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無知はそれほど罪ではないのに大罪へと昇華させてしまう人達

世の中知らない事ばかりです。

「無知は罪」って言葉がありますが、これってかなり圧が強い言葉で自分に向けて投げかけられた言葉ではなくてもちょっと身構えてしまいますよね。

それだからか過敏に反応する方も多いと思います・・・キツめの言葉を投げたら包丁で刺しにくる過剰防衛的な感じで(;´Д`)

でもこの圧力のある言葉は無遠慮にぶつけられる類のものではなく、ある程度手順を踏んだ末の一線を超えた段階で投げかけられるものだと個人的には思っています。

それを言葉にすると「無知な自分を差し置いて物事を知ろうともせずに声高な主張をする者は罪」です。

要は知らない事を学ぼうとしないまま根拠のない主張をする人は害悪という感じでしょうか?(;´Д`) コンカイ ヨウシャナイネ


知識を得るには「時間、繋がり、資産、機会、etc…」と自分の力だけでは解決できない要素が多々あります。勿論努力や立ち回りである程度改善できますが、それでも限界はあります。

だから人間は知っている事もあれば知らない事もある訳で、万物を知る神様(神様の存在証明の話には飛びません)とは違います。

だから無知の時点では状況にもよりますが言われる程「罪」ではないと個人的には思うのです。

でも何故か知らない事に手を挙げる人を見て・・・または知らない事を指摘されると瞬間湯沸かし器の様な反応を起こす人は少なくないです。

これは個人の問題でもあるのですが、社会的な背景も大きく絡んでくるとは思います。

社会的な背景については別記事で取り上げたいのでここでは「瞬間湯沸かし器の様な反応」をあくまで個人の資質として扱おうと思います。


<宜しくない結果に繋がる話>


それはそうと震災や何等かの大きな物事が起きると「何故こうしないんだ!」等の意見が飛び交いますよね。

その場合の提言者は大抵浅い知識の方が多い印象です。

特に現代ではSNSによって気軽に意見出来、同時にリアルタイムで真偽判定されるので可視化が顕著だと思います。

真偽判定されても物事が上手くいかない、または真偽判定自体が難しい状況については別記事で取り上げたいと思います。

毎度お馴染み生産性のない議論(殴り合い)を眺めていると思うことがあります。

(思想的な背景から扇動その他を行う人間は除くとして)何故「〜すべき!」等の命令型ではなく「〜は有効だと思うのですが如何ですか?」の提案型に出来ないのかなと。

命令・・・人に強く指示する行動は軋轢を生みますし何より命令として受け入れるだけの積み重ねた信用や知見による説得力が必要となります。

説得力がないと見も知らぬ人が唐突に
道端で演説を始めるようなものです。

これが欠けていればその意見に例え鼻で笑うには惜しい要素があったとしても、既に感情的な縺れがある為全否定されるのがオチです。

中には本当に自分の事を軍師様と勘違いしている方もいるとは思いますが、多くの人は思い付いた事をただストレートにぶつけているだけだと思います。その根底には優越感や承認欲求もあるとは思いますが、単純に「なんでこんな事に気が付かないんだ!」とのやるせない気持ちが混じってはいる筈です。

ですが言い方一つでそのやるせない気持ちから出た好意(誤字ではない)を無駄にしているのですから虚しいとしか言えません。

一言「〜はどうだろう?」と提案すれば周囲も受け入れ易い(少なくとも揉めにくい)にも関わらずです。

人に命令しないと死んでしまう性格でなければ最初にかかる労力は変わらないと思うのですが・・・

「無知は罪なり、知は空虚なり、英知を持つもの英雄なり」

「無知は罪なり」だけを使いがちで続きを忘れてしまいがちなのですが、知識をどう得てどう使うか・・・考えるのも体現するのもとても難しい話ですよね。

私自身も気をつけていきたいです(゚∀゚)



<備えに関する話?>

<次のお話>

<前のお話>

<どくのぬまちをあるくのにそんなそうびでだいじょうぶか>
私のマガジンの中で唯一笑えない話や真面目な話を纏めています。 まぁフィクションですし(゚∀゚) シカタナイ


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