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#10 浜のネイティブ・ジャパニーズ(後編)

  前回#9のお話:若者をはるかにしのぐ体力と、疲れ知らずの体の使い方を身につけている浜の大先輩たち。「年だからもう動けねぇなぁ」と言いながら、30代の私などとは比べ物にならないほどよく動き、手早く浜の仕事をこなして元気に笑う...そんなスーパーマンのような浜の先輩たちに憧れて、ひよっこの私は、遥か遠いその背中を追いかけています。

 そんな浜の先輩たちから、私がもう一つ受け取ったもの。それは、自分で工夫して、自分の暮らしを作っていく、暮らしを手作りする力です。

 「昔はそれぞれ家の周りや山を切り拓いたところに畑を作り、果樹を植えて。斜面では茶畑もやっていた。みんなでお茶の葉を摘んで干してお茶を作っていたよ」

「春はみんなでヒジキを刈って、夏は潜って天草採り。天草は干しておいて、使うときに煮て、ところてんを作る」

「海も畑もあるから米以外はだいたい浜で自給していた。米だけは買っていたから、船で浜まで米俵を運んできて。浜に着いたら、女の人も磯から家々まで重い米俵を担いで運んだんだよ。」

 昔の浜の暮らしを先輩たちから聞くと、暮らしに必要な食べ物はほとんど自分たちで採ったり育てたりしていたことが分かります。ものがない時代、日々の食を賄うためにかけられていた多くの労力と手間は、便利なものに囲まれて現代を生きる私には想像もつかないほど大変なものだったと思います。 
 ただ、便利とはいえ食べ物は「買う」ことが前提となっている現代の暮らしとは違い、お金を介さずに自分たちで工夫して食べ物を自給できるという強さが、かつての浜の暮らしにはあったように思います。

 そして今、こうして私も浜に暮らしていると、かつてどの浜でもごく当たり前に営まれていた「手作りの暮らし」が、今もなお、浜の人たちの日々の暮らしの下地となって脈々と続いているのを感じます。

 浜育ちの90代の大先輩は、毎日のように自分の畑に通い、こまめに草取りをして、きれいに土を耕して大根などの野菜を植え、元気に働いています。育てた野菜は自分で漬物にしたり、みんなに配ったり。「みんなに喜んでもらえるのが楽しみなんだ」と言って笑います。

 お隣の漁師さんは音楽が大好き。牡蠣の作業小屋に大きなスピーカーを手作りして置いていて、いつもマイルス・デイヴィスなどの洒落た音楽を流しながら牡蠣の種付け作業をしています。
 家の前の、魚網で柵をめぐらせた広場には、野菜畑や花畑、鶏小屋、休憩小屋まであっという間に作り上げて、お花好きの奥さんと一緒に庭仕事を楽しんでいます。材料も、なんでもかんでも買ってくるのではなく、持っている板や網など、あるもので工夫して作り上げてしまう知恵と技には脱帽です。

 そのまたお隣のおうちのお母さんは、春になると、潮が引くたびリュックを背負って磯を軽々と渡り歩き、フノリやワカメをとるのを楽しんでいます。海藻は干しておいて、保存食に。我が家もいつもお裾分けをいただきます。 

 いつもお世話になっている、隣浜の漁師さんご夫婦も、暮らしを楽しむ達人です。漁に使う道具は、常に「もっといいものにできないか」と手を加えたり、ないものは自分で手作りしたりして改良しています。
 奥さんはいつも本や雑誌で魚介などの新しい料理の方法を見つけると、すぐに自分でも試して、日々料理を工夫しています。最近わたしも教えてもらって感動したのは、米糠を使った「タコの洗い方」。これまで塩で何度も何度も洗ってタコのぬめりを落としていましたが、「この方法がいいよ!」と教えていただいてからは、一回でぬめりが落とせるようになりました。自分のところでとれる魚や海藻を美味しく食べる方法をいつも楽しそうに研究している奥さんは、私の憧れの女性です。

