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大学での歴史学研究ー右翼研究との決別ー 闘病記【16】

就活が出来ない

大学生は3年時に多くの人は就活をします。しかし私は就活をしませんでした。社会に出る勇気がなかったからです。自分が社会に出て仕事をするというイメージが持てませんでした。また病気を治してから社会に出ようと思っていました。

カウンセラーも就活に関しては前向きではありませんでした。こんな精神状態では社会に出て働くことが難しいと考えたのでしょう。

うつ病

それとアメリカから帰って来たあたりからうつ状態がひどくなっていました。朝起き上がれないことが出てきたのです。学校を休んで、寝込むか、DVDを見て過ごすことが多くなってきました。

夜になると元気が出てくるのでバーには時々行っていました。この頃から調子が良いときと悪いときがはっきりしてくるようになりました。

しかし良い時が本来の自分で、悪いときは本来の自分でないと思っていました。相変わらずうつ病の治療をしていました。

進路

さて就職しないことに決めた私は進路に悩みました。留年して次の年に就職活動をするか、大学院へ進学するかなどの選択肢がありました。

しかし病気を治すために療養をするという選択肢は思いつきませんでした。一人だけ「普通」のルートから外れることができなかったのです。同級生たちと同じように進んでいかなければいけないと思っていました。

大学院を目指して

大学院進学を考え始めた私はそれまでゼミなどに真剣に取り組んでいなかったのですが、就職活動から逃れるために少し勉強をしてみようかと思いました。

右翼研究

私は文学部の日本史専修でした。3年の終わりに卒論のテーマを決めなければいけないことになりました。私は前に述べたように三島由紀夫に心酔していたので北一輝をテーマにしようと思いました。

ところが先輩方から猛烈な反発を受けました。右翼の研究をするのは許されませんでした。

そこで次は「軍人勅諭」をテーマにすることにしました。しかしこれにも反対されました。「軍人勅諭」が出される背景となった明治14年の政変に関する研究なら良いと言われました。

国立大学では右翼思想の研究は許されない雰囲気があったのです。今となってはなんとなく分かりますが、浅学の私は理由が分からなかったです。

青年団研究

そこで私が目を付けたのが戦時中の青年団です。高校まで住んでいた私の地元にも青年団がありました。ほぼ祭りの日に獅子舞をするだけなのですが、獅子舞が好きな私にとっては楽しい活動でした。

また戦時中の青年団は右翼思想に染まっているだろうからおもしろそうだと思ったのです。

それからは史料集めなどをがんばりました。部活やバイト、女性関係に精を出していたので日本史のことはさっぱり勉強していませんでした。大学の受験勉強を始めるときと同様に出だしは周りに完全に遅れをとっていました。

しかしコツコツ勉強するようになると少し楽しくなってきました。ゼミで発表すると先生から褒められたりしました。
これだけをやればいいというものが見つかるとがんばれるのです。こうなると受験勉強の時といっしょです。

がんばる→褒められる→もっとがんばる→もっと褒められる。

というループに入ったのです。

森田療法で言われる神経症気質も大いにプラスに働きました。負けず嫌いや完全主義が研究にはプラスに働きました。

夜の世界

その頃も夜はバーテンのバイトをしたり飲みに行ったりしていました。バーにいると大人になった感じがして気持ちよかったのかもしれません。またバーではアウトローな存在である自分を他人が認めてくれました。夜の世界は私にとっては優しかったのです。

恩師

勉強をがんばるようになってしばらくしてから、懇親会で担当教官と密な話をする機会がありました。その時に思い切って強迫症のことを話しました。

本を読むときに丸や点を数えてしまうことや5文字を見つけると何度も確認してしまうことを正直に告白しました。

すると担当教官は強迫症がそんなに大変だということに驚いていました。そしてそれにもかかわらず本を読んでるなんてすごいと言われました。私はちょっとだけ日々の苦労が報われた気がしました。それから担当教官は私に目をかけてくれるようになりました。大切な恩師が出来たのです。

カウンセラー

私が研究に夢中になっていることはカウンセラーも喜んでくれました。
研究に没頭している時は精神状態も比較的落ち着いていたと思います。やりたいことが見つかったことを一緒に喜んでくれました。

カウンセラーがよく言っていたのは実年齢かける0.8があなたの精神年齢だということです。5歳からはだいぶ成長したのですが、社会に出るほどは成長していないということでした。大学院は「時間稼ぎ」にちょうどいいと考えていたのだと思います。

しばらくすると右翼思想の研究には興味がなくなりました。いろんな論文や本を読み、歴史学研究の深さに触れたからです。右翼についての研究が薄っぺらく感じられたのです。

研究

そうして戦前の青年団と青年団の基礎になる地域社会の研究に没頭しました。コミュニティ論なんかにも興味が湧きました。ハーバマスの『公共性の構造転換』を読んで深く感銘を受けたことを覚えています。

受験勉強の時もそうでしたが、私はやることが決まるとがんばれるタイプなのかもしれません。また研究は一人でやるということも大きかったと思います。人が絡んでくるとストレスになるのです。やはりHSPの特徴も持っているためだと思います。

また大きかったのはこの頃は女の子と付き合わなかったこともあると思います。恋愛に依存してしまうので女性と付き合うとそれ一辺倒になってしまいます。

人間関係は安定していないので私はそれに左右されます。一方歴史研究は対象が安定しているため心理的負担が少なかったのかもしれません。

卒論も恩師から褒められました。歴史研究の雑誌にも一部が掲載されました。研究をしていた一年間ぐらいの間は充実していたような気がします。

迫り来る軽躁

しかし人生はそう甘くはありませんでした。人から褒められ、評価されることによって私は天狗となっていたのです。今思えば自我肥大を起こしていたと思います。教官から一目置かれ、後輩からは尊敬されていました。なにか自分が偉くなったような気がして、周囲の目も気にしないことが出てきました。

この時には軽躁が起こり始めていたのです。

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