合田口洸

愛故に

合田口洸

愛故に

最近の記事

音楽とは料理で、つまり文化であり伝統でありアート

って事を思った。 あとこうやって説明するとみんなにも分かりやすいんだなって事も分かった。 全員頭の中は違う。 それがいわゆる価値観の違い。 その話しだすと長くなるから置いておく。 主題に戻ると音楽は料理みたいなもん。 色んな国の料理がある。 イタリアン、中華、和食、民族特有の食べ物、犬食ったり、芋虫食ったり。 音楽もそんな感じ。 クラシック、ロック、ポップス、民族特有の音楽、草笛吹いたり、石叩いたり。 だからその土地土地に根付いたあれこれがある。 それが文化であり伝統、ルー

    • 世界の事も宇宙の事も何にも分かんなくても目の前の日々が続いたらいいやって思えるくらい温い幸せに浸かってたい

      でもそれが叶わないなら全部を知りたい。 極端やな。 中庸を愛せよ。 ただの猫みたいな生がきっとなにより幸。 僕もそうありたいよ。 でも頭どうかしてる。 破滅的思考が残ってる事と今が満ち足りてる事が同居してる。 謎やな。 謎だらけ。 不思議がいっぱい。 世界はおそらく99%幻。 しがみつくようなもんでもない。 故にこんなに美しいって感じられるのが素晴らしい。 全部嘘だけど感じる心だけは本物。 早く答え合わせしたい。 死んだらきっと全部分かる。 そんでまだもっかい輪廻するかもしれ

      • 普通は普通じゃない

        ちゃんと世界と交流して最近ようやく分かってきた 僕の普通はみんなの普通じゃないし みんなの普通は僕の普通じゃない でもそれは多分僕だけじゃなくて全員きっとそう 最近の僕の普通で言うと、曲は無限に書けるのは全然普通じゃないみたい すごいらしい、天才らしい 全然分からない 音楽やってる人達全員そうだと思ってる 音楽やってる人達全員息するみたいに曲かけると思ってる 僕もそう、超普通 息するみたいに曲かける だって言葉にはメロディーがあるし メロディーには言葉がある 言葉を書けば歌に

        • ほとほと捻くれてる

          困った。 なんやねん僕はほんま。 たまに全然自分が分からなくなる。 ありのまま在るが儘でいたい。 それがなんなのか分かった気になってまた分からなくなる。 着飾っていたくない。 自分をよく見せるのに必死になりたくない。 でも自分の好きな自分でいたい。 他人の目と世間体は全部無視してたい。 けど1人で生きてるわけじゃない。 全部無視してたら獣と変わらない。 人は社会性の動物。 僕は何者? 僕は僕でしかない。 それで僕は何者? 分かったようで分からない事ばっかり。 意味を考えすぎた

        音楽とは料理で、つまり文化であり伝統でありアート

          生きんの下手

          まじ下手。 そこそこ生きたけどまだ下手。 みんなどう? 上手になってきた? 世渡り。 僕は一回うまいことやる術身につけて全部放り投げて生き直してる日々。 だから今はまじほやほや。 ようやく生きてる。 小学校の時いじめられてた。 周りがどう捉えてたか分かんないけど。 僕はずっと記憶に残ってる。 そんであー僕のままはいじめられるのかってなった。 そんでなんか上手くやる術を身につけていった。 自分にも他人にも嘘ついて嫌われないように、なるべく好かれるように振る舞うようになった。 周

          生きんの下手

          自分も世界ももっと理解したい

          【理解】 《名・ス他》 物事のすじみちをさとること。わけを知ること。物事がわかること。  「文意を―する」 人の気持や立場がよくわかること。  「―のある両親」 だって理解出来たときってすっごく嬉しくてなんだか楽しい なんでなんだろうねあれ 理解の本当を意味をこないだ知って、知るってのは理解ではなくて 例えばこれがりんごだよって言われてこれがりんごだって事は知ったけど それって別にリンゴを理解したわけじゃないよねきっと てかそもそも理解の意味もむずいよね でも僕が最近知った

          自分も世界ももっと理解したい

          在るが儘在ればいい

          これが全てだと思うよ最近。 花は花の在るが儘 鳥は鳥の在るが儘 魚は魚の在るが儘 虫は虫の在るが儘 誰も他の何かになろうとなんかしないし、あるがまま在ればそれが1番美しい調和の一部になってるから、在るが儘在ればいいのにね でも人だけ他の何かになりたがっちゃうよね、そこに意味を見出そうとして色んな宗教で神様は人の形を成してて、人は神と同じ見た目だから人だけ特別みたいにいう人もいるよね 別に他の諸々と対して変わりは無いんだけどね 産まれて生きて死んでくだけの命なのにね 儚く

          在るが儘在ればいい

          否定は自分を守る簡単な言い訳

          やねんなこれ 無理とか信じないとかそういう類 無理って言っちゃえばそれでもう頑張らなくてよくなるからいい言い訳になるから結構使っちゃうよね 僕は可能性を潰す言葉だと思っててとーっても嫌いなので基本使わないんだけど そもそも僕の辞書に不可能は無いから 簡単に出来るか、出来るか、すげー難しいけど時間かけたら出来るか、しかないと思ってる けど無理って言っちゃえばその瞬間可能性が全部閉じちゃうからね、やらない言い訳にもなるから楽ちんだよね 謙遜としての否定もあったりするけど、心の奥

