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初老の階段昇る ぼくはまだ壮年期さ

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初老の階段昇る ぼくはまだ壮年期さ

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ソウル・ケーシー高峰2010

頻尿にいたるメカニズムですが これ様々な原因があるわけですね。 加齢であったり、神経性のものだったり 細菌感染によるものだったりと。 たかだかおしっこが近いといって…

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ハードコアパンクと私 16

文化祭のステージは良かった、凄かったなんて意見もありましたが ワケわかんなかった、汚い人たちだったなんてネガティブな 意見もありました。 そりゃあピラニアボーイ! …

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ハードコアパンクと私 15

バンドのメンバーとハヤシ君を交えてミーティングをしました。 「おれ最前列でガンガン盛り上がるからさ!ハヤシとやってくれよ!」 とシゲオ君。 こうしてシゲオ君は脱…

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ハードコアパンクと私 14

1985年夏休み明け。 先生に許可を貰って音楽室で合同練習を始めました。 休みの日はシゲオ君がドラムを習ってたヤマハの教室へ 行って合わせたりしてました。 まあ全員ズ…

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小山卓治”YELLOW WASP ” 2001

盗んだバイクにまたがって 女をケツに乗せて走りだした 浦安のボーリング場の 駐車場で決闘が始まる 夜の9時コンビニの前 集まったバイクと車の群れ 急げばまだ間に合うは…

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ソウル・ケーシー高峰2009

「低迷中の日本、終わらない不況。 先の見えない将来への不安。 そんな景気と反比例して、ついつい酒量が増え アルコール依存症になってしまう方も 少なくないと聞いており…

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ハードコアパンクと私 13

1985年の夏。 バンドは夏休み中は課題曲を練習して 夏休み明けに全員で合わせるみたいな予定でした。 竹中出身のシゲオ君にTHE STALINを教えた張本人ヨージ君(別の高校…

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ハードコアパンクと私 12

1985年。 東京でひとり暮らしを始めた兄はハードコアパンクバンドを結成し、 髪を金色に染め上げました。 今でこそ金髪の若者なんて珍しくないですけど 1985年に金髪にす…

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リップ・ヴァン・ウィンクルの話って知ってます?

寝ますか?寝る前にお話しひとつしてあげますよ。 リップ・ヴァン・ウィンクルの話って知ってます? いい名前でしょ、リップ・ヴァン・ウィンクル。 彼がね、山へ狩りに行…

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ハードコアパンクと私 11

1984年。 部活をやってなかった僕は放課後にアルバイトを始めます。 毎月のように欲しい新譜は出るし、 ラモスカ(ってパンクショップ)で通販したいし、 買い食いとかも…

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鶯谷陰獣派

鶯谷っていう山手線の駅はご存知でしょうか。 南口を出て右側、山手線の内側には 博物館や美術館などが密集するアカデミックな地区、 南口左側、北口、山手線外側にはひし…

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ハードコアパンクと私 10

新入生歓迎会が終わり、教室へと向かう渡り廊下で シゲオ君に「スターリン好きなんだ?」って話しかけ それ以来つるむようになりました。 よく話を聞いてみるとシゲオ君は…

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ソウル・ケーシー高峰2007

よく大工さんが口に釘をくわえてから叩いてますよね。 あれは釘に唾液を付着させることによって 腐食の進行を早め、抜けにくくしてるんですね。 それよりももっと強力で確…

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ハードコアパンクと私 9

はー、こんなシーサイド田舎シティでもスターリンのカバーとか する人いるんだーって観てたら、僕の隣の隣に座ってた同級生が 座ったまま頭を振り、バンドと一緒に歌い始め…

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ハードコアパンクと私 8

1984年。 受験に対してふざけた心構えで挑んでいたのですが なんとか地元の高校に滑り込むことが出来ました。 (そもそもそんなにレベル高いとこじゃないから) 入学し何…

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ハードコアパンクと私 7

1983年。 "OUTSIDER"V.A.はカセットテープに録音されたもので初めて聴きました。 都心で暮らしていた兄は日本のハードコアパンク第一世代の波を モロに受け、ライブハウス…

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ソウル・ケーシー高峰2010

ソウル・ケーシー高峰2010

頻尿にいたるメカニズムですが
これ様々な原因があるわけですね。
加齢であったり、神経性のものだったり
細菌感染によるものだったりと。
たかだかおしっこが近いといっても
例えば前立腺の癌かもしれないっていう
可能性なんかもあるんですね。

仕事してる方なんかは大変ですよね。
オフィスかなんかで―
どうしても手が離せない、
トイレに行く暇がないほど忙しい、
あるいは『あいつまた小便か』なんて
思われる

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ハードコアパンクと私 16

ハードコアパンクと私 16

文化祭のステージは良かった、凄かったなんて意見もありましたが
ワケわかんなかった、汚い人たちだったなんてネガティブな
意見もありました。
そりゃあピラニアボーイ!
(何だあいつら汚いカッコ、バッカじゃないの、
 ガチャガチャうるさいうるさい!)

