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コミュニティが生き残っているということ

趣味!・・・と、そこまでいかずとも好きなものって皆さんお持ちではないかと思います。

私が良く主題にしているゲームもそうですが、世の中星の数ほどの趣味や好きなものが溢れています。

健康的、文化的、道徳的、退廃的・・・堅いお題目を横に置いて言える事は「好き」の一点のみです。

今回妄想を語っていきたいのはその趣味や好きなものを支える集まり、コミュニティ(サークル)についてです。

コミュニティといっても明確な繋がりを意図したものとは限りません。個々の話題が直接の接点は無くとも全体の盛り上がりに寄与したりと現代のSNSというネットワークは個人を個人のままで完結させない見えない連帯感、または互いを繋ぐ鎖としての機能を持っているからです。

ここからは自分語りも混ざります。自身の振り返りの為に別枠で語ることもあるかも知れませんが、私は20代頃から徐々にとばっちりを背負いだしてその都度代償として趣味を捨ててきました。それでも何時かは戻ってこれたらなというコールドスリープ的な感覚でのお別れでした。

その後長いこと戦っては来ましたが、残念ながら私のトラブル処理速度よりトラブルが生産される速度の方が早く(;´Д`)趣味の再開はほぼ絶望的かなぁという感じです。

なので復帰は無理と諦めがついたらその趣味・・・好きだったものがそれからどうなったのか位は見ておきたいなと思ったのは人情というやつでしょうか。

具体名を出すのは憚られるのと詳細を忘れたものもあるのでぼかして書きますが、長い時間を経ても当時と変わらない盛り上がりを維持する・・・どころか、当時より盛り上がってるのでは?(笑)と思う熱気溢れるものもあれば、跡形も無いというか、ろくに話題にもあがらず記録に残ってもいない現状のものもちらほら目につきました。

若い頃に旅に出て年老いて故郷の村に戻ればその故郷自体残ってなかったってやつです。ひどい話だと内部分裂というか意見の相違で揉め合ってとそんな記録程度しか足跡がないものも・・・これって村が野盗にでも襲われたのかな?

そこに「好き」はたしかに存在した

コミュニティの存続はその題材自体の熱量の要素が大きいのですが、個々人の「好き」の発信やそれを見守る周囲の優しさに影響を受けます。他にも積極的に布教活動を行ったり物理的な形として何らかの足跡を残そうとする人達もいます。

ただ残念なことに「前向きな感情」だけでなく「後ろ向きな感情」も人の数だけ出てはきます。まぁ「後ろ向きな感情」すら見受けられなくなったら終わりという話もあるのですけどね。

「後ろ向きな感情」が存在できる程、そのコミュニティは甘えを受け入れる余地がある訳ですから。(行き過ぎるとその甘えに毒されたまま滅ぶけど・・・)


人付き合いもそうですが、何時までもそこに変わらず存在するわけでもないので出来るうちにやっておくのは大切だよなと思いつつ、経済的な事情或いは中途半端をしたくなかったり迷惑をかけたくなくて距離を取ったりと・・・理屈では最適解がわかっていても「好き」という感情から始まっている事柄なだけに、その行動はままならないものが多いのではないでしょうか。

結局何が言いたいの?という話をあれこれ書いてきた訳ですが、今回の話は現在進行系な部分もあるので書いていてダメージ(;´Д`)も多く、続きは一旦仕切り直すか別マガジンの記事という形にしたいと思います。既にそれなりな文字数でもあるので。

最後に・・・今楽しめる人は遠慮せずに楽しむ事が一番だし、使命や義務があるからと自分に枷を嵌めて楽しむ事を避けてる人も、本心が触りたいのであれば少し位は我慢しなくても別に責められはしないと思う事だけは書き逃げしつつ。

活況なコミュニティ、残っててくれてありがとう!(゚∀゚)ノシ



<続きっぽいのを書きました>

<次のお話>

<前のお話>

<どくのぬまちをあるくのにそんなそうびでだいじょうぶか>
私のマガジンの中で唯一笑えない話や真面目な話を纏めています。 まぁフィクションですし(゚∀゚) シカタナイ


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