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発達障害体験談

幼稚園から中学校 それと最近のこと

高校生の時のことはまた話しましょう。

考えてみれば、いつも周りから浮いていて寂しかったように感じる。小さい頃からいつも天井を見ていた。物心ついた時から空想の中に耽っていた。そうおもう。

今思うと自分のことを周りとは違う宇宙人みたいな物なんじゃないかって思うことがたくさんあったように思う。

幼稚園の時はあまり覚えていないが何かと職員に怒られていたり、園児とよくトラブルを起こしていたらしい。

通院を始めたのもその頃だった。記録を見てみると当時から病院の先生の事を認知していたようだ。覚えているのは寂しかったからなのかダンプカーのトミカを持ち込んで幼稚園の先生に叱られていた事だった。秘密にして欲しいと言われて罪悪感を感じていたように思える。

少し発達が進むと自分のやっていることを自分自身が空想を使って責めるようになっていた。

当時は理由もわからず怒られることに非常にストレスを感じていたのだろう。なんとか自己弁護として空想を使う『工夫』をして凌いでいた覚えがある。当時はクインテットがとても好きだった覚えがあった。それをだんだんと周りを傷つけないための自己否定に使うという『工夫』を幼いながら行っていたことに今とても驚いている。そこまでしてまで周りのことを思い気遣っていたのかもしれない。当時の自分に悪意など全くなかったと思う。周りの人を傷つけることも全く望まなかったはずだ。それなのに相手から拒絶されたり、大人からも叱られたりしていたのだろう。悲しい行き違いは当時からあったようだ。(周りにも悪意は全くなかったと思う)時々、生まれる時代が早すぎたと感じることもあるようだ・・・

自分が周りに対して行っていた『工夫』は長い間世話になっているが、その工夫は結果的に胸を張って使える工夫ではお世辞にも言えなかったと感じる。工夫をすることで自己肯定感を長い時間をかけて下げていることに気づき始めたのがここ数年のことだった。

『工夫』とは

空想や想像力を用いて自分自身を自由に柔軟に変化させることができる能力。

・より深く理解すること
・新しい事を発見すること
・問題解決を目指すもの
・強力な自己実現の原動力
・自他ともに痛みを癒すこと

自分の場合、相手に合わせるための動機や自分のどこが悪かったのか、周りを立てるために使うことも多かったので・・・『周りを傷つけないために自己否定を用いて適応していた』のだろう。
自分の痛みも相手の痛みもすべて自分で処理しようとしていたのではなかろうか・・・・それくらい自分自身の想像力の強さはまだまだ計り知れないのかもしれない。

不調な時には大体、相手を嫌がらせていたのではないか、怒っているのではないのか、悲しんでいるのではないのか、そんなことが普段より気になってしまう。頭も働かないから余計に相手の気持ちを読み取れなくなる。昔から相手の気持ちを読み取ることにとても苦労してきたので、こちらが凄まじい労力を用いて解読しなければいけない状態があった。その要因で小学校の時にとてもいじめというか・・・嫌な思いをたくさんしてきた。
いつも友達と遊ぶのもとても苦労してきたし、話に入ることもなかなか難しかった。トラブルもよく起こっていたし、なんならそれも自分の以前からの行いのせいであり、それを甘んじて受けなければいけないと思っていた。
当時から相手の悪意はすべて自分のせいだってことを感じていた。結果的に教師からも叱責がやはり多かった。幼稚園の時からの工夫をここから現在までずっと使い続けることになるのだが・・・・その時から教室にいられない時間も結構増えてきた。
周りは教室にいられないことを心配していたようだが、自分もそれに応えるように頑張ってきたつもりだ。結果的には今思うと無意識のうちに一人の時間を必要としていたのかもしれない。最終的にはそれに誰も気づけないまま大学生を卒業してきたので・・・かなり大変だったことが伺える。自分が思っていた以上に非常に高いストレスを受けていたのかもしれない。そう思うと二次障害があまりひどくないあたり想像力という工夫が功を奏してたのかもしれない。実際のところはかなりひどいのかもしれないけれども。
父親の指導がエスカレートしてきたのもちょうどその頃だった。
周りの大人から過剰(?)な叱責を受けることも小学校の時から増えてきたように思う。
決して彼らは虐めようとしていたわけでなく、将来が心配だったが故のことだったのだろうが・・・
父親に外に放り出されたことが何回かあった。
本当はソフトボールもあまり好きじゃなかったが、なんとか好きでいようとしていたことが伺える。結構生徒からもいろいろな事を言われていた。(彼らに悪意がないのはわかっているんだ!)それに対してなんとか怒られ慣れようと当時から頑張ってきたんだなと思う。

