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入澤美時『考えるひとびと』より ー芳村俊一・実践と読書と研究と

陶芸家の芳村俊一は、陶芸の伝統を度外視した作品を多くつくります。ありとあらゆる石をあつめて研究し、砕き、その粉を胎(ボディ)にも釉薬にもします。それまで釉薬になりえないとされてきた素材でも釉薬たりえることを判明させました。たとえば水彩絵の具。

また芳村は作陶の一方、すさまじい量の読書をこなし、そこから得られた思想や哲学は、すべて陶芸の分野に還流させました。インタビューでもその博覧強記ぶりが披露され、読み手である私はそれに圧倒されました。これはインタビュアーも同じだったようです。

インタビューの中で何度も強調されたのは、伝統と未来の話。つまり伝統という過去の結果にあぐらをかき、それを漫然と再生産するのではなく、自ら実践し、それを反証しながら次のステージに進もうとする、野心でした。同じものを作り続け、量産するのではなく、泥臭くとも、自らの力であらたな扉を開こうとする姿勢は、若々しく、また精気に溢れています。その覚悟は次の一節に収斂するでしょう。

さきほどから盛んにいうように、実現される前、でき上がる前にそこにどういうことが起こるかということを想像する、これが未来なんです。ただこうだこうだ、ああだって昔のことを復元するとか、それだけの世界だけでなく、これからどうやっていこうかということ。それを単にテクニカルな面だけでなく、環境のことを考える、資源を考える。そうした場合にね、我々人間っていうのは、必ず、未来というものに大して責任をもっている。歴史的責任者としての現在者なんですな。

「歴史的責任者としての現在者」という言葉にはっとさせられます。我々は歴史的存在なのです。脈々とうけつがれ、そして次代に伝えていく。これは血縁とか、親子とか、遺伝子とかそういうものではなく、もっと総体的な、社会的存在としての意味です。前の世代に託されたバトンをきっちり受け取れているか。またそれを自分のものとして熟成させ、次の世代にあらたなバトンとして引き渡せるか。そっくりそのまま何もかわらず、渡すのではなく、きちんと自分のものとして解釈して、新生させることができるか。芳村はそう問うているのだと思います。


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