組織で働く全ての人への、正義のエール。今野敏「隠蔽捜査」シリーズ1〜3作目感想
(以下の記事は、2021年に執筆したブログ記事を再編集したものです)
【はじめに】
竜崎伸也は警察官僚である。(「隠蔽捜査」文庫版表紙裏冒頭より)
仮面ライダー、本郷猛は改造人間である。(「仮面ライダー」OPより)
だいたい一緒だ。
このところ、活字を読むリハビリも兼ねて、大学時代以来10〜11年ぶりに今野敏の小説を片っ端から再読しはじめた。また、油断するとすぐ内容が薄れてしまうこともあり、読了するごとに簡単な感想は下書きやツイートに書き留めておくようにもしている。
というところで、何はともあれ氏の作品を語る上でこれは外せまいと掲題作を読み返したところ、やはり文句なしに大変面白かった。
というよりも、就職数年経った今の方がより楽しめたのである。そのことが大変印象的だったため、今回の記事は今野敏「隠蔽捜査」シリーズ1〜3作目の感想(書評)としたい。
「隠蔽捜査」感想
本作の主人公、竜崎伸也は47歳の警察官僚、いわゆるキャリアである。刑事ドラマでお馴染みの捜査現場などとは無縁な、出世街道まっしぐらのエリートだ。
そして、超が二つ三つ付くほどに生真面目な堅物であり、言い換えれば世間ズレした変人だ。アクが強すぎる竜崎語録の数々は枚挙にいとまがない。
「東大以外の大学に行く価値はない」「警察官僚は国を守るために生きている」「俺は国を守り、妻は家を守る」……。
およそ21世紀の主人公の台詞とは思えない。なお、言うまでもないことだがこれらはあくまで本作の主人公の言葉であり、極端すぎて旧時代的に思える信条の数々も作者の思想を代弁しているわけでは決してないので、その点はご安心いただきたい。警察小説というジャンルに限っても多彩な人物を主人公に据えて世に送り出しているのが今野敏であり、その中には竜崎と真逆のタイプの主人公も存在している。
話を戻そう。竜崎は常にキャリアとして高すぎるほどに高い職務意識を持っており、何事にも原理原則を第一に考えて問題に正面から向き合う。この男、とにかく万事が完璧すぎるほどのTHE・エリートという感じで、とても共感なんてできるキャラクター造形ではない。
最早これは断言してもいいが、第一作を初めて読んでいきなり冒頭から竜崎を好きになれる人は、そうそういないだろう。それくらいに物語の冒頭から「嫌なやつ」感が徹底しているのだ。
しかし、読み進めていくうちに読者はまず、竜崎の単なる生真面目を超えたプロフェッショナルとしての精神、合理性を貫く意志が生半可ではないことを知る。竜崎が出世至上主義なのは、偉そうにふんぞり返りたいからではない。より大きな裁量と権限を持って、高度に国家へ奉仕できるからだ。
だから彼は、官僚同士の醜い足の引っ張り合いや派閥争いなどの権謀術数には一切興味はない。自分の面子や権威などにこだわることはなく、それが最良だと思えば、階級が低い現場の人間に指揮権を委ねることもする。官僚ではあるが、その姿勢は上の命令に従ってお役所仕事をするだけの役人や、保身と安定だけを求めるお偉いさんとは対極的な存在なのだ。
そんな竜崎は、警察庁長官官房総務課にてマスコミ対策に日々その敏腕を発揮していたが、ある日警察組織の威信を根底から揺るがす大事件が発生。そして、竜崎は事件を巡る組織内の「隠蔽」計画を目の当たりにすることとなる。
真実の隠蔽など、警察として絶対にあるまじき行為だ。竜崎は己の信念を貫き、警察の威信を守るため、計画に断固NOを突きつけんとする。
しかし同時に、家庭ではなんと浪人生の息子による、とある犯罪が発覚。これが明らかになれば、不祥事の監督責任を問われ処分は免れない。公私両面で未曽有の大問題に直面した竜崎の選択と決断とは……。というのが、第一作「隠蔽捜査」のあらすじである。
竜崎は常に合理性を至上のものと考えるため、警察の硬直的な縦割り組織や上位下達の慣習といった有形無形の岩盤にも、真っ向からぶつかっていく。しかし、そんな彼の論理を貫くには巨大で複雑すぎる難問が、次々と目の前に立ちはだかることとなる。有能極まりない竜崎でさえも、そうした戦いにおいては答えの見えない暗闇の中で大いにもがき、悩み、苦しむこととなる。
その姿を見て、読者は気付くのだ。常に高潔な超人のように描かれていた彼も、一人の人間であり、だからこそ弛まぬ努力と不屈の精神によって己の理想に少しでも近づこうとしているのだ、ということに。そして、その愚直なまでの懸命さと捨て身で戦う姿を見るうちに、我々は「嫌味なエリート官僚」にしか見えなかったはずの竜崎を、果敢に戦うヒーローとして応援したくなっていくのである。
これが、本シリーズが大人気を博し、数々の賞に輝くこととなった、そのからくりだ。竜崎伸也の一風変わったどころではない尖りっぷりと、読み進めていくうちにそれがヒロイックかつ外連味溢れる魅力に逆転していく面白さ。未読の方は是非、この奇妙にして唯一無二のカタルシスを味わってほしい。