(帰宅してから執筆しようと思ったのだが、何も思い浮かばない)

寒い。本当に寒さの方が苦手だ。気候の変化ですら体調を崩すことが多かった。結構怪我も多かったし、風も結構頻繁にひどくなることも多かった。何度か入院したこともある。肺炎と骨折で入院していた。5年生の時に口を十数針縫ったこともある。理由のない微熱を出すことも頻繁にあったし、花粉症も当時はもっと酷かった。発熱は当たり前に起こっていたし、頭もとても痛かった覚えがある。慢性的な体調不良も昔からあった。幼稚園の時にもお腹を壊したり、プールで熱を出していたことも頻繁にあった。とにかく藤原は寒い。ここ数年は夏には暑くなり過ぎているので、体調不良もとても多い。自宅はお世辞にも住みやすいとは言えないし、決して安らげる場所ではなく、睡眠にも思えば小学校、幼稚園の頃から悩まされていたようだ。

例えば、幼稚園の時には

当時の寝室は一階にあったのだが、そこから玄関が見えてしまう。そこの家紋がものすごく嫌だった。家紋に襲われることが実際にあった・・・今では家紋に対してはなんとも思わないが、当時は顔に見えて仕方がなく、いつも見られていたような感じがあった。
実は幼稚園の昼寝もものすごく苦手だった覚えがある。あんなもん眠れるわけないやろ。

睡眠障害が出てきたのが小学校の・・・確か3年生ごろだったか・・・宿題に全く集中できないようで、当時の対策は紅茶を飲むことだった。(結局自分にとって自宅自体が学習に向いていないと気づいたのが学校を全て卒業した後だったのだが。)しかし、あまりにも家にいる割には寒すぎるのでそんなところで勉強なんてできるわけがないだろう?冬場の室温が普通に一桁いくし、自分の寝室なんて氷点下行くこともあるんだ・・・

なんていうか、これは難しいことなのかもしれない。でも両親は何もしてくれなかったじゃないか。ただ邪魔していただけで。今もものすごく腹が立つ。昔からお金がないと聞きながら過ごしてきた。自分もどちらかというと周りから見たらお金がない方だと思うが・・・・いつも彼らは将来のことを心配していた。おいふざけるなよ。大学にも行きたかった、ソフトテニスをもっと頑張りたかった、スキーもやってみたかった、たくさん食べたかった、ゲームもしたかった、自分の車が欲しかった・・・・・本当は大事な時に助けて欲しかった。此の期に及んで自分でなんとかしなければいけないのが今とても惨めだし、普通に苦しい。彼らはどうせ『試練』だというだろうが・・・本当にふざけないでほしい。そんな怒りがずっとある。本当はもう限界なんだよ・・・こんなこと書いても周りは不快感を感じるだろうが・・・・大事な時に助けてくれなかったじゃないか・・・・だから自分でなんとかするしかなかったんだ!!!!!!!いい加減にしてくれ!!!!!見守るだけならともかく肝心なところで余計な手出し口出しばかりするからものすごく腹が立つ。