          否定は自分を守る簡単な言い訳

          全部大丈夫

          全部大丈夫だよ 何でとかどうしてって思うと思うけど 全部大丈夫なんよ かくいう僕もすーぱー大丈夫じゃない時期があって それこそちゃんと死のうとしてて でも自分で死を選ぶ勇気はなくって だから生きるか死ぬか天任せゲームってのをしてて どんなゲームかって言うと、当時勤めてた会社にスケボーで通ってて、帰り道家に着く前にすげー急勾配の坂があって、下り切るまでに2回十字路があって、それをノーブレーキで滑り下りてもし車が飛び出してきたらそれで僕は終わりってゲームを3ヶ月くらいしてて で

          全部大丈夫

          サーチライト〜遊星散歩〜公開に寄せて

          人生を照らす灯ってものは明滅を繰り返すが故に道が見えたと思ったらまたすぐ見えなくなってしまったり。 そうやって僕らはどうにかこうにか微かな灯を頼りに生きていて。 その明滅も消えて灯が消えてしまった時、何も見えなくなって動けなくなって、ただ人生が停滞している様に見えてもそれでも生きることは歩む事で、必ずどんな時でも未来に進んでいて、ただ暗がりの中歩む事はその実目の前が崖である事に気付けず歩みを進めている、なんて事もあって。 気づいたらもうあと一歩で崖から落ちてしまう、なんて

          サーチライト〜遊星散歩〜公開に寄せて

          パラレルワールドアムネシア

          ー春が咲いていた。 あるのは光と痛みの記憶。 幼少期、母は優しかった。 父と母、兄と私、なんて事ない平和な家庭。 最初世界は優しくて柔らかかった。 これが続くと思ってた。 ある日父がいなくなって世界は変わった。 母はよく泣いて怒るようになった。 どうしてなのか私には分からなかった。 兄は家にあまり帰ってこなくなった。 わたしは1人の時間が多くなった。 悲しい事ばかりじゃなかった。 おばあちゃんもいたし、友達もいた。 でもずっと寂しかった。 ある日怪我をしたら母が心配してくれた

          パラレルワールドアムネシア

          今しかない

          今しかないんだよね。僕ら人間には。 過去は記憶でしかないし。 未来は今の積み重ねだから。 僕らは今しか生きれないんだよね。 過去の後悔と未来の不安で今を見れなくなってると、勿体無いよね。 今の積み重ねが未来だからさ、未来の不安でいっぱいになってるとそれってつまり今を不安でいっぱいにしちゃってるって事だからさ。 せっかくの今を見逃しちゃうよ。 後悔も一緒だね。 反省はせども後悔はしなくていいよ。 今が見えなくなっちゃうのは考えすぎなくていいよ。 考える事は大事。 人は考える

          今しかない

          好きなもんは好き

          誰に何を言われたって好きなもんは好きだし ちゃんと好きって言いたい 宇宙好きだし不思議な事好きだし自然も好きだしアニメもゲームも漫画も好き 頭おかしいって思われるような概念も超好き だって小4の自由作文のタイトル 「不思議を探す旅」だったし でもそういう自分を出すと頭おかしいって思われて、排斥された過去のトラウマがある、子供は残酷、合田口少年はまだちょっと泣いてる もういないのにね、僕はいったい誰と戦ってるんだろうね 自分の好きな自分でいたいよね それで社会に属せなくなるなら

          好きなもんは好き

          ネトフリワンピ馬鹿おもろかった

          芸術の美しいところは、時間と空間を超えて影響を与えることができる点にもあると考えています。しかし、その作品が大きな社会的影響を持つほど、芸術作品の「自由性」が(厳密には失われていないものの)制限される場合があると思います。特定の時代や状況において、作品は特定の「意味」を持つようになり、社会に対するメッセージとしての意味合いが強まることがあります。 この文脈で考えると、ワンピースのNetflix版は非常に素晴らしいと感じました。それは全世界に対するメッセージであり、その言葉ひ

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          幼少期の記憶は厄介

          だよね。 知らず知らずのうちにそれが刷り込まれて思い込みになって常識みたいになってそっから抜け出すのがすげー大変。 何々しなさいとか、こうありなさいとか、あとは自分の価値観が否定される経験をしてしまうと自分の価値観は否定されるから表に出すのはやめようって人間になっちゃう。 本来人間は自由だからさ。 しなきゃいけない事なんてないんだけどね。 やりたい事とやりたくないけどやらなきゃいけないって思い込んでる事があるだけで。 例えば家族は仲良くしなきゃいけないとか。 人に迷惑を

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          コンテンツ無限時代

          になっちゃったね。 結構前からなってたのかな。 何にせよでも生きやすいとは思うんよね。 だってもうどう足掻いたってだよ。不老不死にならないで100年前後で死ぬと仮定したら生きてる間に世界にあるコンテンツ消費し切るなんてもう無理やもん。 ネトフリだけでも無理やわ。 だからさ見たくないものは見なくていいんだよね。 だって無限にあるから。 好きなものだけ見てればいいんよ。 こんなにコンテンツ溢れてる時代にわざわざ嫌いな物にフォーカス向けなくてもいいんよ。 分かるよ。 考えないよう

          コンテンツ無限時代