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ロスの休日/連載エッセイ vol.1

※初出:知事認可・岩手県カイロプラクティック協同組合発行、「ほねっこくらぶ通信 vol.3 (2001年1月)」掲載(原文ママ)。

前世紀の末、などと書くと大袈裟に聞こえるが、早い話去年の暮れ、わたしはかねてからの念願であったアメリカ研修へと旅立った。
それは非常に実りの大きなものであったが、ここでは全行程中、唯一自由行動が許された日のエピソードを披露しようと思う。

他の面々がラスベガスやユニバーサルスタジオへ、オプショナルツアーで出掛けるなか、わたしは同僚と、その現地の友人とともに、車関連のフリーマーケットへと繰り出した。

一通りまわっての感想は、大陸に出掛けた日本人のほとんどが洩らすであろう印象の通り、「でかい」の一言であった。
もちろん会場もそうなのだが、何しろ人がでかい。
見渡せば日本人はおろか、アジア系すら見当たらなく、「逆ガリバー状態」で挙動不審になっている自分が怪しかった。

おまけに売っているものもすごい。
使い古しのドライバーや造りかけのカスタムカー、錆付いた整備用品や車の骨組みが、アジアの街角を思わせるような雑多さで並べられている。
まったく「だれが買うんだ」という世界である。

ところがそんなガラクタたちを、普通の家族連れが笑顔で値切りながら買っていったりするのである。
聞けばそれらを磨き上げて、自宅で組み立て途中のオリジナルカーの部品にするそうだ。
ちょうどよい部品が見つかった、とそのダディは息子に微笑みかけていた。

人々の熱気に包まれながらそんな光景を眺めているうちに、わたしは自分のアメリカ文化に対する「偏見」を恥ずかしく思うようになった。
自分の目の前で繰り広げられているものこそ、まさに「文化」の瞬きではないか。

彼らは「文明」の落とし子たる「クルマ」を自己表現の手段にまで高めることで、「文化」にまで昇華しているのだ。
世界初の大衆車である「T型フォード」を生んだこの国では、車は文化をも乗せて走ることに、わたしは初めて気が付いたのである。

アメリカという国と、その文化を少し見直した一日だった。


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