ハモネザ

夢か現実か 11月22日 文学フリマ出店予定 メンバー 高尚ギャル/QBQ/おにぎり…

ハモネザ

夢か現実か 11月22日 文学フリマ出店予定 メンバー 高尚ギャル/QBQ/おにぎり・おいしい

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ハモネザ

夢の中で夢の中で同じ場所に行ったことがある人はどれだけいるだろうか。 わたしは、最近特に同じカレー屋に行ってしまうことがある。 カレーが特段食べたいわけでも、カレーが大好きなわけでもない。しかしなぜか出てくるのは同じカレー屋なのである。 夢の最初はいつもビルの二階の歯医者の前で目が覚めて、「ハモネザ」に向かう。二階から階段を駆け下りて道の左へずっと進むとT字路のような、三差路のような交差点が現れる。交差点の歩道側に「ハモネザ」はある。 膝くらいまである、夜になると発行

    • ハモネザ短歌

      あけましておめでとうございます。 わたしたちのことを覚えていてくれていますでしょうか。 本当は2020年内にアップする予定だった、「ハモネザ短歌」を更新します。 フリーペーパーで短歌を載せてもよかったのですが、スペースの都合で辞めました。 自由に歌を詠むということ、本当に気持ちいいですね。 わたしたちはこれからも自分たちのペースで各々の活動を行ったりする予定です・・・。 まだまだ見守っててください。 以下、素敵短歌たち。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

      • まぼろしの街・吉祥寺

        次は下北沢…下北沢………。 はじめて東京に住んでからもう7年以上経つというのに、いまだに吉祥寺と下北沢を間違えてしまう。 事の発端は、上京して間もない頃まで遡る。大学が始まる少し前、高校の頃とても仲の良かった先生からLINEが来た。先生はバンドをやっていて、吉祥寺でライブをするからと招待してくれた。ライブの開始時間が迫っているというのに、駅を出て少し歩いたところでようやくそこが下北沢だということ気がついた。以降、25歳になったいまでもよく間違えてしまっている。最悪だったの

        • 感情が読めない男と・吉祥寺

          2018年秋、1人の男の子と付き合っていた。 感性と見た目が好みだったので、一緒にシーシャを吸った帰り道に勢いで付き合って欲しいと告げたら付き合えることになった。 お互い文章を書く人間で、そこも好きだった。彼のブログは周りくどく難しいねちっこい言葉でカルチャーだったり男とか女とかに言及していたりしたけど、そういうところも好きだった。 吉祥寺に住んでいて、当時江古田に住んでいたわたしはちょいちょい彼の家に突撃するようになっていった。お風呂から上がったあと髪を乾かしてあげたり、一

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        • おにぎり・おいしいです
          5本
        • 高尚ギャル
          5本
        • QBQ
          4本

        記事

          中目黒にて、少年と相合傘をした

          数年前まで、中目黒で髪を切っていた。それまでは代官山のサロンに行っていたのだが、担当してくれていた美容師さんがある日「私ここ辞めるんだ。今度は中目黒でひっそりとやるから、今度からはよかったらそっちに来て」と伝えてきたので、次回からは中目黒に行くことになった。 その日はちょうど今のような季節で、雨が降っていた。メールで案内された住所を目指して、初めて降りた中目黒駅からの大通りを傘を差しながら歩いていると、数メートル先に制服を着た小学生の男の子が一人で傘も差さずに、うつむき加減

          中目黒にて、少年と相合傘をした

          POPEYEみたいな・中目黒

          日本でコロナがじんわりと気配を匂わせていた頃、わたしは夜まで引きこもっていた。さすがに お腹が減り、近くに住んでいる親友に連絡をした。「寿司を食べたくない?」「食べたいわ」間髪 入れずに返信が来る。中野に集合しようと告げる。彼女は中目黒にいるらしかった。 色気のない立ち食い寿司を、ワハハと笑いながら食べる。別れ際、中目黒の店のおしゃれなチョコを彼女はくれた。フルーツとかナッツとか、見た目も味もおしゃれなブツがたくさん埋まっていて、見るだけで贅沢な気持ちになった。 自分はと

          POPEYEみたいな・中目黒

          桜とおじさんの街・中目黒

          中目黒に行ったことは思い出せても3回くらいしかない。大学生の時に住んでいた練馬区の街からは少し距離があったし、なにより中目黒に行く用事が何もなかった。 1回目は、当時三軒茶屋あたりに住んでいた彼氏と池尻大橋で待ち合わせをして目黒川の桜を見に行った時だ。目黒川が桜で有名なことは知っていたが、彼氏と桜を見に行った時はすでに散りかけていて、美しい桜でも褪せて見えていた時期だった。川沿いに宴会する人たちを横目に見ながら南下して、中目黒までたどり着いてしまった。「中目黒には初めて来た

          桜とおじさんの街・中目黒

          上野にあったハロプロショップの話

          中学生の頃、好きなバンドが出るというNHKのMUSIC JAPANを見ていると、あるハロプロのグループが出てきた。なんとなく見ていると、その中に一人ずば抜けて歌のうまいメンバーがいることに気付いた。気になって調べてみると、そのメンバーは自分と同い年だった。なぜだか分からないが、その瞬間、彼女のことを好きになっていた。 それからはCDやDVDを購入したり、テレビ番組をチェックしたり、ファンレターを出したりと、ファンとしての活動をしていたのだが、ライブや握手会に行って、直接姿を

