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自己紹介② カウンセラーだって消耗した心をケアする

こんにちは、りんむうです。
前回から、自己紹介を改めてしたくなって、記事を書き始めました。よろしければ、自己紹介①の方からご覧いただけると嬉しいです。

自己紹介①のまとめ

友人を失いかけたことで気づいたのは、私は心の守る仕事がしたいということでした。システムエンジニアをやめて、目指したのは臨床心理士。そのために独学で大学を目指したのですが…と、そんな話を。

最初のチャレンジ

臨床心理士になるためには大学院に2年間行く必要があります。大学院を修了(卒業)してから、試験を受け、合格するとその資格を取ることができます。

私はシステムエンジニアをしながら心理学の勉強を始めていました。しばらくしてやはり退職することを決意しました。人事部からは「新人研修にこれだけの費用が掛かった」、常務からは「別の職種で続けてみる気はないか」と言われ、厳しさと優しさの言葉に晒されました。そんな自分を育ててくれた富士通エフ・アイ・ピー株式会社はとても良い会社でした。調べてみたら、合併されていました。寂しい。ただ、自分の本当にやりたいことに近づくため、感謝と申し訳なさの最中、去りました。

目標は半年後の大学院の試験に合格することでした。不合格なら、さらに1年間の無職。毎日10時間以上、とにかく勉強しました。反対していた先生は、惜しみなく協力してくれました。この勉強法でいいのかどうか迷いながらも、それを確かめることもできず不安でした。しかし、それ以上に案外辛かったのは高い住民税でした(笑)

異色の3人

仲間の一人目は、アメリカの大学を卒業してきたAさん。もう一人は、資格取得のため県庁を休職してまで来たBさん。そして、システムエンジニアを辞めてきた私。学部卒の人が多いなか、異色でした。しかも、心理の業界は比較的女性が多いなか、全員男性。先輩方はストレートで大学から院に上がってきたので、私たちの年下でしたから、さぞ付き合いにくかったと思います。しかし、とても仲良くしてくれました。

退職して独学で挑んだ大学院試験。あれから半年後。私はなんと奇跡的に合格し、大学院生になることができました! 本当に奇跡

2011.3.11

大学院の充実した1年が終わろうとしていた2011年3月11日。大地震、大津波、未曾有の大災害で多くの被害者が出た東日本大震災。原発事故に伴う放射性物質の被害、避難生活の長期化という深刻な問題がありました。

私の恩師が被災者のための「心の相談緊急電話」という電話相談を即座に立ち上げました。それに合わせて私はその電話相談をサポートするための学生ボランティアの体制づくりをしました。なぜなら、開設当初は心理的なサポート以上に、避難場所放射線に関する正確な情報が求められたからです。全国のあらゆる情報を収集し、相談員が適切な情報を案内できるよう学生がサポートする必要がありました。そのため、複数の大学院から集まった数十人の学生ボランティアの配置を割り振るなど、その体制づくりを一から行いました。3ヶ月以上続いたボランティア生活をなんとか乗り越えられたのは、同期のAさんもBさんの存在があったからでした。仲間に本当に恵まれました

大変お世話になった恩師の高塚雄介先生は、2023年9月24日にご逝去されました。いつも現場で学ばせてくれる素敵な先生でした。先生が受け入れてくれていなかったら、今こうして私は働けていないのだろうなと思うと、本当に感謝の気持ちが込み上げてきます。ご冥福をお祈り申し上げます。

1から作り上げるの繰り返し

大学院生の2年はあっという間に過ぎ、地方の精神科病院のデイケアというリハビリ施設に就職が決まりました。ここでも一からのプログラム作りを自由にやらせてもらい、患者さんにも職員さんにも信頼してもらうことができました。さらには、市民向けの講演までやらせていただきました。ただこの時はほとんど一対一の心理カウンセリングはあまりできていませんでした。

その後、小さなクリニックに転職。初めて正真正銘のカウンセラーになり、カウンセラーを担当することになりました。またここでも一からのスタートでした。心理職の先輩も後輩もいない、そんな楽そうで、実は楽でもないところに身を置くことになりました。

カウンセラーも心を使い過ぎるとうまくない

いま振り返れば、手探りのなかの孤独な仕事でした。知識、技術で不足を感じ、うまく行っていてもいるのか、行っていないのか、これでいいのだろうかと不安になりました。自分のカウンセリングは役に立っているのだろうかと疑心暗鬼になっては、自分の不十分さを感じていました。

割と職場に全てを置いて帰ってこられている方だと思っていました。つまり、患者さんの悩みごとをプライベートな時間に考えたりしない方だと思っていました。。しかし、今思うと、ちょっとしたことで家族にイライラして当たったり、急に悲しくなったり、虚しくなったりもしていました。そんな自分の状態もよくわかっていませんでしたから、家族に説明することさえできませんでした。夫婦げんかになることもありました。そういう時、「自分のことは誰もわかってくれない」という気持ちになるのでした。つまり、自分でも気がつかない間に、随分と自分の心消耗していたのです。

長くなったので

ここまで読んでくださってありがとうございます! このあたりで続きは次に譲りたいと思います。いわゆるカウンセラーになれたものの、その後、不調を経験します。そこで出会ったのが…。 続きもご覧いただけると嬉しいです!






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