なお、以下に続く文章は続編の紹介という都合上、若干ながら一作目の結末のネタバレを含むので、どうしても避けたい方はここで記事を閉じていただければと思う。(文庫本の表紙裏のあらすじレベルの情報ではあるが)
「果断 隠蔽捜査2」感想
物語を追うにつれて、堅物で変人のエリート竜崎から次第に目が離せなくなり、そして応援したくなっていくという流れが本シリーズの肝であることは、上で述べた。だからこそここでは、二作目以降の展開についてもあえて具体的に触れていきたい。
第一作の結末にて、竜崎は降格人事を受け、警察庁長官官房からいち所轄に過ぎない大森警察署の署長へと異動となる。分かりやすく言えば、左遷だ。そう、二作目以降の竜崎は、警察署長として新たな事件や困難に立ち向かうことになるのである。
二作目「果断 隠蔽捜査2」では、大森署管内で立てこもり事件が発生。竜崎は前線本部を仕切ることとなるが、現場では交渉のプロであるSITと強行突入を専門とするSATが対立、更には事件後に巻き起こった波紋とその責任の所在など、またしても頭が痛くなるような展開の数々が彼を待ち受ける。そして、次々と襲いくる難局の全てにおいて、竜崎は待ったなしの「決断」を迫られるのだ。
加えて、事実上の左遷によってやってきたキャリアの新署長が、大森署の部下たちの目にはどう映るのか?という問題も。本人は「業務さえ円滑であれば、部下と親しくなる必要など全くない」といつも通りの姿勢であるが……。
という具合なのだが、なぜ「2」およびそれ以降が面白いかといえばそれはズバリ、一作目からの読者は既に竜崎を好きになっているから!というのが最大のポイントだ。初見ではドン引き間違いなしの竜崎節も、ファンになった目からは「これこれ!こうでなくっちゃ!」と喜ぶ要素になるし、厄介なPTAや偉そうな管理官とのバトルでは、合理性を武器に相手を圧倒する竜崎の姿が実に痛快なのだ。
加えて言えば、二作目はその物語の展開が特殊かつ巧みなことにも言及したい。まずは本編開始後、かなり早々にメインとなる事件が発生する。そして、物語は事件そのものだけでなく、その事後処理の問題に進み、更にはその先に潜む思わぬ展開へと転がっていく。単に大事件を解決するだけではなく、その後の話がもう一つのメインとなっているような構造だ。
しかしながら、一作目から一貫した特徴として、本編は全て時系列順に書かれているため、無闇に現在と過去を行き来して複雑になるようなことはなく、実に読みやすく構成されている。その点もまた特筆すべきだろう。
総合すると「果断 隠蔽捜査2」の見所は、①左遷された竜崎の再スタート。一作目でファンになってしまった読者は、いよいよ応援に熱が入る。②緊迫の立てこもり事件とその先で待ち受ける困難に対する、竜崎の「決断」を描く巧みなストーリー展開。と、以上の2点にまとめられるだろう。
「疑心 隠蔽捜査3」感想
さて、本記事では最後に、シリーズ三作目「疑心 隠蔽捜査3」についても触れたい。今作のコアとなる要素は二つ。
一つ目は、竜崎が挑む新たな事案である、米国大統領来日の警備だ。竜崎はいち署長の身でありながら、方面警備本部長という大役を特例的に任されることとなる。彼の担当区間には、大統領の航空機を迎える羽田空港が含まれており、それだけでも責任重大なのだが、なんと大統領暗殺計画の情報が入り、来日を前にして緊張はマックスに。
そして、計画阻止のため前乗りしてきた米国シークレットサービスは、大統領の安全を確保するために空港の即時全面閉鎖を要求してくる。その徹底した姿勢に共感を示しつつも、影響甚大のため封鎖は認められないという上の命令との板挟みに、竜崎は苦しめられることになるのだ。
そして二つ目は、なんと「竜崎の恋煩い」である。こちらについては、あえてその詳細は省くが、今まで「理性こそが人間を人間たらしめる」「四六時中発情するなど獣と変わりない」などと世の恋愛至上主義を断じていたはずの竜崎が、自分でもコントロールできないほどの感情の奔流に苦しみ悶える様は、まるで思春期の男子学生。本人はクソ真面目に悩み倒すのだが、この世の終わりでもあるかのようなその様はそりゃもう必見だ。
三作目は、これら公=仕事と私=感情の双方で立ちはだかる難問に対して、竜崎がどう「覚悟」を決めて乗り越えていくのか、それが最も大きな見所となっている。
ここからはさらに個人的な感想になるが、大学生以来10年ぶりに本シリーズの一作目〜三作目を再読して、一番印象が変わったのがこの三作目であった。といっても、恋に悩む竜崎の部分ではない。もう一つの、警備責任者として立ち回る描写である。これはもう完全に個人的な理由なのだが、竜崎とシークレットサービスがバチバチにぶつかるシーンが他人事とは思えず、前のめりで共感して一気読みしてしまった。
