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入澤美時『考えるひとびと』より ー森山大道・新宿1968/10/21

大好きな写真家の一人、森山大道さんのインタビューです。

大好きなのはインタビュアーの入澤美時さんも同じのようで、全体を通じて実に楽しそう。事前に知識を仕入れて臨んだ付け焼き刃のインタビューではなく、入澤さん個人が森山の時代を生き、長い年月をかけて熟考したような鋭い質問が続きます。

入澤:突然伺いますが、1968年の10月21日、あのときは撮影はされていたんですよね?
森山:僕はあのときだけ、唯一撮ったんですよ、闘争の現場としての新宿を。僕はだいたい政治的なことで写真を撮るということはまずないんだけれども…。

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しばらく二人はこのことを語り、森山は次のように当日の風景を想起します。

森山:あんなことがあったのだなぁ、って思いますよね、いまの新宿の風景を見ていると。いまも僕の手元にフィルムが残っているけど、〈伊勢丹〉に向かう新宿通り、ダダダーンと圧倒的な群衆。それで機動隊が来ると、サーッと引いて、ワーッとなって火焔ビンの煙で風景が消えて、あれはやっぱり異様でしたよね。商店は全部、火を消しちゃって戸を閉めて。暗い街角に自警団がいて。

1968年は政治の季節と呼ばれます。いわゆる学生運動の盛り上がりの中、「普通の」学生が政治や社会の問題に向き合い、直接的にアクションを起こした時代。ここでいう「あのとき」とは新宿で発生した暴動事件、いわゆる新宿騒乱を意味しています。

中核派、ML派、第四インターは国際反戦デーの集会を終えたのち、角材などで武装し、新宿駅で集結(なんと2000人!)、漸次暴力性を帯びながら機動隊と衝突しました。それをみるためにあつまった野次馬は20,000人にも上り、新宿駅は破壊されました。この中に、森山も、入澤もいたことになります。

日本史上、類を見ないほどの暴力事件。しかしやはり森山の目はどこか絵画的にこの事件を捉えます。「火焔ビンの煙で風景が消えて」などの部分は、たちこめる霧で包まれる新宿の様子にも似て、幻想的でもあるでしょう。

森山は自分の作風について以下のように語ります。

つまり僕は匂いが強くていかがわしい場所に、当然惹かれていくわけですよ。磁石にくっついていくようにね。だから新宿もそういうところがあるだろうし、パリへ行っても、裏町の方へ入っていくという…。よく文章で書くんだけど、結局子供の頃のありようとね、いまの行動のありようと、ほとんど変わっていないんです。学校さぼって街へ出て、ショウウィンドウを覗き回ってばかりいた。本当に飽くことなく覗き回って…。映画館のスチールを見たり、ポスターや看板を眺めたり、ドブや道ばたを見ていたり。そういう時間が圧倒的に僕には大きく楽しくて。その生態そのものは、いまの僕の写真の撮りようとちっとも変わらない。いまはカメラを手にしているだけの違いで。だから僕にとってはそれが子供の頃からの生々しい現実だからなんです。

森山のカメラは外化された眼球と海馬なのでしょう。肉体としてのカメラといってもいいかもしれません。森山の作品につきまとう、汚穢や悪臭じみた癖の強さは、極度に身体化されたカメラによって生じるのではないでしょうか。

1968年10月21日、森山は怒号とガソリンの香りを孕んだ霧に包まれ、その風景を刻印し、印画紙に焼き付けたのです。そしてその風景はいつでも私たちに街の匂いをつきつけ、時間の境界をやすやすと取り払い、「その場」にいざなってくれるのです。

もうすぐ映画公開ですね。


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