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大変な思考。


『2020年は、大変な一年だったね』


こんな言葉を耳にすることが多い。
たしかに、一年前とは思ってもみなかった世界になり変わってしまったことは言うまでもないし、これほど季節感の無い一年もなかなかない。淡々と、しかし目まぐるしい変化に晒されて、上手く思い出せない一年になってしまった。基本振り返らない人だけど、今日だけは過去に書いたものを読んで、自分の言葉の海を、泳いでみる。


『大変』とは、一大事。重大。大きく変わること。大きな変化。良くも悪くも何かが、大きく変わってしまうこと。













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もう忘れている人も多いのだろうか。買い占めが起こった。いつの時代にも、何にでも過剰に反応してオヒレちゃんとハヒレちゃんをトッピングするのが礼儀とでも言わんばかりに盛りに盛ってかき乱す人間がいるものだ。至って本人に悪気がない場合と悪意がある場合を理解しつつ、情報を取捨選択しようとせず無駄に恐怖を煽る人間からわたしは遠ざかり、滑稽で残念な現実に詩を書き、テレビのコードを抜いた。


たとえ人や物事、事象を見極めようとする心を持つ人であっても、恐怖や焦燥にかられてしまえばたちまち盲目になることがある。そして哀しいかな、そこに付け入ることを得意とする世界が、人が、いるものである。おかげさまで突然のお別れに、泣いた夜があった。互いに乗車する列車が分かれたのは、一瞬だった。純粋や高潔の純度が高ければ高いほど、きっかけがあれば良くも悪くも染まりやすく、誰かを貶めたり傷つけることを厭わない人間へと堕ちるスピードは尋常じゃなかった。鮮やかなほどに。


泣きながら思っていた。この世界では、何を選んでも正解なのだ。ブライトもダークも自分が決めること。ただ合わなくなった。表面的にはそれだけのこと。どうか彼らが、彼女らが、これ以上誰も傷つけませんようにと、祈るしかなかった。


日ごろ、人がどれだけ自分を隠して生きているのかを知った。上手く隠していた恐怖や焦燥、嫉妬。見て見ぬふりをしてきた綻び。都合の良いように創造した虚構は美しいハリボテで、爪弾きすれば簡単に倒れる。至るところに人の脆弱を見た。


彼ら、彼女らが何かに縋って傾倒し依存して、蝕まれていく自己に氣づかずに、相手をよく検めないで手を引かれて乗った列車が今どこに向かっているのかなんて、わたしが知る必要もない。かつて縁で結ばれた人間であったって、希求する愛が変わったのなら一緒にいる価値や意味など、どこにあるのだろうか。


誰と生きていきたいか。この視点を喪失したら、乗りたくない列車に簡単に乗ってしまう。望まない未来に連れていかれるなんて一大事だ。


それだけは絶対に嫌だった。












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カラマーゾフの兄弟を思い出したのは皐月の頃。グルーシェニカが、今度は世界を閉じ込めた。しかし多くの現代人は、家の中で黙ってはいなかった。


在宅勤務、オンライン会議は以前から存在していたけれど、全人類がほぼ同期というほど初心者は多く、対策に追われ対応に追われ、あれよあれよという間に、たとえば『Zoom』は誰もが知っているツールになった。通常業務が終わったあと、なかなか時間の合わない仲間内で自宅にいながらミーティングをするために使っていたZoomが、世間で多くの人に周知され、まさか飲み会で使われるようになるなど、一年前のわたしには想像しえなかった現実である。


こんな世になれば、人に会うことは叶わない。グルーシェニカの思う壺のようだが、元来、自ら人と積極的に繋がっていくタイプではない。おかげさまで傍目にみて簡単に、文字通りの ”孤独” になったわけだが、何かできることはないだろうかと思案にくれるばかりだった。


そんなとき、お世話になっている方からご連絡をいただいたことで、『ギフト』が生まれた。緊急事態宣言前後で図らずも人間関係は精査され、残ったご縁を見つめていたら、誰かのために頑張っている人が、たくさんいた。なんとか乗り越えようとする人、笑っていようよと自分なりに楽しむ人がたくさんいた。こんな人たちに囲まれていることが、ありがたい以外の何ものでもなかった。


