HIRAMAtsuyo

広義の文化史。比較的長めの文章を書くために登録しました。

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マガジン

  • 入澤美時『考える人びと』(双葉社、2001)を読む

    一線で活躍する専門家たちに博覧強記の編集者・入澤美時が鋭く切り込む。 インタビュー集を読んでいきます。

最近の記事

超私的・森山大道論(2) ー水底の陽明門

森山大道は、「美しい写真の作り方・5 恐怖の日光・東照宮」(『写真との対話、そして写真から/写真へ」、青弓社会、2006、初出1987年)という文章の中で、東照宮に関するイメージを次のように語る。 過剰な装飾に起因し、東照宮の建造物は一種のグロテスクさを帯びて受け取れることがあることは先述した通りだが、まさにこの文章で森山もそのような受け取り方をしていることがわかる。この中で、病原体→疥癬病→霊柩車→仏前菓子→死化粧というイメージを繋げているところは注目に値する。この連なり

    • 超私的・森山大道論(1) ー現存最古級の”森山大道”

      森山大道の略歴を簡単にまとめると以下の通り。 ーーー 1938年、大阪府に生まれる。 高校中退後、岩営武ニ、細江英江に師事。 63年に独立。 67年、日本写真批所家協会新人賞受賞 68年、「にっぽん劇場写真前」の刊行以降、写真とは何か、何が写真たり得るのかを問いながら、つねに時代の先階を走り続ける。 写真集に、『写真よさようなら』、『光と影』『[Daido hysteric NO.8 1997』、著書『犬の記憶』『写真との対話』『犬の記憶 終章』など。 ーーー 写真集『写真

      • 超私的・森山大道論0

        森山大道の写真に惹かれてもう何年にもなる。日本写真界の異端児でありながら、独特で強烈な魅力を発しているこの人物なので、露出はとても多い。マスメディア、ファッション、アート、さまざまな文脈で、彼を眼にする。 私もきっとこれらのうちのどれかで彼の存在を知り、彼の写真に惹かれていたのだろう。 しかしそれだけであった私が、彼にのめり込むきっかけとなったのは、入澤美時がまとめた『考えるひとびと』のインタヴュー記事がきっかけであった。 写真をただのコピーといい、根本的に芸術表現の外

        • 『みみずくは黄昏に飛びたつ』を読む 0

          11月の最後の週、根津美術館に行こうと思って表参道に行きました。ちょっと見学の時間まで間があるし、本を買って珈琲でも飲もうと山陽堂書店に入りました。色々と物色して、本当に何気なく手に取ったのがこの『みみずくは黄昏に飛びたつ』です。読んでみると、抜群に面白い。村上春樹作品の井戸のこと、壁のこと、自我と無意識のこと、などなど、これらは比較的おおくのメディアで取り上げられて、時によれば村上氏自身が語ったりしてきたわけですが、これがインタビュアー・川上未映子の問い方により、理解しやす

        超私的・森山大道論(2) ー水底の陽明門

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        • 入澤美時『考える人びと』(双葉社、2001)を読む
          11本

        記事

          "卵と壁"という言葉の意味について今の地平から考えてみることが必要じゃないか、という話。

          理由あって村上春樹『アンダーグラウンド』と『約束された場所で』を読み返す。この件、表面的には異常と正常の単純なる二項対立だけど、当時の列島に横溢する集団的思想にまで思いを至らすと被害と加害はあざなわれた綱のごとく入り組んでいる。虐めにあい学校をリタイアして仲間を求めて入信した人も中にはいたそうだ。彼らを異常と呼べるだろうか。 そして、村上がこの連作を超えて”卵と壁”のスピーチを行った意義もあわせて考えている。卵と壁は卵(弱く正しいもの)、壁(弱者を殺すシステム)という単純な

