継続の奴隷になろう
こんにちは。
ゴリゴリ親方です。
今回はみんな大好き、継続についてお話しさせていただきます。
よろしくお願い致します。
継続。
私にとって最も無縁なものです。
私は何かを辞めることに関しては右に出る者がいないと自負しております。
もういいやとシンプルに投げ出すこともあれば、血反吐を吐いてでも続けてやろうと思いながらも結局泣く泣く辞めることもありました。
そう。私は森羅万象の「辞める」を経験してきました。
ここだけ読むと、辞めたことに対して開き直ってるイタい人になってしまいますね。
しかし、私は何かを辞めたら、無為なインターバル期間を除いて他の新しいものに向かうので、大きな目で見れば基本動き続けています(屁理屈)。
おかげで、多種多様な人や世界に触れることができ、視野を広げることができました。
しかし、
………。
で?
と最近強く感じてしまうのです。
確かに色んなことをして自分の視野を広げることは素晴らしいことです。
しかし、私には本当にそれしか残っていないのです。
どれも広く浅くしか触れていないので、どの分野においても深みに触れることができていないのです。
そのため、何も「できること」がありません。
加えて、「私はこういう人です」と言えるほどに何かをやりきっていないので、アイデンティティと言えるものが自分にはありません。
私は実質的にも精神的にも何者かになれていないのです。
私にとって変化は麻薬みたいなものです。
何か1ついつもと変わったことを行うと、生まれ変わったかのように清々しい気持ちになります。
無論、こういった変化は時には必要だと思います(実際かなり助けられた)。
しかし、濫用し過ぎると「変化」が自分の中で「マンネリ化」へと姿を変えます。
骨の折れるイベントが訪れると毎回変化(投げ出し)に逃げるという、「マンネリ化」です。
こんな具合で私は変化に依存し、継続を蔑ろにしてきてしまいました。
結果、中身のない残念な人間という状態に甘んじてしまっています。
ただ、痛い目に遭い続けることによって、さすがの私も継続こそが人間の基盤を創ると学びました。
ですが、ここで素直に「継続は力なり」などと言ってしまうと、それは昨今流行っている、「サステナブル」を是とする社会的風潮への屈服を意味します。
「100年先より今を生きろ」という私の刹那的かつ享楽的な生き方を「サステナブル」な生き方に変えてしまうことは、社会的風潮に対する私の敗北を意味するのです(謎の意地)。
それだけは避けたい。
しかし、継続に対する従順な奴隷となることが今の私に必要なことであるのも確かです。
これは困ったことになりました。
うーん…。
あっ!
こういう解釈はどうでしょうか。
「変化ばかりで継続とは無縁だった人間が変化の誘惑に耐えて継続できるようになったのであれば、その継続は大きな変化である。」
この解釈であれば変化を愛するという自らの生き方を曲げることなく(そして社会に屈服することなく)、安心して継続に邁進できます。
私は今、継続しようと思っていることがいくつかあります。結構真剣です。
だからこそ、継続の奴隷となり、楽しく気楽に継続に対して奉仕しようと思います。
そして、更生した自分を利用し、自分と関わりのある方々(この文章をお読みくださっている方も含め)に何らかの形でちょびっと貢献できたらいいなと淡い期待を抱いております。
とはいえ、ずっと同じことばかりしてても辟易するので適度に気分転換もして、引き続き刹那的かつ享楽的に生きていきたいとも思います。
今回は以上になります。
公衆便所の落書きに等しい拙文をここまでお読みくださった寛大な方々、本当にありがとうございました。
感謝です。
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