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#1 食べることは生きること(前編)


 今回は、なぜ私がこんなにも長い間ずっと、ネイティブ・ジャパニーズという生き方に惹かれ、探究し続けてきたのかについて、少しお話ししたいと思います。

 一つめのきっかけは、前回の「はじめに」の回でも触れたとおり、学生時代に文化人類学や民俗学に興味を持ち、先住民族の人々の生き方や知恵に興味を持ったことでした。
 そしてもう一つの大きなきっかけは、学生時代に、「食」についても興味が出てきたことにあります。

 当時はちょうど、子育ての終わった私の母が一念発起して専門学校に通い鍼灸師の資格を取った時期でもあり、そんな母の影響で、私も病になる前に養生して”未病を防ぐ”東洋医学の考え方の面白さを感じ始めた頃でもありました。
 東洋医学では「医食同源」という言葉もあるように、食べることが心身を整え健やかに生きていく上でとても重要なものとして位置づけられています。


 「どんな考え方で、どんな風に、何を食べると、健やかに生きていけるのだろうか?」


 都会での一人暮らしは、ともすればコンビニ弁当やスーパーのお惣菜、学食などで完結することもできますが、ここにきてがぜん「健康と食」に興味が湧いてきた私は、この機会に、自分の体を実験台にして探究してみることにしたのです。

 当時は「オーガニック」「マクロビ」「スローフード」といった言葉が、少しずつ世の中で広まり始めていた頃でした。
 私も近所の自然食品店に通っていろんな自然食品やオーガニック食材を取り入れてみたり、マクロビ料理の教室に通ってみたこともありました。はるばる西日本で活動する野菜料理の先生のところへ、研修合宿に参加しに行ったこともありました。
 とことんストイックに、肉・魚を食べずに玄米や野菜だけを食べてみたり、大豆で作ったグルテンミートを使ってみたり、砂糖を断って甘味はちみつや水飴だけを使っていた時期もあります。ほかにも、雑穀料理やローフード、乳製品・卵不使用のお菓子やグルテンフリーの食事など、気になるものはどんどん作ってみたり、お店で食べてみたりしていました。

 こうして様々な「体にいい」と言われる数々の食べ物、料理、調理法などを数年間、試しに試した結果、私がたどり着いた正直な答えは、
 「たとえ体にいいものでも、高くてお金がなければ続かないので苦しくなってくるし、美味しくなければ辛くなってくる。
 そして、食べるものをストイックに制限したり選択したりすればするほど、人と食事するときにも気にしてしまったり、イライラしてしまったり、それもストレスになってしまって、なんだかかえって不健康な暮らしだなあ...」
 というものでした。

(※ただし、これはあくまでも私個人がストイックにやってみた結果の感じ方です。例えば、菜食やローフードなどの食事が自分の体に合っている、という方にとっては、それがその方にとっての「健やかな食」なのだと思います。
 また、病の治療のため制限食を取り入れているという方も、もちろんいらっしゃると思います。宗教的に、あるいは思想的に、ベジタリアンやヴィーガンという選択をなさっている方もいらっしゃるでしょう。
 また、もっとおおらかな感じで、できる範囲でそれらを取り入れているという方もたくさんいらっしゃると思います。
 ここで私がお伝えしているのは、あくまで普通の大学生が一人暮らしの中で実践してみた結果、導き出したひとつの食に対するとらえ方であり、様々な立場の方の感じ方、考え方を否定したいわけではないことを、今一度、ここでお伝えします。)

 散々試してみた結果、もはや何をどう食べたらいいのか、食の迷子のようになってしまった私は、さまよった果てに、本を通してある2人の人物に辿り着きました。一人は江戸時代の医者・石塚左玄いしづかさげん先生、そしてもう一人は東北の民俗学者・結城登美雄ゆうきとみお先生です。


◆江戸の「食医」・石塚左玄先生

  1851年(嘉永4年)に福井県の町医者の家に生まれた石塚左玄先生は、自身も医師となり、東京で石塚食療所を開きました。当時は文明開化の流れの中で、食の西洋化が一気に進んだ時代でした。
 このことで新たな病も増え始め、人々の健康が損なわれてゆくことを大変危惧した左玄先生は、日本で始めて「食育」を提唱した人物とも言われています。診療所では、処方箋に「小豆粥を食べなさい」「海のもの山のものをバランスよく取るように」などと記して食生活の見直しを提案し、人々からは「食医」とも呼ばれたのでした。

 石塚左玄は『日本人には日本人にあった食生活がある。地域の農産物・海産物が地域に住む人の食になり、地域に住む人の心と身体をつくりやしなってきた。だから地域に住む人は地域の農産物・海産物を食することが自然で身体に優しくより健康的で、栄養も豊富であり、地域には地域に特有の食生活が大事である』と言いました。
ー岩佐勢市(石塚左玄・食育研究家)「食育の祖 石塚左玄物語」, p.10

 この左玄先生の提唱する食養生について知ったとき、私は、とても本質的でシンプル、そして誰でも実践しやすい提言だな、と感じました。
 西洋の食文化がどんどん入ってきて「西洋化することこそが良いことだ」という風潮が強かった中で、「人々が捨て去ろうとしている日本の風土に合った食こそが、日本で暮らす人々の命を守る」という考えのもと、科学的な観点からも研究を重ね、地域の食文化を大切にしようとした左玄先生。
 その教えは、時代を経て、海外から輸入されたオーガニック食品を試してみたり特定の食べ物を制限してみたり、どう食べたらいいかわからなくてストレスを抱えていた現代の「食の迷子」にも突き刺さりました。
「健やかに食べるって、もっと、シンプルで、当たり前のことなのかもしれない。もっと身近なことの中に、その知恵が隠されているのかもしれない」
 左玄先生と出会って、私は素直にそう感じました。

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 旬の野菜で、漬物を作ってみる。魚を捌いて、干物を作ってみる。根菜やきのこを入れて、混ぜご飯を炊いてみる。お雑煮を作ってみる。
 昔からこの日本の土地土地で、みんなが季節の巡りとともに暮らしながら作ってきた食文化を、もう一度、自分の手に取り戻す。そこにこそ健やかに食べ、健やかに生きてゆくための確かな道標があることを、私は左玄先生から教わりました。

(続く)


はまぐり堂 LIFEマガジン【ネイティブ・ジャパニーズからの贈り物】
執筆担当:亀山理子(はまぐり堂スタッフ / ネイティブ・ジャパニーズ探究家)早稲田大学教育学部学際コース、エコール辻東京フランス・イタリア料理マスターカレッジ卒。宮城県牡鹿半島の蛤浜に夫と動物たちと暮らしながら、はまぐり堂スタッフとして料理・広報などを担当。noteでは浜の暮らしの中で学んだこと・その魅力を”ネイティブ・ジャパニーズ”という切り口から発信中。

掲載中の記事:
はじめに
#1 食べることは生きること(前編)
#2 食べることは生きること(後編)
#3 足元の宝ものを見つける(前編)
#4 足元の宝ものを見つける(後編)
#5 希望をつなぐ (前編)
#6 希望をつなぐ (中編)
#7 希望をつなぐ (後編)
#8 浜のネイティブ・ジャパニーズ(前編)
#9 浜のネイティブ・ジャパニーズ(中編)
#10  浜のネイティブ・ジャパニーズ(後編)


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