          "卵と壁"という言葉の意味について今の地平から考えてみることが必要じゃないか、という話。

          天才・宇能鴻一郎 ーもつ焼きが食べたくて

          『姫君を喰う話―宇能鴻一郎傑作短編集―』(新潮文庫)を読みました。宇能鴻一郎がいかに傑出した小説家であるかをまざまざと思い知らされました。 表題作、「姫君を喰う話」は中世の艶話「小柴垣草子」を翻案した物語。身分違いの偏愛をここまで切なく、情感豊かに再構成する筆者の筆力に驚嘆しました。 「鯨神」は心が躍る冒険活劇で、短編ながらもはやサーガとも呼べる物語構成を持ち、そしてそこには博愛精神が通底しているように読めます。 近畿南部を舞台にした「西洋祈りの女」は、その地にある神話を抽

          天才・宇能鴻一郎 ーもつ焼きが食べたくて

          映画『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい』

          去年(2020)の正月、新年にあたって「見るべき表現」としてその年に観たい(あるいは観なければならない)映画を列記したことがあります。その中で一番観たかった映画が、『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい』という森山大道のドキュメンタリー映画です。監督は岩間玄さん。 森山大道さんについてには、noteでも複数触れているのですが、私が本当に好きな写真家です。なぜ好きなのか、ということをここのところずっと考えていたのですが、先回noteで池袋と森山大道の関係性の文章を書きなが

          映画『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい』

          ピーター・バーク著/長谷川貴彦訳 『増補改訂版 文化史とは何か』、法政大学出版局、2008①序章

          かつて生きた人々がどのようなに暮らしていたのか。何に喜び、怒り、悲しんでいたのか。そしてそれは今の私たちと何が異なり、何が同じなのか。こういったことを物事を発想していく原点として大事にしたいとおもっている。 人に専攻を尋ねられたとき、返答に困る。自分の専攻を一言で表すことはなかなか難しい。強いていうなら、文化史なのかもしれない。文化は多様である。政治や経済の制度も飲み込み、分析対象としては古文書も絵画も用いていく。人間生活、様式や実態そのものが広義の文化なのだといえば、文化

          ピーター・バーク著/長谷川貴彦訳 『増補改訂版 文化史とは何か』、法政大学出版局、2008①序章

          閑話休題『池袋への道 近世の歴史資料、池袋モンパルナス、森山大道」』図録

          コロナ禍の昨冬、重要な展覧会がありました。「池袋への道 近世の歴史資料、池袋モンパルナス、森山大道」展(2021.1.31-2.28)です。タイトルの通り、池袋が歩んだ長い道のりを江戸時代の歴史資料、池袋モンパルナス(大正ー昭和のアトリエ村)関係作品、森山大道のストリートスナップを用いて、池袋になにがおこり現在につながってくるのかを考えた展覧会でした。残念ながら私は、この時期に身動きがとれず見逃してしまったのですが、先日図録を拝見し、あらためてその成果に驚いたところです。

          閑話休題『池袋への道 近世の歴史資料、池袋モンパルナス、森山大道」』図録

          入澤美時『考えるひとびと』より ー入澤美時「思想はいま、どこに宿るか」

          本書の出版年は2001年9月30日。今からおよそ20年前です。当時、私はちょうど20歳で、おぼろげながら研究を仕事にできないかと考え始めた時期でした。今どんなことが人文学の分野で話題にされているんだろう、それに触れるために本書を購入したようにおもいます。網野善彦や大西廣、森山大道など、当時傾倒していた方々が載っているということも重要でした。しかし当時は、ここに書いてあることの半分も理解できていなかったようです。本書は当時の学会あるいは社会そのものに対して対抗的で、ラディカルな

          入澤美時『考えるひとびと』より ー入澤美時「思想はいま、どこに宿るか」

          入澤美時『考えるひとびと』より ー吉本隆明・サンドイッチと大衆の原像

          サービス残業帰り。夜中に、コンビニでサンドイッチとビールを買い、家に帰る。音楽を聴きながらそれをながしこみ、風呂の支度をする。だいたい私の日常です。私を構成するものはサンドイッチとビールだけだといっても過言ではないでしょう。食欲を満たすという行為が本質的に自分に果たされるのは、深夜のサンドイッチ・ビールだけのような気がするのです。そして夢想します。もしサンドイッチとビールがなかったら、と。もし、疫病下の中でも24時間開いているコンビニエンスストアが存在していなかったら、と。こ

