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「何もしない」という選択肢

「何もしない」


一見ローカロリーで消極的な選択肢・・・どころか選択肢に含まれない行動の様にすら思えてしまう訳ですが、年齢、または経験を重ねるにつれてとても重要な選択肢の1つであることがわかってきます。

「無能な働き者」という言葉をご存知でしょうか?

私自身の理解としては能力や判断力が伴っていない者が根拠のない思い込みや理性を飛び越えた感情から行動し、場を掻き回す姿を示す言葉です。

皆さんも似た経験があるのではないかと思うのですが・・・例えば職場等で行動力“だけ“がある人が思いつきであれこれ騒いだ為に、かろうじて支えていた均衡が一気に崩れ全体が崩壊に向かう様を(;´Д`)

行動力はたしかに大切なのですが、何故か目的と手段が逆転してたり周囲が乗り気でないと該当者を吊し上げて分断化(恐ろしい事に故意ではない)をはかったりともはや人災です。


ここでもう一つ取り上げたい言葉があります。

「やらない善よりやる偽善(しない善よりする偽善)」

というものです。私はこの言葉や行動に好意的なのですが、「無能な働き者」とだけは混ぜてはいけない組み合わせだと思っています・・・混ぜるな危険です!

「無能な働き者」が「やらない善よりやる偽善」という武器(大義名分)を得ると恐ろしい被害を撒き散らします。

それが視覚化されるのが今回の様な震災・災害時です。人々の「助けたい」、「手を差し伸べたい」という願いを燃料にして「無能な働き者」が最前線(物理的な意味に限らない)に負荷を撒き散らします。

誤解を招く前に注釈を入れますが、常に現場が正しい、公的機関が正しいと迄は言いません。それでも最前線で奮闘する彼(女)等はプロであり素人の我々とは一線を画したスキルを持っています。

対応が遅いという場合も「何もしない(出来ない)」の真っ最中だったりも

そこにズブの素人、または能力があろうとコミュニケーションが取れない者が乱入するとその対応に人手を割く事や配慮を求められる事となり限られた現場のリソースが磨り潰されてしまいます。


「何もしない」



という行動について、この様な状況だからこそ足元から見直すべきだと思います。勿論私も含めて。

人を救いたいという感情は尊く奇跡さえ生み出すエネルギーでもありますが、使い所を間違えれば無駄になるどころか下手をすると間接的に人を殺します。

個人の行動を止める術は無いですが、やるにも後押しするにもその選択肢の中に「何もしない(我慢する)」をどうか加えて欲しいと願います。

別に最後迄「何もしない」訳では無いのですから。



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