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掌編

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藍の蜂

藍の蜂

夜の入り口で、藍が目の前をよぎった。ざらざらと背すじをざわめかせる羽音。ぶ、ぶ、自分だけが知る、濃紺の蜂。帰り道に夜を連れてくる細い紐は、アイツ自身には見えないようだった。糸がその胸に仕舞われるさまを見ていれば、「なに、みてるの」と眉根が寄る。
「べつに」
言ったところで、信じないだろう。自分が夜をちらつかせているなど。アイツの心臓の真上からはまだ蜂の羽が半分見えていて、ぶ、ぶ、と鼓動のように音が

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あこがれ

あこがれ

憧れのことを考えるのがすきだ。自分が憧れていることそのもの、ではなく、「憧れ」が生み出すなにがしかの感情のことをよく考えている。それはすきなキャラクターの関係性のこともあれば、創作のこともあるし、自分自身のことだったりもする。

感情を載せる(一面のある)短歌でも、しばしば憧れを焼くか、憧れに焼かれるかしている(たくさんは投稿していないけれど)。焼いたり、くべたり。くべる、も焼べる、焚べると書くの

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すみれ先輩を待っている。

すみれ先輩を待っている。

青と紫が移りゆく中で、すみれ先輩を待っている。
市民公園の古ぼけたベンチで、少し重い端末を握って、風に揺れるブランコを見ていた。どうせあの人は遅れてくるのだ。そして、もうすぐ。
『みて、薔薇だよ。あとふた月くらいで咲くかな』
震える端末に、芽生えたばかりの薔薇が映る。美しく整えられた丸い枝。きっと、先輩の家から出て直ぐの大きな大きなお屋敷だ。あそこは、むかしから腕の良い庭師がいるらしいから。
『写

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くらげが眠る、ほんの少しの白昼夢で

くらげが眠る、ほんの少しの白昼夢で

冬の澄んだ空気が空をどこまでも伸ばす。虹色に染め上げられた雲はオーロラのようで、だから幼い時分のきみに出会えたのだと思う。「つれてって」校門の角にできた雪山の隣。座り込んだちいさなきみが赤くなった頬で言うから、僕はその日、ついぞ門をくぐらなかった。

「ほんとはね、くらげが眠るとこを見たかったんだけど」たどり着いた水族館できみは、冷たい水槽に額をつけた。それは僕たちの繋がりが終わる前にきみが嬉

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幕間にはホットココアを

 彼女が世界に置いてかれた日には、僕がシアターを組み立てる。
 次の朝にはきっと雨が降る、そんな夜。
 一枚の毛布と二枚の座布団。僕は季節外れの半纏を羽織り、瓦の上で待つ。傍らには、湯気を立たせるマグがひとつ。
 
 街は、とっくに深い藍色の海に沈んでしまった。午前三時に残るのは、薄く色づく電灯と、ときおり響くエンジン音だけ。僕は灰色の雲のふちを視線でなぞり、今日の〝ひみつ〟を考える。僕と彼女の宇

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寂寥

 連れられた路地裏は薄暗く、敷き詰められた水色のレンガは色味を無くしていた。繋いだ妹の手の温もりだけが生を残す。
 母さんは僕にペンを、妹にまっさらなノートを渡して去った。
「その先に、大人は入れないのよ」
 嘘を言い残して。
 あなたが振り返りもせずに消えたことを、僕は知っている。
 
 路は急傾斜だった。
 一分も下りると、真横を過ぎるものが変わる。団地を、教会を通り過ぎて、電灯の立ち並ぶ路を

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からっぽの音

 線路沿いを帰っていた。
 からから、からから。
 歩くたびに音がする。足元じゃなく、耳の奥。頭の中でラムネが跳ねているみたいだった。
「からっぽの音ですね」
 振り向けば幼い女の子が大きなビンを抱えていた。夜も深いのに、ひとりで。
 
 からから。
 からっぽの音というのは、たしかにそうかもしれない。きょうは、いつもより難しい問題をずっと考えていて、少しくたびれていた。
「あなたの音、ください」

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境界を引く

 
「時折、きみとおれが一つだったみたいな錯覚に陥るんだ」

 聞こえた声に、鉛筆を削る手を止めた。突拍子もないことを言った部長は、穏やかな顔で藍色の絵具を溶かしていく。
 
 夏休み初日の今日、朝から部室にいるのは自分たちだけだった。遠くに吹奏楽部が同じパートを延々と演奏するのが聞こえる。繰り返される一ヶ月と少しの幕開け。部屋は蒸すように暑い。部長が開け放った窓からは、ただただ生ぬるい風が入っ

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終演

 彼女は、ぴかぴか光る木製の什器に感情を飾っていた。
 完成された人間として振る舞うのを、俺はスコープ越しに眺める。
 
 木目のタイルが敷かれ、什器だけがぽつりと残される簡素な部屋。棚の後ろには、不似合いなマンホールが埋まる。その奥底、俺は銃を肩にかけて地下道の滑る壁にもたれる。
 見世物にできなかった感情は、この道に眠る。不都合とラベリングされた感情は、腹を空かせて彷徨う。彼女が置き去りにした

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証明

 職業選択で、人魚と書いた。
 
 国を覆う天空照明が黄昏をつくる。
 放課後、教室に残るよう言われた。提出した紙を手に、教師は眉をひそめる。
「きみの歌声は、たしかに美しいが……」
 顔に落ちる影のコントラストが、物々しさを強調していた。
「まあ、ありがとうございます」
 文脈はどうあれ、悪い気はしなかった。
 でも、所詮はその程度なのか、と虚しさも募る。
「きみは、人魚に選ばれることがどういう

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きみの回路を解体する権利を

 アイドルを愛するきみの丸い瞳。

 じゅわっと発色する、なんて謳われるアイシャドウより、ずっと輝きに満ちた蛍光が映る。上気する頰。話すきみの後れ毛が愛おしい。

 現場できみをきみ足らしめるのは、ツツジ色のピアスときれいに巻かれた髪。きみがあんまり鮮やかな赤紫色を愛するようになって、インナーカラーに挿す。その一部始終とともに、あたしにとってのツツジ色はきみになった。

 きみが言うと

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エリスと占いの館

 はげかけた手すりの塗装に欠けたタイルの踏面。薄暗い照明の中、埃まみれの壁に触れないように歩く。壁の中をエリスが駆けて、わたしの前を先導していた。
「もうすぐだ」
 エリスは、ハムスターによく似た動物だった。小さい足をくすくすと動かし、頼もしい背でわたしを引っ張ってくれる。
 喉の奥に小骨が挟まったままみたいなもやを抱えて、わたしは追いかける。
 
「ああ! 止まって。その下はワニがいるんだ」
 

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貝殻を握る

 おばあちゃんの病室は、パン生地に包まれたみたいにやわい光に溢れる部屋だった。アイボリーのつるつるしたカーテン越しに射す、午前10時の明るさがお気に入りだったらしい。

 病室を抜け出してからは砂浜を歩く時間になった。わたしが知らないころのおじいちゃんの話をしながら3分ほど歩くと、おばあちゃんはしゃがみこんで貝殻を拾う。
 いつもと同じように嬉しそうに手のひらで貝殻を転がしながら、おばあちゃんは同

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