今は昔の反動で結構派手にお金を使っているようだが・・・正直悪くない気持ちである。(後でストレスに対する厳しい戦いだと気づくのであるが、それはまた後日話します。)

今、体験記を書いている時点でだいぶ疲れがあまり回復してない。いつも自分は疲れていたように感じる。話がだいぶ前後してしまった。

なんだかんだで中学校に入学すると、教室の人数も圧倒的に増えてきたので、ものすごく騒がしいことがとても苦痛だった。聴覚過敏による体調不良は昔からあったようだ。しかし、それだけではなく思春期による体調の大幅な変化とそれに伴う凄まじいストレス、周りの就労に対するプレッシャーなどが重なって今思い出してもかなりしんどかった。正直、今考えてもはっきり言って異様だった。中高の大事な時期に就労と進学のことしか考えられなかったこと自体が今でも深い傷を残しているのかもしれない。当時は頭皮の状態が非常に悪く、ニキビやフケがものすごいことになっており、半ば自傷行為になっていたのだろう。周りとの衝突も多く、教室にいられたのは三年間のうち1割あったかどうかだろう。理由のない嫌な気持ちに悩まされてきたのもこの頃だった。当時の工夫としては『自己分析』だった。なぜ嫌なのかの理由を分析するものだったのだが、自分の気持ちによる理由がそもそもなかったこと(体調不良、環境があわなかったことがほとんどの理由)に気づいたのがここ一年だった。当時から家に帰りたくないとポツポツ言っていた覚えもあるし、合わない環境に無理やり適応するための『恐怖を動機にした自己分析』だったので、のちの強迫神経症にもつながっていたのかもしれない。(おそらくチック症状に由来する二次障害なのかもしれない)当時は眠気がものすごくひどく、コンサータを飲んでいたので不眠やイライラ、頭痛や不安症状、癇癪や自傷行為が酷かった。

当時の服薬内容は

コンサータ18mg
リスペリドン おそらく0.5mg(現在は1.5mg)

眠気に関しては実は凄まじい疲労とストレスによるものだっただろう。本当は学校なんて行ってはいけなかったくらいには酷かったと思う。(親に無理やり行かされていたか自発的に親を心配させまいと行かなければいけないと思っていたのかはあまり覚えてない。まあ、どちらもあるだろう)

インチュニブの認可が2017年だったので・・・いつまでコンサータを服用していただろうか。でも副作用が酷く、確か2013年に服用を辞めた気がする。もしかしたら高2まで少量で服用していたのかもしれないけど。

どちらにせよ三年間のほとんどは保健室登校だった。そんな中で高校受験に向けて動いていたのだが・・・教室にいなかったのに高校に受かったあたり勉強自体はできたのだろう。家ではなくほとんど学校の図書館で勉強していた。ただ、ちょっともったいなかったなとは思うけれども。無理して学校に行かなくても良かったかもねと正直思うこともある。

幸いにも部活はソフトテニスがとても好きだったので、なんとか自分を保てていた。しかし、辛いこともたくさんあった。本当に辛かったんだ・・・本当に・・・・(ちょっと色々ありすぎるのですぐに出てこない)

本当に上手くなりたかったのに、県体には最低限でも行きたかったのに、こんなこと言ってもアレかもしれないけど、いいラケットを買って欲しかった、いいシューズが欲しかった。それくらい上手くなりたかった、もっと練習したかった。もっとやらせて欲しかった。何もない、周りと比べても弱みしかなかった、どれだけ頑張っても普通になることすらできなかった自分が初めて夢中に、本気になれたことだったんだ・・・でも、周りは対して真剣にやっていないのになんで僕が一番下なんだよ・・・・本当に命懸けだったんだよ・・・

親はなんでもっと練習しないのとは言っていたけど・・・

ずっとインフルエンザに近い状態で味方もいないコートも借りれない、練習相手も先生もいない、道具もない、おまけに宿題もしなければいけないことを考えたらよくやってる方じゃない?

