中嶋宏行

美術家。千葉県出身。書の特徴である「身体性」や「自然性」「一回性」に根差し、30代… もっとみる

中嶋宏行

美術家。千葉県出身。書の特徴である「身体性」や「自然性」「一回性」に根差し、30代から現代アートの制作を続けています。制作への思いだけでなく、日々の暮らしで感じた覚え書きも記していけたらと思っています。 https://www.nakajimahiroyuki.com/

最近の記事

Short movie: NAKAJIMA HIROYUKI ARTWORKS

さっきから盛んに何か言われているのだが、さっぱり分からない。 その時僕は、観光客で賑わうローマのスペイン広場から程近いギャラリーにいた。 ここは現代アートの老舗画廊、Studio Soligo。 イタリア流の身振り手振りでも伝わらず、向こうもとうとうお手上げ状態に。 翌日、僕をここに紹介してくれた桜田裕子さんとともに再訪する。 あらためて話を聞いてビックリ、来年ここで僕の個展をやろうと言われていたのだ。 天にも昇る心地だった。 1999年10月、すべてはローマか

    • 脱構築によって生まれたシリーズ 「身体の声を聴く」

      二項対立と脱構築 二項対立、そこには相反する二つの概念が存在します。善と悪、富と貧、白と黒、男と女、光と闇、生と死など、二つが互いに対立している状態を示す論理が二項対立。脱構築はこの二項対立の矛盾を突いてその権威を弱体化させます。二項対立には前項が後項より優位にあるという階層関係がひそんでいて、これが時にレイシズムやジェンダーバイアスの温床になってきました。しかし、そもそも後項がなければ前項は存在できません。脱構築は二項対立という既存の体系に揺さぶりをかけ、この階層関係を上

      • 気候変動で、この50年に野生生物が3分の1以下に激減

        今が最後のチャンス 気候変動などの影響を受けて絶滅の危機に瀕している野生生物は増え続け、生物多様性の危機は一層深刻になっている。この50年間で動物の個体数が平均して70%近く減少していることが明らかになった。(世界自然保護基金・WWFの報告 2022年10月) 地球の全人口はこの半世紀で40億人以上増加したが、この間、野生生物は3分の1以下に激減したことになる。多くの科学者は恐竜の時代以来、私たちは地球上で最も多くの動植物が失われている時代を生きていると訴えている。報告書は

        • 不測の画材、墨。 画面は自然現象を喚起する場となる。

          自然の作用と寄り添う 墨と水が出会うと魔物に変わる。にじみやたまりは変幻自在で決して思い通りにはいかない。だからこそ飽きない。我を出し過ぎてはいけない。自分の仕事は半分まで、後の半分は素材がもつ自然の力にゆだねる。筆を置いた瞬間が完成の時ではない。素材に宿る自然の力を借りて作品を仕上げていく。 筆を置くと、墨は私の手を離れて紙の上をゆっくりと滲みはじめ、やがて乾いてぼかしを残します。これは不測の現象です。でも、だからといって抑え込むようなことはしません。技術は自然を制御し

        Short movie: NAKAJIMA HIROYUKI ARTWORKS

          「書」は凍ったアクション。 佳作は手足からふと生まれる。

          120点の佳作、それは手足からふと生まれるもの 画家の多くは立て掛けたキャンバスと相対しますが、私は紙を床に敷き裸足でその上に立ちます。画面に向き合うのではなく、画面の中に自ら入り込み、手足を使ってアクションの軌跡を紙にしるします。こうすると頭よりむしろ身体が強く介在するので、思惑を超えた何かが起きることがあります。確かに自分が書いたのだがどうもその実感がない、でもよく見ると凄くいい、そんな感覚です。事前に青写真があると、どんなに出来が良くても結果は100点止まり。でも予期

          「書」は凍ったアクション。 佳作は手足からふと生まれる。

          1000の「生」が集まって一羽の蝶になる。

          パンデミック宣言の後、4年ぶりに花火を見に行きました。久しぶりの花火はすっかりカラフルで豪華に。でもやっぱり黒色火薬のシンプルな色合いに惹かれます。夜空に花を咲かせる艶やかさ、パッと開いて一瞬で消える儚さ。どちらも花火の魅力だと思うけれど、僕は後者を取りたい。画像は、かつて花火から着想を得て製作したシリーズ「蝶」の一点。 「蝶」 「生」の一字はどこかの誰か 「生 」の群れは蠢(うごめ)く社会 蝶は生涯の最後に美しい姿を見せる After the declaration o

          1000の「生」が集まって一羽の蝶になる。

          いろいろな人がいて、世界が出来ている。

          世界各地の紙に書かれた文字は「生」の一字 世界は今を生きるいろいろな人で成り立っている ちょうど4年前の今日、香港で「生/LIFE 」展がはじまりました。「いろいろな人がいて世界が出来ている」という思いから、小さな紙に「生」の字をたくさん書いてみたいと漠然と考えていた。手元の画仙紙に書いているうちに他の紙も試したくなる。そうだ、世界の紙を使ってみよう。ネットで海外の紙を物色しているといろいろな画材が目に入って来る。墨にこだわらずアクリルや染料、木炭、パステルでも書くことにな