この人たちの考えていること、感じていることを聴きたい。書きたい。お忙しいなかお時間を頂戴し、言葉にしていった。目を向ける対象を変える、あるいは見る側面を変えるだけで、捉え方も変わるし取るべき行動も変わる。


できることしかできない。そして自分がしたいと思うことはすればいい。人の成すことなんて、結局はシンプルなものだ。できることと、したいと思うこと。それだけ。


いい意味で、書くことに向き合う時間を過ごした。


そしてギフトが生まれた同じ日に、note毎日連続投稿、100日を記録。やっぱり、書くことなら続けられるんだなと、改めて自分について重大な事実確認をする、いいきっかけになった。













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水無月。事件が起こった。
突然DMでナンパされたのだ。


その人は蜂さんという人で、蜂さんだけに花が好きらしい。この出逢いはわたしの未来を大きく変えてしまった。ひそやかに、好きなようにnoteで綴っていた詩を、standfmで朗読してくださるという。自分の詩が朗読で声になるとは考えたこともなかったため、青天の霹靂とはまさにこのこと。半年が経過した今も、毎週金曜日に朗読してくださる蜂さんには感謝しかない。


このころから、新しいご縁が増えていく。初対面の方と話すことは難なくできても、自ら人と積極的に繋がっていくのはリアルもオンラインも正直苦手で、これを機にたくさんの方に読んでいただけるようになったことは、これまでのわたしだったら考えられないことだった。


その後もふたりで、共同noteで交換日記やサークルを始めるという、まさに予想もしなかったパラレルワールドを生きている。一年前のわたしが見たら息をするのを忘れるのではないかと思うほど、まったく予想もしなかったパラレルワールド。


人生って本当にどこでどうなるかわからなくて、時にはちょっとこわいし、ハラハラするし、溜息が出ることもあるけれど。


おもしろくて、しょうがない。













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前述のとおりで積極的に人と繋がっていくタイプではないわたしは、SNSに慣れてはきたけれど、好きというわけではない。だが続けていくうちに、春から徐々に ”ライター” をされている方からのフォローやよくわからないDMが増えていく。個々の活動やジャンルはそれぞれで、いろんな人がいるのは重々承知しているのだけれど。申し訳ないけれど、腹くくって起業して言葉を紡ぐことで生きている身としては、『これライターと名乗っていいの?』という人がいる現実に、もやもやを隠せなかった。


そして、内省した結果自分が『ライター』と名乗ることに疑問を持ち始めた。書くことを生業としているし、ライティングの分野から退くことは当面考えられないのだけれど、あまりに世間で言われているライターのイメージとわたしのしたいことの乖離が大きい。人から『ライターさん』と紹介されることは致し方ないにしても、自らライターと名乗ることは極力、辞めた。


言葉の海というコンセプトは変わらない。だから、ライターの表記を辞めて、言葉の海と表記するようにした。名前は大事だと思っているから、hanaは据え置いても、ライター→ 言葉の海 への変更は、わたしにとって大きな変化だった。ちなみに実際に名刺も作り変えてライターの表記を削除したほどの本氣っぷりである。


『言葉の海』として認知されたいし、ずっとこの海で生きていたい。どこまでも深遠に繋がる人々の想いに共鳴し、言葉にはならない何かを言葉で明らかにし、その人なりに名前をつけられる役割を担えたら嬉しい。言葉は言霊であり、地球で愛に生きていくために必要かつ重要であることを、もっと多くの人に知ってほしい。


表記が変わっても、わたしのしたいことは、変わらない。













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書くことは、ずっと続けてきた。仕事でもプライベートでも、何かにつけて言葉を書きつくっている。際限なくこの海からこの指を通して繰り出される言葉たちによって、時に猫になり10分で何を書けるのかと遊んでみたり毎月朔日に月の異名にちなんだ詩を書いた日常で起こった嬉しかったことちょっとしたお話。いろいろ書きたいように好きなように、書き続けた。