本当にそこから3番手に上がったのがすごかった、それはマジで誇っていい。おまけに慢性的な体調不良に加えて前衛不足(僕が前衛になってもよかったくらいじゃない?なんでそうしなかったの?)指導者に恵まれなかったこともあった。

みんなはよくやったと言ってくれてるけどさ・・・・・正直腹が立つ。何を今更。みんな僕の邪魔しかしなかったじゃん。高みの見物かな?いつもみんなそうじゃんか。だから信用できない。

そのような感じで昔からそうと鬱の繰り返しが多かった。この時点から回復の兆しが見えてきた。だいたい今のような考えになりがちなのが疲れている時なのだろう。いわゆる絶望の季節というものだが、大体は強く長期間にわたるストレスを受けた時に体調や精神の不調に出てくる。

一例を挙げると

急激なストレス要因

急な予定変更
気候の急激な変化
徹夜やスケジュールなどの生活リズムの変化
いつもと違う対応を求められた時(違う集合場所など)
高圧的な態度を取られた時
何かしらの理由で罪悪感を刺激させられた時
何か新しいことを始めた時

持続的なストレス要因

全体的な人付き合い(特に家族は疲れる)口うるさい両親

ちなみに・・・両親に後で聞いてみた機会があるのだが、本当に彼らもどうしたらいいのかわからないらしい・・・案外そんなものなのかもしれないし、周りから何か言われても自分を責める必要はないと思う。本当に彼らもわからないのだから。

話を戻そう。
長時間の通勤通学
食事の偏り
物音
家にいても適切な室温を確保できない 
頭の中の思考がいつもとまらない

・・・・・昨今の鬱も大きいストレスを受け続けた結果だなと・・・・・

大体心身に不調をきたす時は必ずその前に大きなストレスを受けていたと思う。

これ以降も言うまでもないが自分の人生は非常に多くのストレスと共にあったと言っても過言ではない。

大体は睡眠と音に関係するものだった・・・・

実は普段は気にならないが不調な時に苦痛なリズムがある。自分に音楽の知識はないので具体的に何かとは言えないものの、どちらかというとメジャーなリズム、いわゆる多数派の人が好んで聞くような音楽に対して苦痛を覚えることが多かった。幼稚園の時には子供向けの音楽ははっきり言って苦痛だった・・・今でもみんなが好んで聞くような音楽は合わないと思っている。聞けなくはないが、良さが本当にわからないんだ・・・・正直、キャッチーなものは苦手である。
どちらかと言うとリズムに苦痛を覚えることが多かった・・・・
あとは・・・普通に身の回りの音も情報量が多すぎるんだ・・・人に高圧的に言われたらもう何もできない・・・・やらないんじゃない、本当にできないんだ・・・・極端な話、自分の学生時代や社会人時代はそれを克服するためだけに存在したと言っても過言ではない。事実、人並み以上に怒鳴られてきたし・・・自分でも気づかないうちにその環境を自ら選んできたと思う。

でもできなかった、本当にできないことだったんだ。

本当に今まで抱え込みすぎていたのだろう・・・・・友人との話で思った。

今までやりたいことがあっても先にやらなければいけないことが常にあって、ゲームもアニメも俺は発達障害だから、勉強ができないから、このままだと就職できないから全て諦めてきた。働いていないし、なんの役にも立っていないし、邪魔だと感じているから、好きなことなんてやってはいけない、やる資格なんてないといまだに思っている。だから好きなこともうまくできなくて苦しいし、本当はもっとやりたいけど、また体調を崩すから、明日の業務に支障が出るから、できない。どこかのタイミングでこれ以上は仕事に支障が出るからやってはいけないって思ってしまうのかもしれない。

学生の時はずっと大人の就職というレールに無理やり自分が納得して従っていたが、その先には何もなかった・・・だから今無気力なのかもしれないな。自分の好きなことに対してもついつい結果を求めてしまうように思う。

