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makky∞
2020年6月10日 15:28
イタリア留学を心の中で決めた日からの自分の節約ぶりは、自分で自分を褒めたい徹底ぶりだった。缶コーヒーひとつ買うことさえ自分に許さなかった。当時のカタギの職場では融資係で、バブル崩壊後は金利が大暴落したことで通常の住宅融資や無担保ローンに加え、住宅借り換えローンの相談者が後を絶たずで、融資係はたいてい他の皆が出勤する前から仕事を始め、残業が許される時間まで仕事をしていた。(あまり残業を許されてい
2020年6月10日 14:56
神奈川県西部在住。ピカソやマリア・カラスがパリにいた時代のフランス生まれ。フランスの記憶もないまま両親とともに帰国、東京に住む。幼稚園年長時に父の転勤でマレーシアへ。2年半暮らし、そのまま家族共々ニュージーランドにて1年半生活。父の任務が終了し、帰国後は小学校4年生から大学までと大学卒業後の数年間は日本での仕事で神奈川県西部に定住。大学時代、父の単身赴任先だったイタリア・ローマへ夏休みに滞在。