          上野にあったハロプロショップの話

          サマージャム'15・上野

          学生時代、上野をよく訪れた。20 歳の頃から秋葉原の地下アイドルの店で働き始めてから、店から上野駅まで歩くのが習慣づいたのだ。末広町と御徒町の静寂を抜けて、アメ横の活気が近づいてくるのはお祭り気分で愉快だった。 20〜22 歳のわたしは他人への興味が薄かった。街ゆく人の顔に目をやることがない。もともと街が好きだからなのか、他人を見ないから街を見るようになったのか、どちらが先かは分からない。とにかく、よく街を見て歩いている。上野は顕著で、土日にバイトを終えて歩く道のりは、

          サマージャム'15・上野

          パンダ号の街・上野

          上野発の夜行列車降りた時から、青森駅は雪景色・・・。 この有名な歌にもあるように、わたしの地元である青森と東京都上野は切っても切り離せないような土地である。夜行列車がまだ走っていた時は始発駅と終点であったし、今でもやっすい夜行バスは東京行きのものは上野でおろされてしまう。(しかも名前がパンダ号という田舎者をなめくさっている名前だ) けれども、東京に上京してきて特に上野に行きたいと思ったことはなかった。地元にいる友達がたまに東京に来た時に交通で便利だからという理由で上野待ち

          パンダ号の街・上野

          僕の住む町、十条でのある夜の話

          僕は東京・北区の十条という町に住んでいる。十条には良い飲み屋が沢山あって、ウイルスが流行る前は、週2くらいで飲みに出かけていた。 去年の夏ごろ、僕は十条のある立ち飲み屋にいて、隣り合わせた同い年の女の子と少し仲良くなり、話をしながらお酒を飲んでいた。20時くらいになって、夕暮れ前から飲んでいたであろうシニア層の常連たちが店をあとにし始めたところ、1人の若い男性が店に入ってきた。店内にいるのは僕とその女の子、そしてその男性、あと2人の女子大生という状況になったので、その店のコ

          僕の住む町、十条でのある夜の話

          仙台・ワールドスクウェア

          歩いて5分で東北1の繁華街、一番近いスーパーは三越のデパ地下。 大学を卒業して約3年間、私はそんな東北イチの都会で暮らしていた。 仲の良い友達は一人もできず、映画館に行くか、職場の同僚とご飯を食べるかしかやることがない。まあ、映画館があれば上々か。 緊急出勤や夜勤が稀にあるため、職場から徒歩圏内で選んだ1K8畳のマンションは、四方八方をビルに囲まれている。 マンションのエレベーター内で遭遇する住民たちは、セカンドバッグを小脇に抱えたおじさまや、夜のお仕事関係のキラキラした若

          仙台・ワールドスクウェア

          二面性が強い街・中野

          わたしが今住んでいる街には、大きな二面性が存在している。所狭しと並んだ居酒屋やガールズバー・キャバクラがひしめく北口と、マルイがそびえたっていて居酒屋は申し訳なさそうに駅前にちらほらとしかない閑静な南口。その大きな二面性に強くひかれたのかもしれない。 大学四年生になる少し前にメイドカフェのバイトを中野で始めた。バスで北口に降り立って、バイト先に向かう。来る客はサラリーマンや、どこで収入を得ているのかわからないようなみすぼらしいおじさんばかり。バイトが終わった後に同じビルの鳥

          二面性が強い街・中野

          ドラマ

          新宿には思い出が詰まりすぎている。小説何本書けるだろう。そんな人が、私以外にもごまんといるだろう。 新宿にいる間、わたしは誰かの彼女だったり、誰かの友達だったり、教え子だったり、サークルの後輩だったり、放送部員だったり、映画監督だったり、フィールドワークをする大学生だったりした。巨大なシネコンで働いているのに友達が一人もできないチケットもぎりの時期もあった。新宿ではあらゆる役割を演じながら過ごしてきた。喫茶店やレストラン、時には道端でいろんな人の人生の話を聞かせてもらった。

          嫌いな街、新宿のカラオケのフロントに立つホスト

          新宿は嫌いだ。仲の良い友達に誘われても、新宿だと何か気が向かないし、新宿で会ってしまうと、煌々と輝くネオンの光の中でさえあの子もかわいさ3割減である。   新宿ではよく喫茶店に入る。そこで働く店員は、全員が全員見事に不愛想だ。恐らく、人が多すぎて、客のことを一人ひとり血が通った人として見ることが難しいのだと思う。僕も新宿の店で働いていたらそうなってしまうと思う。客のことを血が通っていない人形、もしくは木の棒だと錯覚し、そのうち自分もその人形の前に置いてあるテーブルに水や珈琲、

          嫌いな街、新宿のカラオケのフロントに立つホスト

          ピンクネオンの街・新宿

          新宿にはいろんな思い出がありすぎる。 歌舞伎町のラブホでバイトを一年くらいしていたし、 朝まで飲み明かしたり、昼から安いラブホに行ったり、 深夜にクラブで会った人と夜通し遊んだりした。全部しょうもないようで確かに覚えている記憶だ。 新宿のすごいところは二十四時間街が生きているところ。これは、すべての街に言えることではない。新宿だからこそだと思う。 例えば午後六時に集合して終電で解散することもあるし、夜勤が終わって朝八時から飲むこともできる。新宿はいつ何時でも同じことを同じ時

          ピンクネオンの街・新宿