見出し画像

まぼろしの街・吉祥寺

次は下北沢…下北沢………。

はじめて東京に住んでからもう7年以上経つというのに、いまだに吉祥寺と下北沢を間違えてしまう。

事の発端は、上京して間もない頃まで遡る。大学が始まる少し前、高校の頃とても仲の良かった先生からLINEが来た。先生はバンドをやっていて、吉祥寺でライブをするからと招待してくれた。ライブの開始時間が迫っているというのに、駅を出て少し歩いたところでようやくそこが下北沢だということ気がついた。以降、25歳になったいまでもよく間違えてしまっている。最悪だったのは職場の研修会場へ向かう時。下北沢で乗り換えるはずが吉祥寺に着いていた。1時間以上遅刻をしてしまい、遅刻の連絡はすぐにしていたものの自分が情けなくてしょうがなくなる。不思議なことに、他の街同士を勘違いしたことはない。なぜか吉祥寺と下北沢だけ間違えてしまう。どちらも特徴的な街だというのなに、なぜだろう。




上京したら、あらゆるミニシアターに足を運びたかった。ネットで眺めていたミニシアターで、田舎では1、2ヶ月の時差がないとみられない映画を公開間も無く鑑賞できるよろこびに浸りたかった。

今はもうなくなってしまったが、吉祥寺バウスシアターも18歳のわたしにとってあこがれの映画館だった。バウスシアターは変わった作りをしていて、1階にテラスのようなカフェがあり、かっこよかった。商店街をまっすぐ進むと、突如現れる異空間のようで胸が躍ったのをよく覚えている。レディースデーにバウスシアターで「デッド寿司」を観たのだが、客はおばさん、おじいちゃん、わたしの3人という謎の構成だった。結局バウスシアターに行けたのはその一回きりで、まもなく閉館してしまった。


仙台に引っ越し、同じ配属の同期たちと市街地を歩いていると、ひとりが「仙台って大きな吉祥寺みたいだね」と笑っていた。東京出身の同期がほとんどで、みな共感してうなずいていた。なぜだろう、わたしにとって吉祥寺で過ごした時間ってなんだか嘘みたいで、まぼろしのようなのだ。だからそんなことを言われても、いまいちピンとこなかった。

それから少しして、仙台のミニシアターで瀬田なつき監督の「PARKS」という映画を見た。吉祥寺を舞台にした映画で、バウスシアターの閉館と井の頭公園の100周年のために作られたのだという。歌を歌う女の子と、お調子者の男の子と、いるのかいないのかわからない女の子、不思議な3人組が古いオープンリールに録音された曲の続きを作るストーリーで、とてもいい映画だった。この話はファンタジーなのだが、形成する要素の一つ一つは、吉祥寺にあるもの・あったものたちである。

主人公たちが作った曲は、こんな歌詞だった。

君と歌いたい曲がある それはこんな曲で
オープンリールの向こう側 君は聴いているのかな?
このメロディーが過去も未来も超え
君にくちずさんで いてほしい

バウスにジョイタイム
タワーレコードのベンチ
バナレコ、ドナテロ
みんなどこか行っちゃった

この曲を聴きながら、映画の光を浴びながら、朧げな吉祥寺の景色や、そこで起きた出来事を思い出してしまった。

下北沢と間違えてたどり着いたこと、バウスシアターのこと、教授と先輩たちとぎこちない会話をしながら食事したこと、そのあとお寺で足が痺れたこと。東京を離れるとき、親友たちが井の頭公園で下手くそなギターの弾き語りをしてくれたこと。その帰りに真っ暗闇の中で、知らない人がわたしたち4人を撮ってくれたこと。

その時、フラッシュを焚いたら、そこにいるわたしたちが浮かび上がったこと。


(書いた人・おにぎりおいしいです)





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?