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映画『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい』

去年(2020)の正月、新年にあたって「見るべき表現」としてその年に観たい(あるいは観なければならない)映画を列記したことがあります。その中で一番観たかった映画が、『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい』という森山大道のドキュメンタリー映画です。監督は岩間玄さん。

森山大道さんについてには、noteでも複数触れているのですが、私が本当に好きな写真家です。なぜ好きなのか、ということをここのところずっと考えていたのですが、先回noteで池袋と森山大道の関係性の文章を書きながら、すこしその答えに近づいたような気がします。つまり私は、森山さんが実践する歴史の感覚の仕方、都市の歴史を捕食して身体化していくやり方に強く惹かれるのです。茫漠として広がる街の中からカメラを使って原始の記憶を摘み取っていくようなイメージ。彼の写真は時間とか空間を相対化してしまう呪術行為のような気がします。そんな森山さんのドキュメンタリー映画がこの『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい』です。

映画には2本のテーマがありました。一つは森山大道さんのスナップ行為。あいかわらず精力的に新宿、上野、高円寺、中野を歩き回り、撮影をしていました。2000年代冒頭の『≒(ニアイコール)』で観たときと少しも変わらないその姿は、驚異的でもあります。

そしていまひとつのテーマが、町口覚さんと神林豊さんが起点になって展開する『にっぽん劇場写真帖』の再構築事業(復刊ではないのです)です。とうに絶版になっている森山さんの処女写真集を、掲載された写真の一枚一枚に関する詳細情報を載せた上でリニューアルするというまさに驚天動地のプロジェクト。とはいえ、おそらくこのプロジェクトは、今後の日本写真史を考える上で、極めて大きな史料的貢献をしたものに間違いありません。

この映画、冒頭は木々が伐られ製材されるところからはじまります。何事かと思ってみていると、どうやら写真集で用いる紙を作っているところ。物凄く”写真集”というマテリアルにこだわって映像が作られていました。つみあがる校正ゲラやメモ、あるいは刷り上げる過程で行う色校正とインクとの関係など、本がもつ生々しさを浮き彫りにするような映像表現が重ねられます。

近年、写真はデジタルになって、物質性を喪失していきます。そんな時代にあってこの映像は、もう一度物質世界に写真を奪還してこようとするような抗いを感じて、たまらなく好きな表現でした。

全編を通して、森山さんの人間性が如実に伝わってきます。昔、中平卓馬と泳いだ葉山の海を見つめ、中平さんとの思い出を回想する森山さん。フランスの偉大な写真賞を獲得してなお、気安くファンと交流する森山さん、ニコンのクールピクスを片手でもち、ぷらぷらと歩く森山さん。居丈高さのかけらもない、淡々とした後ろ姿は私たちに表現者としての覚悟や生き方、そしてひとりの人間のとしての謙虚に優しく生きる大事さを教えてくれているようでした。

エンディングに近づき、森山さんが笑顔で手をあげるシーンがあります。屈託のない少年のような笑顔です。そして私はこの笑顔をみて、そう遠くない未来、彼のいない世界が訪れることをまざまざと突きつけられました。そうか、もう森山さんはいないんだなぁ、としみじみ思う世界がきっとくるのでしょう。そんな時、彼の残した写真をどのような気持ちで見つめるのか。彼が写真に残した世界とどう向き合い、そして彼が愛してやまない都市を、世界を同じように愛着をもって受け止められるのか。そんなメッセージを受け取ったような気がします。

何度も観たい映画。間違いなく、この映画は名作で、何度も見返されるべきものだということを強く思います。

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