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ピーター・バーク著/長谷川貴彦訳 『増補改訂版 文化史とは何か』、法政大学出版局、2008①序章

かつて生きた人々がどのようなに暮らしていたのか。何に喜び、怒り、悲しんでいたのか。そしてそれは今の私たちと何が異なり、何が同じなのか。こういったことを物事を発想していく原点として大事にしたいとおもっている。

人に専攻を尋ねられたとき、返答に困る。自分の専攻を一言で表すことはなかなか難しい。強いていうなら、文化史なのかもしれない。文化は多様である。政治や経済の制度も飲み込み、分析対象としては古文書も絵画も用いていく。人間生活、様式や実態そのものが広義の文化なのだといえば、文化史とは人間を歴史的に追及していくことになる。だから私の専攻が文化史でも、それは間違いではない。

とはいえ、である。もう少しクリティカルに自分の研究について語ることはできないものだろうか。もっというと文化というのを自分ではどういう風に捉えていて、その歴史を追求することで、現代社会に生きる自分はこうなりたいんだ。という様に、自分の研究を前向きにとらえて、自分自身の生活とマッチさせていきたいのである。

ということでこの本を読むことにする。表題が”文化史とはなにか”である。欲しい答えがきっと書いてあるはずだ。

筆者のピーターバークさんはウィキペディアによれば、イギリスの歴史学者で、とくにルネサンス期のイタリア史が専門とのこと。日本の歴史しかみてこなかった私は門外漢のため、本書をきちんと位置付けて、評価することなどできようはずもない。ここではあくまで印象に残ったことを取り上げ、なぜそこが自分の心に残ったのかを自問していろいろと考えていきたい。

とりあえず序章では次の文章。


文化史の定義をめぐる問題へのひとつの解答は、研究の対象からその方法へと着目展を転換することにあるのかもしれない。しかし、ここでもまた、私たちが見出すのは、文化史研究の多様性とそこでの論争である。ヤーコブ・ブルクハルトがみずからそうしていると語ったように、文化史家のなかには、直観的に研究をおこなっている者がおり、数量的方法を用いているのはごく少数である。また、みずからの研究を意味の発見という観点から特徴づける者もいれば、文化史は政治史と同様にひとつの物語として提示できるし、またそうしなければならないという歴史家も存在している。こうした文化史家にとっての共通の基盤とは、象徴やその解釈への関心にあるということもできよう。

つまり序章で提示されるのは、文化史とは、

・刺激的な方法論を開発すること
・象徴やその解釈への関心にあること

という二つのポイントである。これらの具体がきっとこの後に提示されていくのだろう。明日から本気出して頑張る。


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