毎日書き続けた。そして毎日連続270日。これを機に、毎日書くことを手放した。日々生きていて、氣づくことがある。書きたいことがたくさんある。でも量産できない時期がある。時間をかけて向き合って書きたいのだと思い至ったとき、”毎日の投稿” を手放さないと書けないと思った。書くことに変わりはないけれど、しかし270日も毎日していたことを手放すということは、これもまたある意味で一大事だった。ちなみに書き溜めた記事は、来年ぼちぼち出していく予定。


11月は誕生月だ。家族や友人からバースデーメッセージが届くことは毎年のことで、もちろん嬉しいのだけれど、2020年にSNS上で出逢った方たちから寄せ書きをいただくとは、夢にも思っていなかった。もちろん、会ったことのない方たちがほとんど。あたたかな繋がりと優しさに、嬉しくて泣いた。『言葉で愛を送ったら、こんなに還ってきたよ。はなたんが愛だからだよ』と言ってもらえた。好きなことを好きなように書く。そう思って続けてきたnoteだけれど、書き続けてよかったと心から思った。


書き続け、受け取ってくれる人がいて、公私ともにさまざまな交流が生まれた。その中で『言葉に向き合うこと・言葉と共に生きること』について、ライティングの仕事やnoteでの活動、自分がどう生きていきたいかという俯瞰も含めて、言葉の海はまた別の色、温度をわたしに見せるようになる。この海を表現する言葉を探して、秋からこの冬、泳ぎ続けた氣がする。














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たくさんの方々に支えていただき、さまざまな経験をさせていただいた。喜怒哀楽という言葉だけでは片付けられない感情の数々に名前を付けるお手伝いも、この世界における自分の使命や役割を体現するための活動を表現するお手伝いも、言葉の海を好きになってくれる方々がいたおかげでできた経験だった。自分ひとりではできなかった経験ばかりだった。


駆け抜けてしまった一年だったけれど、お仕事も創作も変わらずずっと続けることができて、結果的に最高に幸せだったと思う。またその活動の中で、自分の生き方や使命を見つめ、自分の知っている愛を、どうやって届けたらいいのか、たくさん、たくさん考えた。


もうあとわずかで2021年。社会の混沌はまだ続くのだろうけれど、自分の軸を揺るがすことなく、せめて手の届く範囲の愛する人たちに寄り添ってあげられるような言葉を、ずっと紡いでいきたい。

君の笑顔が見られるなら
言葉を探してただ泳ぐ


生きていたらいろんなことが起こる。大変なコトも、たくさんある。目の前で起こることから何を感じ、何を学び取るかは人それぞれだけれど、激流のようにあっという間に流れ着いた一年の中に、何か得るものがきっとあったはず。


だが、つらいときもある。もやもやして吐き出せなくて、言葉にできない想いたちが暴れて、つらいときもある。そんなとき、どれだけ深遠であっても絶対に繋がっているこの海から誰かの海へ、涙を止める言葉を届けられたら。笑顔になれる言葉を紡ぐことができたら。


わたしは幸せだ。










大変だった。確かに、大変だった。
『大変』とは、一大事。重大。大きく変わること。大きな変化。良くも悪くも何かが、大きく変わってしまうこと。確かに、大きく変わってしまった。


誰にとってもきっと稀有な2020年。目の前には自分が選択した結果、得たものが横たわっている。


わたしは今立っている位置から振り返ってみて、一年前に立っていた場所はもう見えないくらいのところに来てしまった。でも、『嗚呼、幸せな選択をして来れた』と思える、大きな変化を生きた。


別の列車に乗ってしまった人。出逢ってくれた人。
すべての人に、すべての経験に。そして、こんな幸せを選択して来れた自分に。





2020年に。ありがとうございました。





一日も早く多くの方に平穏が訪れることを祈って、明日からも、わたしに贈れる愛を贈ります。





もっと軽く。もっと自由に。





愛だけを、抱きしめて。


















flag *** hana





今日も、今年も、ありがとうございました♡
2021年。良い一年にしよう。







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