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 先輩たちにならいながら浜に暮らしているうちに、私たち夫婦の暮らし方も、少しずつ「サービスを受けるのが前提の、お金に依存する暮らし」から「自分たちで生み出すことができる、お金だけに頼らない暮らし」へと変化してきています。
 
 たとえば、夫が海で捕ってきた魚介がたくさんあるときには、農家のお友達のおうちにあげると、「これ、たくさん採れたから持ってって!」と野菜をいただくことがあります。お金を介さずとも海と山、お互いに今あるものをお裾分けしあって、お互いに嬉しい!という循環が生まれます。そこには、お互いに「ありがとう、いただきます」という、目に見えない温かな交流も生まれます。
 また、春と秋には人手不足の農家さんの種まき・田植え・稲刈りの1日お手伝いにも行っています。そうすると、本当に微々たるお手伝いなのですが、手伝いのお礼にお米を持たせていただき、我が家は日々そのお米をいただいて暮らしています。

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 魚介や海藻、野菜やお米など自分たちでとれるものがあること。そして周りの人たちとその恵みを分け合って暮らすこと。それはかつては当たり前のようにあった暮らしです。そして、そんな手作りの暮らしの中では、お金がたくさんなくても、食べていけるのです。
 ここで暮らすようになって、私の中では「お金がなくなったらどうしよう…」という不安はどんどん減り、「お金は必要だけれど、でもお金がなくても食べることはできるし、なんとかなる」という確かな安心感が生まれています。
 そして、食べていけるという安心感とともに、お裾分けをしあったりお手伝いをしたりする中で生まれる人との温かなつながりが、お金だけでは決して得られない安心を私に与えてくれています。

 便利だけれど「お金」がないと成り立たない現代の暮らしと、手間はかかるし体を動かす必要もあるけれど「お金」がそんなになくても自分の工夫次第で楽しく暮らしていけるネイティブ・ジャパニーズ的な暮らし。
 消費社会の便利さを享受して生きてきた世代である私が、自然相手で過酷な仕事も多く、辛く大変なことも多かったであろう昔の暮らしについて、憧れだけで「もう一度取り戻したい」と言うのはおこがましく野暮やぼというものです。
 それでも、「ないから、買う」「手間だから、できたものを買う」という便利と効率を追い求め、社会全体が消費経済一辺倒になってゆく中で、誰も知らぬ間に失われていってしまった大切なものがあることも事実です。
 その失ってしまったものこそが、「ないから、工夫して作る」「手間だけど、作るのが楽しい」「手間だけど、体を動かすと元気になる」という、暮らしを自分たちで作っていく力、自分たちで食べものを作り、分け合いながら暮らしてゆく知恵なのだと思います。

 浜の暮らしの中でその暮らし方に触れるたび、私は「これこそが自分の知りたかった生き方だなぁ」と深い感動を覚えずにはいられません。
 手作りする暮らしを当たり前のように楽しんでいる浜の先輩たちの姿は、お金に振り回されることなく自由に自分軸で生きることの喜びを、いつでも私に教えてくれるのです。

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はまぐり堂 LIFEマガジン【ネイティブ・ジャパニーズからの贈り物】
執筆担当:亀山理子(はまぐり堂スタッフ / ネイティブ・ジャパニーズ探究家)早稲田大学教育学部学際コース、エコール辻東京フランス・イタリア料理マスターカレッジ卒。宮城県牡鹿半島の蛤浜に夫と動物たちと暮らしながら、はまぐり堂スタッフとして料理・広報などを担当。noteでは浜の暮らしの中で学んだこと・その魅力を”ネイティブ・ジャパニーズ”という切り口から発信中。

掲載中の記事:
はじめに
#1 食べることは生きること(前編)
#2 食べることは生きること(後編)
#3 足元の宝ものを見つける(前編)
#4 足元の宝ものを見つける(後編)
#5 希望をつなぐ (前編)
#6 希望をつなぐ (中編)
#7 希望をつなぐ (後編)
#8 浜のネイティブ・ジャパニーズ(前編)
#9 浜のネイティブ・ジャパニーズ(中編)
#10  浜のネイティブ・ジャパニーズ(後編)

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