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自己紹介④|マインドフルネスを体験できるリトリート施設を作りたい

りんむうです。ご覧くださってありがとうございます。こちらは数日にわたって書いた自己紹介で触れた、マインドフルネスや夢であるリトリート施設について書きます。

ここ連日書いていた自己紹介の記事はこちら。

自己紹介①
自己紹介②
自己紹介③

カウンセラーとして気づいた本当に必要なこと

心理職、いわゆるカウンセラーとして働いていた私は、気づかずにストレスを貯めていました。イライラしたり、孤独感を感じたりするなどのただの気分の問題と思えたことは、実は自分のケアが足りていないためでした。そこで、心の専門家が体験的に理解したことは、誰もが自らを労わるという選択肢を持つ必要があるということでした。

きっかけ

コロナ禍前から、Awarefyのアプリを使ったり、Le:selfさんのマインドフルネス講座に参加したりしていました。セルフケアが必要だという認識はそのあたりから持ちはじめました。コロナ禍が始まるころ、マインドフルネスストレス低減法(MBSRのプログラムを偶然見つけました。オンラインでできるし、何となくやってみようという気持ちで始めました。

MBSRに参加してみて

MBSRは、毎週決まった曜日に、決まった時間に、決まった人で、オンラインで集まり、マインドフルネスの先生と共に、瞑想したり、メンバーと話し合ったりしました。

「どんな体験がありましたか? お話したい人はいますか?」

そう先生に聞かれると、最初は遠慮したり、何か良いこと言わなきゃいけない感じがあったりしました。そういう時間を重ねていく毎に、だんだんと自分の話をしてみようと思ったり、話を聞いてもらえてうれしかったり、同じような失敗を他の人もしているんだとわかって安心したりしました。そんな人とのつながりの中で感じるポジティブな気持ちの変化がありました。オンラインなのに、参加している人たちを仲間だと感じられたのも驚きでした。

このグループでは、誰もが職業を明かさないというルールのもと、心理職としての自分でいる必要がなく、そのままの自分で参加できたということも大きかったです。

私たちは大人になればなるほどだんだんと人とのつながりが持ちづらくなります。そんな大人にとって、人とつながる一つの新たな方法でもあり、つい頑張りすぎたりしてしまう人たちにとって、心の健康を維持するのに役立つ方法だと思いました。

伝えられる人になろう

そんなマインドフルネスの力を体験し、伝えられる人になろうと思うようになり、マインドフルネス講師養成講座を受けることにしました。自分にとっては心理職というアイデンティティだけではなく、自分にとって、また世の中の人にとって大きな価値があると感じていました。マインドフルネスは、確実にこれから必要になると思いました。

1年半以上にわたるトレーニング、海外の先生に通訳者をつけた本場のスーパービジョン、ほぼ毎週のピアグループ活動。これらを経て、2023年、マインドフルネス講師となりました。ここで出会えたたくさんの仲間も財産になりました。

夢を持てるようになった私

脅かされているとは言い過ぎ?

真面目に伝えなきゃならない事実は、体の健康も適度な運動や睡眠、バランスの良い食事が必要であると同じように、心の健康は何もしないでは維持できないということ。しかし、ほとんど多くの人は心に対するケアそのものへの意識すらしていないのではないでしょうか。実際はケアする必要があるにもかかわらず、それがまだ十分に理解されていません

現代はVUCAの時代と言われるようになりました。つまり、変動性、不確実性、複雑性、曖昧性にあふれた社会です。

手元にあるスマホがその時代を生き抜く武器のようです。SNSやニュースなどから、たくさんの情報が入ってきます。リール動画を見ていれば、話題の動画が見れる一方で、気づかずに時間を過ごしていたり、最初に調べようと思って手に取ったスマホに表示された通知に目が向いて、何をやろうとしていたのかさえ思い出せなくなったりします。他者と自分を比較して、何が自分にとって良いのか、自分の価値観さえよくわからなくなるかもしれません。やりたいことを思うようにやるということさえ難しくなりつつあります。そんな風に、いくら時間があっても情報を処理しきれないような世界に生きています。