本当はもっとゲームしたい。本当はもっと絵を描きたい。本当はたくさんプラモデルを作りたい。ウマ娘もしたい。

でもそんなことすると体調を崩すから寝なければいけない。明日の仕事に備えなければいけないから寝なければいけない。お前は社会不適合者なのだから、生まれてはいけなかったのだから、もっと苦しまなければいけない。楽しみなんてもってのほかなのだから。

訪問看護の人と今日話した・・・・

執筆時点で思っていたことをたくさん話していた。その時にはフロー状態になっていたのでなかなか思い出そうとしても思い出せない。話していた内容が・

少なくとも、自分の趣味の話や仕事の話、抱え込んでいることの話をたくさんした。

イラストをたくさん描きたいのに、もっとたくさんしたいことがあるのに、なかなかできないことが多いことで悩んでいたことをたくさん話した。

本当は配信をしたいし、Vtuberとして自分の経験を話したいのに・・・・

歌だってできなくはないのに・・・

本当はいつでもやれるんだ・・・絵の仕事だって、配信のお仕事だって・・・

でも、自分の実力の無さは自分自身が一番わかっているんだ・・・ゲームだって・・・

でも、それをすると周りは心配するし、職場もそれを許してくれないだろうから・・・だからできない。(職場や周りの人たちに尽くしたいのも事実なのだから。)

自分の実力のなさは自分自身が一番よくわかっている。でも、最近はちょっと違うと思うようになったのかもしれない。

歌やイラストは・・・少なくともあるひとはいいって言ってくれるし、ゲームに関してうまいって言ってくれる人はいる方だ。

話は少し逸れるが、例えば、アニメ好きな割にはコミケ行かないんだね・・・というようなことを言われたことは頻繁にあったが・・・看護師さん


と話していて、自分もそんなこと言うのって聞かれた。自分は相手に対してはそんなこと言うのは失礼だと感じているからそんなことは決して言わない。(気づかないうちに言っているかもしれないけれど)でも、自分が言われると嫌なことはついつい許してしまうんだろうな。結構相手から失礼なことを言われたことは頻繁にあったと思う。よく許してきたな・・・そりゃやる気無くしてしまうのもわかるし、これだけイライラするのもとてもよくわかる。

本当に周りのことをいつも最優先にしてきて、自分を紛失することが頻繁にあるのだなと。それが頻繁に起こる体調不良なのだと思う。自分の体の感覚を失うのも、運転の時に車両感覚を失うのも自分を責めてしまうのもこれなのかもしれないな・・・

ちなみに、誰かが

ウマ娘はガチャを回すだけで育成なんてできない・・・本当にこれでいいのだろうか・・・本当にウマ娘に参加する資格はあるのだろうか?

と言ったら間違いなく自分は

十分ウマ娘を愛してくれているし、ものすごく貢献していると思うから大丈夫。育成なんてしていないのにウマ娘をしているのかって言われたらそれは君に対して失礼だよ。


なんてことを話していた。

副業をできる仕事を探してみてもいいかもしれないし、調子のいい時には自分がやりたいことをやはり遠慮なくやれている、罪悪感なく。その時期は間違いなくあるので。

・やっぱり自分のやりたいことに値踏みしない。
・自分を保つ、自分を優先してみる。(周りのことをあまり考えすぎない)
・案外自分はよくできている。自分の想像しているよりもはるかに
・周りのことを優先した後は自分のことを優先すること

確かに、不調な時に限って周りに過剰に尽くしてきたことが多かった。この体調不良も

・急な警備の依頼
・家族サービス
・自分の趣味の時間が取れない
・すなわち、周りに配慮していることが多かった。(それ自体が悪いわけではないが)
・相手の非礼を簡単に許してしまう

ことで起こっていたのだろう。。今までもほとんどそうであった。

今日これに気づけただけでも儲け物だと思う。サウナに行こう。

つづく

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