          いろいろな人がいて、世界が出来ている。

          他国の戦争でミサイルや弾薬が売れる、それでも経済は成長する。--私たちの矛盾 2--

          私たちの矛盾 2Contradictions in our life 2 水や空気が汚れ、浄水器や空気清浄器が売れる、 犯罪が増え、防犯カメラが売れる、 温暖化が進み、エアコンが売れる、 他国の戦争でミサイルや弾薬が売れる、 それでも経済は成長する。 An economy can grow, even if water and air are polluted, leading to the sale of water/air purifiers, even if cri

          他国の戦争でミサイルや弾薬が売れる、それでも経済は成長する。--私たちの矛盾 2--

          ウィトゲンシュタインは言語の限界が世界の限界だと言った。

          かつてウィトゲンシュタインは「言語の限界が世界の限界だ」と言った。私たちは言語によってものを考える以上、 その思考は言語によって制約される。言語の限界が認識の限界となる。 日本語と英語の違い 海外でワークショップをする時、「腰を落として」とか「腰を使って」とか、説明の中で「腰」という言葉を頻繁に使う。だが日本語の「腰」にぴたりと当てはまる英語が見当たらない。”waist” や “hip” ではピタリと来ない。 "back" は腰を含めた背中全体を指すのでこれもいま一つ。総

          ウィトゲンシュタインは言語の限界が世界の限界だと言った。

          グルメの画像はシェアするが、必要な食料はシェア出来ない。--私たちの矛盾--

          私たちの矛盾Contradictions in our life グルメの画像はシェアするが、 必要な食料はシェア出来ない。 We can share pictures of gourmet food, but we can't share food. 情報は溢れているが、 想像力は枯渇している。 Information is overflowing, but imagination is drying up. 便利になったが、 時間に追われている。 Our li

          グルメの画像はシェアするが、必要な食料はシェア出来ない。--私たちの矛盾--

          AI 雑感

          自動運転システム 運転中、目の前に突然大きな岩が落ちて来て道をふさぐ。 とっさにハンドルを切るが、切った先には歩行者がいる。このままでは間違いなく歩行者を轢いてしまう。この状況で自動運転システムはどう働くのか? そもそもクルマの自動運転はどちらの安全を優先すべきなのか。ドライバーか、それとも歩行者か?自動車メーカーは顧客第一だからドライバーの安全を優先するのだろうか。あるいはドライバー自身に選択を委ねるべく、2 つのプログラムを用意するかもしれない。道徳的にみれば、歩行者の

          現代のSNSは古代ギリシャの洞窟に似ている。

          プラトンの「洞窟の比喩」。縛られた囚人たちは洞窟の壁に映し出された影しか見ることが出来ない。彼らはその影こそが現実だと信じ、その影の中に理想の生活を見出すよう仕向けられる。だがその影を映しているのは誰か? 洞窟の外にある真実とは何か? 現代のSNSは古代ギリシャの洞窟に似ている。現代人は縛られていないし、洞窟に閉じ込められてもいない。確かに我々は囚人ではないが、しかしスマホの虜になっている。SNSには偏見と分断、ミスリードがある。情報はアルゴリズムによって見るものに都合よく

          現代のSNSは古代ギリシャの洞窟に似ている。

          地球の化石 2

          中世の時代、西洋絵画は教会や宮殿のためのものだった。教会の絵画はキリスト教の世界を描き、文字の読めない信者にも聖書の教えへ伝えた。宮殿の壁には王侯貴族の肖像画が飾られた。 フランス革命以降、絵画の主題は特権階級から一般の人々へと変わり、19世紀の画家たちは見えるものを見えるように描くリアリズムという様式で市井の暮らしや物、風景をあるがままに描いた。 その後20世紀の始まりと前後して、画家たちは見えるものをリアルに描かず、見えるものを感じたままに表現するようになる。写真の発明が

          地球の化石 2

          地球の化石

          床いっぱいにキャンバスを広げ、墨を入れたグラスを手に裸足で画面に踏み込む。頭を空にするとやがて身体の声が聴こえてくる。身体は太極拳の動きとなり、手足が円弧を描く。グラスの墨はパッとキャンバスに飛び散り、そこに線と形が現前する。 グラスを置くと、墨は生き物のようにキャンバスの上をさまよい、溜まる。後はただ待つのみ。時間と自然を味方につけたいと願いつつ。幾晩かして墨が乾くとそこに不可思議な模様が残る。まるで目の前に地球の化石が現れたように。その瞬間、母なる大地は何千年の時を超えて

          地球の化石