          入澤美時『考えるひとびと』より ー吉本隆明・サンドイッチと大衆の原像

          入澤美時『考えるひとびと』より ー芳村俊一・実践と読書と研究と

          陶芸家の芳村俊一は、陶芸の伝統を度外視した作品を多くつくります。ありとあらゆる石をあつめて研究し、砕き、その粉を胎(ボディ)にも釉薬にもします。それまで釉薬になりえないとされてきた素材でも釉薬たりえることを判明させました。たとえば水彩絵の具。 また芳村は作陶の一方、すさまじい量の読書をこなし、そこから得られた思想や哲学は、すべて陶芸の分野に還流させました。インタビューでもその博覧強記ぶりが披露され、読み手である私はそれに圧倒されました。これはインタビュアーも同じだったようで

          入澤美時『考えるひとびと』より ー芳村俊一・実践と読書と研究と

          入澤美時『考えるひとびと』より ー森山大道・新宿1968/10/21

          大好きな写真家の一人、森山大道さんのインタビューです。 大好きなのはインタビュアーの入澤美時さんも同じのようで、全体を通じて実に楽しそう。事前に知識を仕入れて臨んだ付け焼き刃のインタビューではなく、入澤さん個人が森山の時代を生き、長い年月をかけて熟考したような鋭い質問が続きます。 入澤:突然伺いますが、1968年の10月21日、あのときは撮影はされていたんですよね? 森山:僕はあのときだけ、唯一撮ったんですよ、闘争の現場としての新宿を。僕はだいたい政治的なことで写真を撮

          入澤美時『考えるひとびと』より ー森山大道・新宿1968/10/21

          入澤美時『考えるひとびと』より ー森繁哉・身体の要求

          「自分自身の身体のやみがたい何かに目覚めていくプロセス」から踊りを見出した森繁哉さんのインタビュー。ものすごく印象的な表現が散りばめられています。 彼は農村(具体的には山形県北部の大蔵村)に住まい、ここを拠点に舞踊活動を行っています。農村という世界から列島全体を、さらに越えて世界を見据えようとする活動は、鬼気迫る凄みを感じさせます。その活動の中、彼は自分の社会的位相を次のように定地します。 私はこう思っていたんですよ。小さいところに生き続けること。ここにいることが漂白であ

          入澤美時『考えるひとびと』より ー森繁哉・身体の要求

          『鈴木いづみコレクションⅠ ハートに火をつけて!誰が消す』考④

          ④本牧ブルース グリーングラスのジョエル。①で悦子がいづみに告げた美男子の名前(愛称)です。本章では、いづみはジョエルに会い、そして彼と一夜をともにします。けれどそこにあった夜は、熟れきる前のささやかな営みのようで不完全燃焼という言葉がぴったりな逢瀬でした。 わたしはだまって彼の顔を見ていた。こんなひとでも、性行為をするんだわ、と半ば関心して。美少年というのは、いくらきれでも、はいつくばってでも女を求めるんだ。おねがい。もっと、はいつくばって。どんなかっこうをしても、あな

          『鈴木いづみコレクションⅠ ハートに火をつけて!誰が消す』考④

          入澤美時『考えるひとびと』より ー根深誠・白神山地における”正義”

          ひさしぶりの考えるひとびと。 自然思想家・根深誠。白神山地の開発反対運動に身を投じ、山に生き、自然に関して思索する人物です。国や自治体が推し進める開発運動に昂然と声をあげ、反対運動を組織し、開発の差し止めを行った人物としても知られています。 しかし、です。いざ守られた白神山地、その後の展開でユネスコの世界自然遺産にも選定・登録されていくが、”保護”という名目で人々をパージしていく保存運動には疑問を呈します。根深さんは、山を人々の生活の場と捉えるのです。材木資源を伐採し、販

          入澤美時『考えるひとびと』より ー根深誠・白神山地における”正義”