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超私的・森山大道論(1) ー現存最古級の”森山大道”
森山大道の略歴を簡単にまとめると以下の通り。
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1938年、大阪府に生まれる。
高校中退後、岩営武ニ、細江英江に師事。
63年に独立。
67年、日本写真批所家協会新人賞受賞
68年、「にっぽん劇場写真前」の刊行以降、写真とは何か、何が写真たり得るのかを問いながら、つねに時代の先階を走り続ける。
写真集に、『写真よさようなら』、『光と影』『[Daido hysteric NO.8 1997』、著書『犬の記憶』『写真との対話』『犬の記憶 終章』など。
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写真集『写真よさようなら』(1972)→『光と影』(1982)の間には、森山の写真家としてアイデンティティを大きく転換させた極大なスランプが存在していたが、今日はまだ触れない。
さて。
今日我々が触れられる森山大道の仕事のうち、最も古いものはなんだろうか。もちろん写真集であれば『にっぽん劇場写真帖』(1968)になろうが、実はそれより少し前の森山の仕事に触れることができる。
それが岩宮武二『東照宮』(美術出版社、1963)である。東照宮に日本のバロックを見る、というコンセプトのもと、岩宮が当時確立していたクローズアップ撮影が実践されている。本書後書きには、岩宮が「撮影にあたっては、森山大道、小畑正紀、渡辺明、菅原功の諸君が、漢書の中を忠実に助手をつとめてくれた」と記している。この本に収められた写真のどこかに、若き森山大道の仕事がある。
![](https://assets.st-note.com/img/1682756382106-pU0i7KfkQC.png)
森山大道が若宮のオフィスに所属していたのは、1959年から1962年まで。翌年にはフリー写真家として歩き出すわけだから、本書は岩宮オフィスにおける最後の仕事といっても過言ではないだろう
森山はその後、「日光東照宮/森山大道 インタビュー・陽明門は白だった/森山大道」(『カメラ毎日』1977)や「美しい写真の作り方・5 恐怖の日光・東照宮」(『写真から/写真へ』青幻社、1995)など、テキストを残している。また1977年には陽明門をテーマに作品も撮っているようだ。
![](https://assets.st-note.com/img/1682755851738-zDG9xS8Iu8.jpg)
日光東照宮の伽藍は、堂舎のひとつひとつが重厚な装飾をもつ。そこには、その直後の時代から展開し出す綺麗数寄のようなさっぱりした美意識はない。各所はこれでもかと装飾され、それは時にグロテスクな一面も呈する。
このとき、岩宮の後ろ側にいた森山はなにを見たのか。そして何を感じたのか。森山の被写体は、名所旧跡などではなく、むしろ徹底的に路地や街といった無名の場に拘っていくことになる。まるで彼の作風の対極にあるこの撮影は、彼にどんな影響を及ぼしたのか。
このことは、今後森山の作品を見る上で念頭におかなければならない事柄だと思う。
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