エマ@元毒親

子供の不登校がキッカケで、子供の気持ちになってみることができ毒親卒業。 しかし待ち受け…

エマ@元毒親

子供の不登校がキッカケで、子供の気持ちになってみることができ毒親卒業。 しかし待ち受けていたのは、、、私の母も毒親だと気づいたこと。 離婚を機に25年ぶりに同居してわかった母の毒、避けていても解決しない辛い日々、 ならば向きあってみようと。今の目標は“母を気にしなくなる”です。

記事一覧

あんたはスーッと大きくなった
と母に言われた記憶があります。
また、私は誰かにこう言った記憶があります。
弟だけでなく私までやんちゃだったら母さんが困るでしょ と。
“親が子の気持ちを大切にする”ところ、
“子が親の気持ちを大切にする”に
逆転していたのだと気付きました。

エマ@元毒親
3か月前
2

大学生息子の卒業式、朝寝坊?起こすかどうか悩んだ話

先日に、卒業式は10時からと息子から聞いていました 大学まで電車とバスを使い1時間以上かかります バスが混むかも、、、と心配していた息子 当日、8時を過ぎても起きて…

エマ@元毒親
3か月前
4

玄関ドアの開閉がうるさい高齢母、特に早朝はご近所にも響く
注意しても「気ぃつけてんねんけどなぁ」と言うばかりで直らない
イライラしながら数年経ち、ふと気が付いた私
(ドアの調節すればいいんじゃないの?)と
調節の仕方を検索して実行→静かな音になりました
一歩引いて見るって大事

エマ@元毒親
3か月前

「母とは航空母艦である」
という考え方はどうでしょう。
子どもたちを戦闘機にたとえて。
社会へ戦いに出た彼らは、疲れたら帰ってきて羽を休めるのです。
それと同時に空母自身も動いており、また、戦闘機のメンテナンスができるように整えておく必要があります。
母にも向上心が大事かと。

エマ@元毒親
4か月前
2

母とはこうあるべき!と思っていた私は“子ども”だったのかも。

私が母に、 母親ならこうあるべきでしょ と思っていたのは、 実は私が自分の立場を“子”として母に接していたから だと考えました。 ♦母って子どもの望みを叶えるもので…

エマ@元毒親
4か月前
6

母の器は、私が思っていたよりずっと小さかったのだ。。。

思っていたより母の器が小さかったと気付くまでは、 母の悪いところを一つ見つけると、 あれもこれもと、たくさん探し、 そのことばかり考えて ネガティブな感情はどんどん…

エマ@元毒親
4か月前
2

認知症のこと、介護のこと 以前ブログに書いていたのを思い出したので、
ここに貼っておきます。
https://simpleisbest2020.hatenablog.com/entry/ninchishou_-5-knowledge
https://simpleisbest2020.hatenablog.com/entry/care-5knowledge

エマ@元毒親
4か月前
1

高齢毒母の乗り越え方を考えてみました

毒親の定義を、 親そのものを指さずに、 自分の中にいるネガティブな親の存在 であると捉えたら、 自分の心の持ちようで、 乗り越えられるかもしれない。 母は高齢とな…

エマ@元毒親
4か月前
2

毒母の呪縛から抜け出すために今日やったこと

考えたくなくても考えてしまうのが辛くて、 じゃあ母のイヤなところ吐き出しちゃえ~ と書き出してみたら、あっという間に24コ書けました。 そのあと書いたものを見返して…

エマ@元毒親
4か月前
5

言わないけれど実は“毒親持ちで辛い”って人、結構いるんですね

私、自称、元毒親です。 今は毒母と同居の身、生き辛さを感じながら暮らしています。 母は高齢ということもあり、今から別に住むことも諦めようかなと。 それはさておき…

エマ@元毒親
4か月前
27

【毒親の定義】不安が強く、強迫観念(こうでなければいけないという強い思い込み)から子どもをコントロールしがちで、子どもの気持ちを思いやれない親。
(「気づけない毒親」高橋リエ著 より)
うちの母、これだ、、、

エマ@元毒親
4か月前
1

25年ぶりに親と同居して、母は毒親だったのだと気づいて。そういえばあの時も…と、たくさん思い出すのでした。

気づかなかった、いや気づこうとしなかったのですその時までは。 母が実は毒親だったなんて、、、 この世に産まれてから一番最初に出会う人は母、それも毎日。 私より何で…

エマ@元毒親
4か月前
3

不登校の息子の心が知りたくてもがいた末、毒親から脱出しました。

小5から中3の間、不登校だった息子、 今ではカウンセラーを目指し、春から大学院へ。 ちなみに上の子(娘)は他府県に一人暮らしを始めており、 やりたいこと全部やる! …

エマ@元毒親
4か月前
10

あんたはスーッと大きくなった
と母に言われた記憶があります。
また、私は誰かにこう言った記憶があります。
弟だけでなく私までやんちゃだったら母さんが困るでしょ と。
“親が子の気持ちを大切にする”ところ、
“子が親の気持ちを大切にする”に
逆転していたのだと気付きました。

