った。
私の他のどんな肩書きやレーベルを知る前に。

———
一つ気づいたことがある。
セミの抜け殻に比べて、確かにセミの方が見つけやすい。
だってうるさいから。
でもジージー大声で鳴くセミを捕まえて家に持ち帰る小学生は少なくても、抜け殻を見つけたら、崩れないように大切に持って帰る子は意外と多いのでは無いだろうか?
私がそうだった。
セミはうるさいし怖そうで触るのに勇気がいたけど、抜け殻は案外簡単に触れた。
そして、土の中にいるセミの幼虫はこんな形だったんだなあ...と想像を膨らませながら、ウキウキして持って帰ってきた自分の机の上で観察したのを覚えている。
———

セミの抜け殻のように空っぽな自分も、案外面白いのかもしれないなあ
と思った。
大学1年生の夏、さあ今年は何について書こうか…







この記事が参加している募集

note感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?