休み方を知らない人を休ませる方法

休まない人がたくさんいます。休みを忘れた人、休むことに罪悪感を感じる人、休み方を知らない人。その結果、心の不調をきたす人がたくさんいます。うつ病になってもなお休めない人を精神科のクリニックのカウンセラーとしてたくさん見てきました。これは特別な人ではなくて、身近に結構います

  • 子育てをしているパパやママ

  • 仕事の責任が増えてきた中堅社員

  • 全て自分で回さなきゃならない個人事業主

  • やりたいことが沢山あって時間が足らない経営者。

  • 家族の介護をしなければならない人

自分の時間がなくて、自分らしく生きていない」とか「他の人のように良い提案ができなくて自己嫌悪になる」とか「何のために自分の好きな仕事を選んだのかわからなくなる」とか日常の一瞬に浮かぶ考えがあっても、それすら流してしまい、立ち止まることが難しくなっていきます。言ってみれば、アクセルをベタ踏みしていることに気づかないし、ブレーキがあること忘れているから、ペースを落としたり、いったん止まる選択肢がないのです。

特にそんな人たちにマインドフルネスを伝えたいのです。

  • 病気になっているわけじゃないけど、辛さ、苦しさがある

  • なんか上手く行っていないのにどうにもできない

  • 何か十分じゃない感じがしてチャレンジできない

  • 自分らしさから遠く離れている

  • 本当にこんな人生でいいのかと時々ふと考える

  • 自分は人生に何を求めていたんだろうとわからなくなる

そんな思いをしている人に一度立ち止まる場所や機会を提供したいのです。

リトリート施設を作りたい

リトリートとは

リトリートとは数日間、日常から離れた環境に身を置き、いつもと違った体験を楽しむことを指します。 心身の回復を図るため、旅先の観光地を楽しむというよりは、自分自身に意識を向け、ゆったりとした時間を過ごすます。

(参考までに)リトリートに関するこのような記事も増えてきました。

私はマインドフルネスを4年ほど続けていて、数日間や1日のリトリートを何度か経験しています。人里離れた静かな場所に、仲間同士で集まり、座っておこなう瞑想のほか、ゆったりとしたヨガをしたり、外へ出てゆっくり散歩をしたりします。そうすることで、日常のやるべきことや社会的な役割から離れて、自分に必要な活動や時間を与えてあげることができます。これは何もしないという丁寧な時間です。スマホもずっとオフにしておきました。

つい休みがあると、体のことはさておき、どこかに出かけたりしていまいがちです。旅行に行くと心の栄養にはなっても、やっぱり体は疲れますよね(旅行を否定しているわけではありません)。とはいえ、体を休めようと思って家にいても、ゴロゴロしていると、何となくよくない感じがして全然休めた気がしない。そういうことはありませんか?

どういうことかというと、自分にとってその時々で何が必要なのかは、その人にしかわからないわけです。つまり、自分はいま元気なのか、元気じゃないのか、ちょっと元気なのか、心はどうなのか、そんな風に自分のこころやからだに目を向けて、その状態に気づく"間(ま)"が必要だということです。そこに役立つのがマインドフルネスであるわけです。

その"間(ま)"を作るためのアクティビティ

キャンプをしたい人は、キャンプ場に行きます。温泉に入りたい人は温泉に行きます。でも、実は人によっては自然の中に身を浸すことで、自分を癒し、休めたいというニーズも背景にあることが窺えます。自然という要素は、人間の癒しには切り離せないものなんだと思います。リトリート施設は、山林の中に作ります。

リトリート施設では「休む」ことをベースとして、自分を労わるアクティビティを提供し自分を「癒す」場を提供したいと考えています。以下にいくつか、その例を挙げてみます。

たき火

枝を拾う。焚き木を斧で割ってみる。自分で火を起こしてもいいし、マッチやライターを使ってもいい。燃やす木を選んでみる。桜はその匂いも良い。お湯を沸かしたり、調理しても良い。

夜、静かに火を眺めても良い。火の粉が空に上がっていくのを見ている。気が爆ぜる音に耳を澄ませる。頬に当たる温かさと、背中の温度の差に気づく。何か話がしたくなったら話をしてみてもいい。


