あこがれ
憧れのことを考えるのがすきだ。自分が憧れていることそのもの、ではなく、「憧れ」が生み出すなにがしかの感情のことをよく考えている。それはすきなキャラクターの関係性のこともあれば、創作のこともあるし、自分自身のことだったりもする。
感情を載せる(一面のある)短歌でも、しばしば憧れを焼くか、憧れに焼かれるかしている(たくさんは投稿していないけれど)。焼いたり、くべたり。くべる、も焼べる、焚べると書くので焼いている。このまえは捨ててみた。捨ててみたというよりは、捨てられていたものに憧れを重ねてみた、というのが正しい。
なんとなく、憧れのことを強い光だと思っているからだろう。たぶん。扱いもむずかしければ、しっかりと見つめることもむずかしい。事実、10代のときに憧れていた職種のことはよくわからないままここにきてしまった。
だからこそ、強い憧れを行動に移せるキャラクターがすきだし、反面、憧れに振り回されている話もすきだ。
ところで、わたしがTwitterでときどき短歌を投稿するようになったのは、それ自体がほんのりとした憧れだ。憧れではじまって、意味を何重にも掛けられるところとか、そもそもの長さ、音が心地良いなとおもったからときどき考えている。いまも、目に留めた歌をすきだと思いつつ、やはりほんのりと憧れ、生んでみようとする生活をしている(しかしやはり数は足らない)。どこからどこまでが短歌? と考えているうちにループに入りかけるので、もっと真似て、学ぶべき段階なんだろう。
また別のほんのりとした憧れで、つい先日インナーカラーを入れた。染めたこと自体はじめてだった。「染みる?」と訊かれてはじめてそうなのかと知った。そうして染めてみたけどまだ憧れがある。知らないことだらけなので仕方ない。
「感情を考える」と書いたけれど、やっぱりすこしは憧れているもののことも考えていたのかもしれない。でもやっぱり、強い憧れが焼くもののことを考えるのがすきだなと思う。好みなんです、単純に。
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