1986年

兄はハードコアパンクバンドを解散し、新たなバンドを組みました。
そのバンドのデモを聴かせてもらったんですけど
バニーメン風・・・ってゆうか

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ハードコアパンクと私 15

ハードコアパンクと私 15

バンドのメンバーとハヤシ君を交えてミーティングをしました。

「おれ最前列でガンガン盛り上がるからさ!ハヤシとやってくれよ!」
とシゲオ君。

こうしてシゲオ君は脱退し、二代目のドラマーはハヤシ君になりました。

もう文化祭まで2週間を切っています。
放課後は毎日練習です。

ところでステージ衣装。
制服でもいいんですけどやっぱりパンクバンドなので
それっぽくしたいところです。

僕は黒スリとラモ

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ハードコアパンクと私 14

ハードコアパンクと私 14

1985年夏休み明け。

先生に許可を貰って音楽室で合同練習を始めました。
休みの日はシゲオ君がドラムを習ってたヤマハの教室へ
行って合わせたりしてました。

まあ全員ズブズブのド素人なのでそんな簡単に
まとまるわけありません。
あの溜まり場の主、吹奏楽部のハヤシ君はそんな僕らを
気にしてて練習を見に来て、ここはもっとこうした方がいいとか
助言してくれてました。
特にドラムは多少経験があったようで

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小山卓治”YELLOW WASP ” 2001

小山卓治”YELLOW WASP ” 2001

盗んだバイクにまたがって
女をケツに乗せて走りだした
浦安のボーリング場の
駐車場で決闘が始まる
夜の9時コンビニの前
集まったバイクと車の群れ
急げばまだ間に合うはず
5月28日のこと
俺や仲間達は
いつでもこう呼ばれる
残留孤児2世
黄色いワスプの住んでるこの国じゃ

暗闇の駐車場の隅
俺達は族に囲まれた
ナイフや曲がった鉄パイプ
キラリと光って襲いかかる
殴られて必死に逃げて
迷いこんだ袋小

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ソウル・ケーシー高峰2009

ソウル・ケーシー高峰2009

「低迷中の日本、終わらない不況。
先の見えない将来への不安。
そんな景気と反比例して、ついつい酒量が増え
アルコール依存症になってしまう方も
少なくないと聞いております。

アルコール依存症も症状が進行していくと
もうところかまわず飲みたくなるわけですね。
しかし会社に行けば上司や同僚、
家に帰れば家族や恋人に飲酒をたしなめられる
なんて状況の方もいるんですよね。
ま、ま、それで断酒が出来ればこれ

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ハードコアパンクと私 13

ハードコアパンクと私 13

1985年の夏。

バンドは夏休み中は課題曲を練習して
夏休み明けに全員で合わせるみたいな予定でした。

竹中出身のシゲオ君にTHE STALINを教えた張本人ヨージ君(別の高校)と
シゲオ君の紹介で出会い、意気投合して同じ海の家で
バイトすることになりました。

「バンドの曲、何演んの?」
「オリジナルが2曲位であとは白(KURO)の"絶望"、
 ラフィンの"I CAN'T TRUST A WO

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ハードコアパンクと私 12

ハードコアパンクと私 12

1985年。

東京でひとり暮らしを始めた兄はハードコアパンクバンドを結成し、
髪を金色に染め上げました。

今でこそ金髪の若者なんて珍しくないですけど
1985年に金髪にするのはまだまだ気合が必要な頃です。
街宣車で演説する右翼から「こら!そこの金髪!この非国民!」なんて
罵声を浴びせられる時代です。(このエピソードはアナーキーのマリ氏)
詳しく聞いたことないんですけど仕事とかどうしてたんでしょ

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リップ・ヴァン・ウィンクルの話って知ってます?

リップ・ヴァン・ウィンクルの話って知ってます?