弁が立って厄介な外国人との交渉を上司に押し付けられ、内心は合理的で単純明快な向こうの姿勢に共感しつつも、組織の都合上反対せざるを得ない…竜崎、わかるよ…超めんどいよな…。と勝手に共感してしまった。あいつらに対して、努力するとかいう言葉は無意味だもんな…。
と、これはたまたま自分の仕事経験とリンクした例であるが、先述した通りに本作は警察小説でありながら、実に様々な場面での主人公の選択、対応を描いており、その中には組織で働く人なら自分の経験とつい重ね合わせてしまうようなシーンもたくさんある。であるからこそ、自分も学生時代よりずっと今回の再読を楽しめたし、また勇気をもらうことにもなった。
竜崎が直面する問題は、規模の大小や深刻さこそ劇的ではあるが、その度合いを別にすれば、誰もが共感できるものでもある。仕事のトラブルと家庭問題の板挟み、厄介な上司からの責任のなすりつけ、異なる部署同士の軋轢、何を考えているか分からない年上の部下、屁理屈を並べてがなるクレーマー、規則に従わない現場のひねくれ者、職場での許されない片想い、などなど……。
言い換えれば、本作は警察組織という我々から遠い世界を舞台に選び、主人公にキャリア官僚というこれまた遠い存在を据えながらも、その実は広く共感を呼びやすい「サラリーマン小説」としての側面も持っているのだ。
しかし、当然ながらただ共感できるだけではない。竜崎がヒーロー足りうるのは、そうした問題の数々にぶつかった時、絶対にぶれない「正しさ」をもって真正面から戦うからである。
47歳の竜崎は、その腕っぷしが並外れて強いわけでもなければ、名探偵のように天才的な頭脳を持って事件を解決するわけでもない。彼の最大の武器は、どんな場面でも原理原則を大切にし、正しい決断とそのための覚悟をためらわない、誇り高い精神なのである。彼は殊更に正義という言葉を用いることこそないが、そのあり方はまさしく正義の体現だ。
普通にサラリーマンとして働いているだけで、悪の秘密結社相手に大立ち回りをすることはまず有り得ないし、 組織の不正を暴いたり陰謀を打ち砕く機会も、基本的には存在しないだろう。
しかし、「決断と覚悟」ならどうか。日々の仕事で、あるいは生活の中で、誰もが何かを選び、決めている。そうしたとき、我々はどのような尺度を持って物事にあたっているだろうか。
衝突や軋轢は誰しも嫌なものだ。それゆえに、なあなあで物事を済ませたり、合理的でなくとも波風を立てない方を選んだりといったことはないだろうか。そうしておいて、これが大人の対応だ、などと自らに言い訳をしていないだろうか。我が身かわいさに、つい保険や保身に走ってはいないだろうか。
竜崎はそうではない。たとえ上司と対立しようとも、自らの立場が危うくなろうとも、常に正しい道を選び、そのために覚悟を決める。そうして周囲に、自らの理想とする正しさを示すのだ。
だからこそ、彼は作中の人々を、そして我々を惹きつける。少しでも、彼のように正しくありたいと思わせる。竜崎はその振る舞いが仇となり、組織内で恨みや妬みを買って敵ができることも多いが、同時に彼のところには、その正しさに胸を打たれた人々が、立場を問わず真の仲間となって集っていくのである。
また、仕事ということで加えて言えば、特に二作目以降では、竜崎がワンマンで何かを解決することは少ないのも特徴的だ。むしろ事態が大きく動くときには、警察の各部署が連携するシーンが印象的に描かれている。
それらの部署同士は、性質の違いから日頃は対立していたり、いがみ合ったりしていることが作中で語られるが、ひとたび一つの目標に向けて手を取り合えば、巨大な機械の駆動系が噛み合って動き出すような、圧倒的な力強さと説得力を読者に印象付ける。
そのように、自らの「決断と覚悟」を示すことで、警察組織という硬直的な機械巨人を的確に動かすのが、竜崎のキャリアとしての仕事なのだ。その様子は、いわば管理職ならではのカタルシスと言ってもいいだろう。この点も、自分が本作をサラリーマン小説と呼ぶ理由だ。
この物語を通じて、作者・今野敏が投げかけたメッセージを、自分は11年越しにこう受け取った。
我々一般市民は、ヒーローとして超人パワーを発揮することや、難事件を解決することはできない。しかし、目の前に選択を強いられたとき、少しでも「正しい道」を選び、決断し、そのために覚悟を決めることはできる。
そして、苦悩の果てに正しい行いを選んだ者のもとにはきっと、その光に照らされた友が、仲間が集まり、力を貸してくれるのだ。
組織の論理や世俗の慣習、「大人のやり方」にまみれる中で、善悪の基準を揺さぶられ、何が本当に正しいことなのかの答えを出せず、心身をすり減らしながら日々働く人へ。「隠蔽捜査」シリーズは、そんなあなたたちへ向けて今も書き続けられている、今野敏による渾身のエールである。