#2 食べることは生きること(後編)
前回の#1では、「健やかに食べ、生きること」を求めてあらゆる食にトライした学生時代の私が「食の迷子」になった末、本を通じて江戸時代の食医・石塚左玄先生に出会ったことについて書きました。
今回はもう一人、私の食にまつわる探究に大きな影響を与えた東北の民俗研究家・結城登美雄先生の本との出会いについてお話しします。
結城先生は1945年山形生まれ。広告会社の仕事を経て、40代の終わりから東北各地の農山漁村を訪ね歩くフィールドワークを続けて、地域の人々の声を拾い集めながら地域づくりに尽力してこられた民俗研究家です。
都市部に人々が流出し、農山漁村の暮らしが急速に失われゆく中で、結城さんは、地域の自然とともに暮らす人々の知恵に改めて光を当てて「地元学」を提唱しました。
当時さまざまなチャレンジを重ね「食」について探究しているつもりでいた私は、結城先生の言葉との出会いによって、自分に決定的に欠けていた視点に気づくことができました。
それは「食べる」ことの背景にある、食の作り手である農山漁村の人々の暮らし、その中で脈々と伝え継がれてきた「生きるための知恵」、そこに広がる自然と暮らしの風景...。そんな、食の根源にあるものに思いを馳せる眼差しでした。
「イカ干し」「昆布洗い」「焼き畑」「カジカ捕り」「炭焼き」…結城先生が東北の農山漁村を訪ね歩いてまとめた「山に暮らす 海に生きる ー東北むら紀行ー」(1998年, 無明舎)の中には、その土地土地の季節ごとの食文化や暮らしが丁寧に綴られています。
時に厳しくもある自然から季節ごとの恵みをいただき、それを大切に料理したり、加工・保存したりしながら暮らしをつないでいく。そんな農山漁村の営みの中では、「食べる」ことと「生きる」ことはひと続きであり、切っても切り離せないものであるということ。
その暮らしの在り方は、当時の私の心に強く響きました。
「食の迷子」だった当時を振り返ると、その時の私は都会での一人暮らしの中で、「何を選び、どんな風に食べようか」ということにばかり注目していたように思います。
つまり「自分がお金を出して買ったり、お店で注文したりしたものを、自分の体に摂取り入れる」という消費する行為を「食べる」ということだと捉えていたのかもしれません。
さらに「これを食べると良い」「こういう食べものはダメ」「この料理法が良い」など、情報を追いかけながら、頭で考えて選び、食べていたように思います。
きっとだからこそ「食べてはいるけれど、心はなんだか苦しい...」という壁に、ぶち当たってしまったのだと思います。
でも本当は、「食べる」ということには様々な要素が含まれているのかもしれない。「食べる」の背景にある暮らしの奥深さ、その温かさと豊かさを、結城先生の本は私に教えてくれました。
自分がこれまで生かされてきた土地のこと、食べものの作り手の人々のことを思うことなく、良いものがどこかにあるのではないかと遠くばかりを見るようになった人々のことを指摘する結城先生の言葉は、そのまま当時の自分の胸に刺さり、ハッとさせられました。
前回の#1食べることは生きること(前編)でご紹介した石塚左玄先生、そして今回の結城登美雄先生。時代は違えど、お二人が痛切に訴えていることは、同じことのように感じます。
それは、自分たちの足元にあるもの-地域ごとの豊かな自然の恵みと、その恵みをいただきながら生きてゆく知恵-を大切にしなければ、知らぬ間にそれらは失われていってしまう、ということ。
遠くのものに憧れて蔑ろにしている間に、本当に命を生かす「食」はどんどん失われていってしまう、ということだと思います。
「食べることは、生きること」
「食」を通じて出会ったお二人の提言は、私の中で「食べる」ことの意味を深く、豊かなものへと広げてくれました。
そうしてこの経験が、「はじめに」でもご紹介した北山耕平さんの言われるところの「ネイティブ・ジャパニーズ」という言葉ともつながり、地に根ざして自然とともに生きる日本列島の人々の暮らしについて探究することが、しだいに私の人生のテーマのひとつとなっていったのでした。
そしてなんとこの当時から十数年後の2021年、私は結城登美雄先生と、感動の再会(ご本人と直接お会いするのは初めてですが)を果たすことになります。
そのお話はまた次回…。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?