珈琲

プロが入れたコーヒーを飲んでみる。その音や湯気、カップを目や音で楽しむ。差し出されたコーヒーの香りをゆっくり楽しみ、その豊かさに気づく。一口飲むと、苦み、酸味、渋み、甘み、また、それが時間の中で刻一刻と変化していくのを観察する。どこが好きなのかを探っても面白い。また、少し時間が経って温度が下がると、また味わいが変わる。そんな変化に気が付いたことがあっただろうか、と思ってみてもいい。

その翌日は、自分でコーヒーを焙煎してもいい。上手く行っても失敗してもいい。そこには何の責任もない。ただやってみるというチャレンジを楽しむ時間。失敗するというチャレンジかもしれない。自分のために居れるコーヒーでもいいし、誰かのために居れるコーヒーでもいい。その場にいない、誰かのためにいつかいれるコーヒーであってもいい。誰かと飲むコーヒーと、一人で飲むコーヒーの違いは、何が違うだろう。


瞑想

歩く瞑想というと特別に聞こえる。どこでもできるが、森の中でおこなえば、それは「森林浴」になるだろう。アスファルトやオフィスと違う、平たんではない道、硬くない道。枝を踏んだ時にパチンという音や、葉を踏みしめた時の湿った音。土の香り。鳥のさえずり。木漏れ日から注ぐ太陽の日の柔らかさ。坂道では筋肉の疲労を味わえる。こんなに早く疲れるだろうか。もう少し言ってみようと歩いていたら、しばらく我を忘れて歩いているかもしれない。そんな時間はなんてことないけれど、久々の非生産的な時間かもしれない。

誰かと瞑想をしてみる。静かに座ってみてもいいし、動く瞑想としてマインドフル・ヨガをやってみてもよい。体の硬さ、こわばり、ゆっくりと伸びていく感覚、普段、時間や周りを気にしている自分を思い出し、そこではありのままの自分の身体や心にスペースを与えてあげる。同じ体のように見えて、みんな違う体。誰とも比較しなくていい。そうした時間を朝起きて、森の中でやってみたらどんな時間になるだろうか。

アクティビティからマインドフルネスを体験する

非日常的な空間でのこのようなアクティビティは、本で学ぶようなマインドフルネスと違い、体験から自分が癒されていくとか、自分にとって何が必要なのかということが浮かび上がってきます。もしかしたら、ずっと横になっているということが必要だと気づいて、それがやっとできるかもしれません。

忙しい生活の中でマインドフルネスを取り入れることが難しいと感じている人にそのきっかけを提供します。リトリート施設での体験が、日常生活での過ごし方を変えていくきっかけになり、マインドフルネスを取り入れることにつながりやすくなります。

マインドフルネスを取り入れると

マインドフルネスを持ち続けるために瞑想等の方法を使って練習をしていきます。コーヒーの入れ方や飲み方、食事のとり方、運動の仕方などすべてがマインドフルネスの練習にもなります。瞑想をしなきゃいけないということはありません。

どんな実践にしても、マインドフルネスを続けることで、自分の状態に気づくことができます。コーヒーを飲んでいても、仕事のことばかり考えていて、あっという間に飲み終えてしまったと、気が付くかもしれません。疲れていると気づいた時に、その上で、がんばることができたり、あえて今は頑張らないとか、今は無理そうだけどチャレンジしてみようとか、意図的な選択ができるようになります。そして、自分に必要な選択をした結果、自分を大切にすることができるようになるのです。

マインドフルネスは丁寧な生き方、セルフケア、やさしさ、ねぎらい、姿勢、選択肢、知恵などと言い換えることができます。人生における困難さとの付き合い方を知ったり、喜びや楽しみ、感謝を見出したりすることにもつながっていきます。もともと仏教由来の瞑想などの方法を採用していますが、宗教の要素は一切排除されています。そのため、アメリカを始め、海外でマインドフルネス実践者が増えたとも言われます。


おわりに

ここまで読んでくださってありがとうございます。良かったら「♡」をお願い致します。マインドフルネスが体験できるリトリート施設を作るため、改めてnoteで発信を続けていきます。

栃木で、カフェ、ヨガ、茶道、創作活動などをされている方で、マインドフルネスにご興味のある方がいたら、リトリート施設でのアクティビティをやっていただける方を探しています。栃木で新しい価値の提供にご協力いただけませんか? よろしくお願い致します。

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