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僕の住む町、十条でのある夜の話

僕は東京・北区の十条という町に住んでいる。十条には良い飲み屋が沢山あって、ウイルスが流行る前は、週2くらいで飲みに出かけていた。

去年の夏ごろ、僕は十条のある立ち飲み屋にいて、隣り合わせた同い年の女の子と少し仲良くなり、話をしながらお酒を飲んでいた。20時くらいになって、夕暮れ前から飲んでいたであろうシニア層の常連たちが店をあとにし始めたところ、1人の若い男性が店に入ってきた。店内にいるのは僕とその女の子、そしてその男性、あと2人の女子大生という状況になったので、その店のコの字カウンターを囲む客たち全員で話しながら飲むという感じになった。

その男性は見た目からして20代後半くらいの、かっこいい人だった(女子大生は「サチモスのヨンスに似てないですか?」と言っていた)。最近十条に越してきたらしく、越してくる前は北海道にいたという。一人が「出身は北海道なんですか?」と聞くと、「出身は八丈島っていうところなんですけど」とその男性は答えた。

酎ハイをふき出しそうになるのをこらえ、僕もです!と言うと、僕が先ほど感じた以上の驚きを男性は感じているようだった。歳は僕の4つ上で小学校も一緒だったようなのだが、中学校からは島を出たらしく、僕もその男性もお互いのことを覚えていなかった。

すごいな、こんなことあるんだな、と盛り上がったのだが、名前を聞いても苗字しか教えてくれなかったのは、後から考えてみれば、こうだからなのかもしれない、という理由はなんとなく推し量ることができる。その苗字も忘れてしまった。

何にせよ盛り上がったその男性と僕と、一緒に話していた女の子とで、立ち飲み屋が閉まった後もう1軒くらい行こうよということになった。

少し町の外れにある店に向かうことになり歩いていると、急にその男性が「帰った方がいいよ」と耳打ちしてきた。え?なんでですか?と聞くと、記憶が曖昧なのだが「あの子はやめた方がいい」というようなことを言ってきた。

どういうこと?と考えたが、その男性は女の子と2人で行きたいのかな、と思い、僕は、うーん、わかりましたと言って、少し前を歩く女の子を尻目に、来た道を引き返した。

帰り道の途中のコンビニで買い物をしていると、先ほどの女の子が引き返してやってきて、「え、帰るの?」と聞いてきた。その男性もついてきていたが、トイレに入っていった。帰れといわれたことを伝えると、女の子も「何それ意味わかんない」と言っていた。用を足す男性を尻目に、僕たち2人はコンビニを出て飲み屋に向かった。

その子に連れられて行った先は十条に7年暮らす僕も存在こそ知りながら入ったことのない店だった。お通しで紙皿に乗ったスイカが出てきて、思わず写真を撮った。その子の行きつけの店らしいのだが、途中からその子は他の常連の人に呼ばれて話すことが多くなり、僕は1人で飲んでいるだけになってしまったので、スマンと言って先に帰ることにした。


同郷の男性は、あの日以来見かけていない。連絡先も交換していなかった。立ち飲み屋を出るまでは、立ち飲み屋や町なかでまた会えるだろうと思っていた。

女の子は今その立ち飲み屋で店員として働いている。そういえば、あの日もマスターと働く、働かないの話をしていた。今でも店に行くとたまに会う。だけど、なぜか、どちらからも話はしない。あの日以来話をしていない。けんかをしたわけでもないのに、なぜか。


その夜から2か月くらい経って、深夜、バイトの帰りに東十条駅からの道を歩いていると、すぐ前方に、嘔吐されたものがあった。それから匂いがして、あの店、まだスイカ出してるんだな、と思った。

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