寝ますか?寝る前にお話しひとつしてあげますよ。
リップ・ヴァン・ウィンクルの話って知ってます?
いい名前でしょ、リップ・ヴァン・ウィンクル。
彼がね、山へ狩りに行ったんですよ。
山へ狩りに。

そこでね、小人に会ったんです。
何ていう名前の小人だったか忘れましたけどね。
随分昔の話だから。
とにかくその小人に会ってウィンクルはお酒をご馳走になったんですよ。
そのお酒があまりにも美味しくて、どんどん

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ハードコアパンクと私 11

ハードコアパンクと私 11

1984年。

部活をやってなかった僕は放課後にアルバイトを始めます。
毎月のように欲しい新譜は出るし、
ラモスカ(ってパンクショップ)で通販したいし、
買い食いとかもしなきゃいけないしで
薄い小遣いじゃ話にならなかったからです。

スーパーとかディスカウントショップとか
平日の夕方3時間くらいだったんですけど
あんなに時間が経つのが遅いって思った経験は
なかったですね。

大人になって8時間とか

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鶯谷陰獣派

鶯谷陰獣派

鶯谷っていう山手線の駅はご存知でしょうか。

南口を出て右側、山手線の内側には
博物館や美術館などが密集するアカデミックな地区、
南口左側、北口、山手線外側にはひしめき合うラブホテル、
店舗の無いディープな風俗店、チープな飲み屋、
今は無いけど豪華な作りのグランドキャバレー、
吉原ソープの送迎車。

表もあれば裏もあるを体現したような駅です。

僕は二十歳前後の頃、4~5年鶯谷で過ごしていました。

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ハードコアパンクと私 10

ハードコアパンクと私 10

新入生歓迎会が終わり、教室へと向かう渡り廊下で
シゲオ君に「スターリン好きなんだ?」って話しかけ
それ以来つるむようになりました。

よく話を聞いてみるとシゲオ君はパンクバンドは
スターリン位しか知らなかったようでした。
近所にパンク界隈に詳しいヨージ君っていう同級生がいて、
教えてもらったそうです。

この頃、シゲオ君はTHE STALINの"アレルギー"っていう
シングルレコードを買って(A面

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ソウル・ケーシー高峰2007

ソウル・ケーシー高峰2007

よく大工さんが口に釘をくわえてから叩いてますよね。
あれは釘に唾液を付着させることによって
腐食の進行を早め、抜けにくくしてるんですね。

それよりももっと強力で確実な方法があるんですよ。
今日はそれをお教えしましょう。
まず釘を温めます。
そんなに熱くなく、手で持てる位。
温めたら釘とミンチを絡めます。
牛豚鶏なんでもいいです。
絡めたらすかさず打ち込みます!

これだけの事でもう木材と釘が一体

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ハードコアパンクと私 9

ハードコアパンクと私 9

はー、こんなシーサイド田舎シティでもスターリンのカバーとか
する人いるんだーって観てたら、僕の隣の隣に座ってた同級生が
座ったまま頭を振り、バンドと一緒に歌い始めました。
僕の隣の同級生が「え、なに、(このバンドの)知りあい?」と
僕の隣の隣の同級生に問いかけました。
「知らない!この曲好きだからバックアップ!」って
隣の隣の同級生は頭を振りながら歌い続けます。

隣の隣の同級生は入学当時からスパ

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ハードコアパンクと私 8

ハードコアパンクと私 8

1984年。

受験に対してふざけた心構えで挑んでいたのですが
なんとか地元の高校に滑り込むことが出来ました。
(そもそもそんなにレベル高いとこじゃないから)

入学し何日かして新入生歓迎会ってイベントが開催されました。
2年生、3年生の先輩が新入生のために余興をするっていう
いかにもだるそうな会です。

昼休みが終わった後、新入生は体育館に集められました。

4組くらいの演者が出てたと記憶してい

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ハードコアパンクと私 7

ハードコアパンクと私 7

1983年。
"OUTSIDER"V.A.はカセットテープに録音されたもので初めて聴きました。

都心で暮らしていた兄は日本のハードコアパンク第一世代の波を
モロに受け、ライブハウスで今はもう伝説になっている人たちの
ライブを目撃し、日本の自主盤や海外のハードコアパンクのバンドの
輸入盤を買いあさりはじめました。

弟思いの優しい兄は買った音源でいいものがあるとカセットに
ダビングして送ってくれる

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