大学生息子の卒業式、朝寝坊?起こすかどうか悩んだ話

大学生息子の卒業式、朝寝坊?起こすかどうか悩んだ話

先日に、卒業式は10時からと息子から聞いていました
大学まで電車とバスを使い1時間以上かかります
バスが混むかも、、、と心配していた息子

当日、8時を過ぎても起きている気配がありません
私はもうすぐ出勤のため家を出ます

息子の部屋のドアはいつも閉じられており、
用があるならLINEで伝える
というルールがあるので
ノックするのもためらわれるのでした

今まで朝寝坊など気にならなかったのになぜ…

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玄関ドアの開閉がうるさい高齢母、特に早朝はご近所にも響く
注意しても「気ぃつけてんねんけどなぁ」と言うばかりで直らない
イライラしながら数年経ち、ふと気が付いた私
(ドアの調節すればいいんじゃないの?)と
調節の仕方を検索して実行→静かな音になりました
一歩引いて見るって大事

「母とは航空母艦である」
という考え方はどうでしょう。
子どもたちを戦闘機にたとえて。
社会へ戦いに出た彼らは、疲れたら帰ってきて羽を休めるのです。
それと同時に空母自身も動いており、また、戦闘機のメンテナンスができるように整えておく必要があります。
母にも向上心が大事かと。

母とはこうあるべき!と思っていた私は“子ども”だったのかも。

母とはこうあるべき!と思っていた私は“子ども”だったのかも。

私が母に、
母親ならこうあるべきでしょ
と思っていたのは、
実は私が自分の立場を“子”として母に接していたから
だと考えました。

♦母って子どもの望みを叶えるものでしょ?

なんで私の話を最後まで聞かないの?
あなたは私の母親でしょ?
子どもの話をちゃんと聞くべきじゃないの?
何を言おうとしてるのか分かりたくないの?

やろうとしてることに水を差すようなこと言わないでくれる?
やってることに口出

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母の器は、私が思っていたよりずっと小さかったのだ。。。

母の器は、私が思っていたよりずっと小さかったのだ。。。

思っていたより母の器が小さかったと気付くまでは、
母の悪いところを一つ見つけると、
あれもこれもと、たくさん探し、
そのことばかり考えて
ネガティブな感情はどんどん大きくなっていました。

顔を見るのも辛く、
同居ではあるけれど、できるだけ避けて過ごす
ということをしてきました。

でももう限界、、、
何とかしないと私がつぶれてしまう、、、
嫌い嫌いと思っていると、
ますます嫌いになっていく自分が

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高齢毒母の乗り越え方を考えてみました

高齢毒母の乗り越え方を考えてみました

毒親の定義を、
親そのものを指さずに、

自分の中にいるネガティブな親の存在

であると捉えたら、
自分の心の持ちようで、
乗り越えられるかもしれない。

母は高齢となり、
私もそれなりの年齢となった今、
母が私にとやかく言うこともなくなってきてるし。

ならば今がチャンス
自分の心と向き合ってみようと
思うのでした。

♦今、何が辛いのか

今まで母に支配されていたのだと気づき、
いろんなイヤだ

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毒母の呪縛から抜け出すために今日やったこと

毒母の呪縛から抜け出すために今日やったこと

考えたくなくても考えてしまうのが辛くて、
じゃあ母のイヤなところ吐き出しちゃえ~
と書き出してみたら、あっという間に24コ書けました。

そのあと書いたものを見返してみると、

これは性格だから変えられないな…
高齢だから仕方ないか…
って。。。

やっぱりこのまま時が過ぎていくのだろうか
と諦めつつ、買った本を読んでみました ↓

「親を憎むのをやめる方法」ってハマり過ぎでしょ。
でも数冊読んで

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言わないけれど実は“毒親持ちで辛い”って人、結構いるんですね

言わないけれど実は“毒親持ちで辛い”って人、結構いるんですね

私、自称、元毒親です。

今は毒母と同居の身、生き辛さを感じながら暮らしています。
母は高齢ということもあり、今から別に住むことも諦めようかなと。

それはさておき、世の中には、私のように毒親に苦しむ人たちが
たくさんいることを知りました。
毒親に関する本を数冊読んだり、YouTube を見るなどして
視野が広がり、苦しいのは私だけじゃないんだと知りました。

毒親を取り上げたドラマやコミックなど

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【毒親の定義】不安が強く、強迫観念(こうでなければいけないという強い思い込み)から子どもをコントロールしがちで、子どもの気持ちを思いやれない親。
(「気づけない毒親」高橋リエ著 より)
うちの母、これだ、、、

25年ぶりに親と同居して、母は毒親だったのだと気づいて。そういえばあの時も…と、たくさん思い出すのでした。

25年ぶりに親と同居して、母は毒親だったのだと気づいて。そういえばあの時も…と、たくさん思い出すのでした。

気づかなかった、いや気づこうとしなかったのですその時までは。
母が実は毒親だったなんて、、、

この世に産まれてから一番最初に出会う人は母、それも毎日。
私より何でもできて、何でも知ってる
そりゃそうですよね、大人なんだから。
当たり前のことなんだけど、小さかった私には、
母は何でもできるすごい人だったのです。

だからずっと頼って生きてきたし、
母の言うこと・やることは間違いないと思ってました。

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不登校の息子の心が知りたくてもがいた末、毒親から脱出しました。

不登校の息子の心が知りたくてもがいた末、毒親から脱出しました。

小5から中3の間、不登校だった息子、
今ではカウンセラーを目指し、春から大学院へ。
ちなみに上の子(娘)は他府県に一人暮らしを始めており、
やりたいこと全部やる!
と、生きる力をつけているところです。

さて、不登校の息子とどう接したか
これはとても難しかったです。
教育相談に通う、ウェブで検索、書籍を読む、DVD購入など
息子の心を知りたくていろいろやってきました。
その中で、
「はっ!私これや

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