幼少期の記憶は厄介

だよね。
知らず知らずのうちにそれが刷り込まれて思い込みになって常識みたいになってそっから抜け出すのがすげー大変。

何々しなさいとか、こうありなさいとか、あとは自分の価値観が否定される経験をしてしまうと自分の価値観は否定されるから表に出すのはやめようって人間になっちゃう。

本来人間は自由だからさ。
しなきゃいけない事なんてないんだけどね。
やりたい事とやりたくないけどやらなきゃいけないって思い込んでる事があるだけで。

例えば家族は仲良くしなきゃいけないとか。
人に迷惑をかけちゃいけないとか。
ズルをしたらいけないとか。
人に好かれる様な人間にならなきゃいけないとか。

別にそんな事ないんよね。
それを選びたかったら選べばいいんだけど。
別に選びたくなかったら選ばなくていいんだよね。

そうした方が自分にとって利があるならそうすればいいけど。
しなきゃいけないみたいな事別にしたくないならしなくていいからね。

常識って言葉嫌いだよ僕は。
常識的に考えてとかよくわかんないね。
だって生きてきた世界が違うからお互いの常識は全然違うよ。

僕は他人の自由さえ侵害しないのであればどんな生き方も容認されていいと思ってるよ。

僕もでもね今だにトラウトみたいに子供の頃の記憶が残っててね厄介。
やった側はなーんにも覚えちゃいないんだろうけど。
僕は僕のままを否定された記憶が未だに残っちゃっててね今それを解いてる。
きっかけはもちろん他人との関わりで生まれた鎖だけど。
縛ってるのは自分なわけで自縄自縛だよ。
みんなも自分を縛るおかしな思い込みの鎖いっぱい実はあったりするんじゃないの。
一個一個解いてこ。

生きてる中でさ、ああ、あれしなきゃ、これしなきゃって思い込みが浮かんだ時に自問自答をするといいよ。
本来しなきゃいけない事なんてないからね。

別に良き母である必要もないし。
善人である必要もない。
苦しみを得てからじゃないと幸福になれないわけでもないし。
苦しみはその分幸福の感度は上がるからいい部分もあるけどね。
幸せじゃなきゃいけないわけでもないし。
自分のことを許せないなら許せない事を許しちゃえばいいよ。
考え方次第で世界は無限だよ。
で、その考え方っていうのは幼少期からの刷り込みと思い込みで出来上がったおかしな常識って鎖である事が多いから。
解いてさ自由になろう。

自由っていうのは。
自に由って立つって意味だから。
自分勝手とは違くて。
自分軸で自分に責任を持って生きることだからね。

フリーになればいい。

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