見出し画像

『記憶と感情のエスノグラフィー』を読んでは独り言・其の三

「先生は運動しろって言うけどなかなかね…」

糖尿病の薬を飲んでいる患者さんの言葉だ

私の務める薬局に訪れる患者さんの
7~8割は一軒挟んで隣にある診療所を受診している

診療所の医師が
昔ながらの人情味溢れる先生で
細かな指導をするタイプではないこともあり
医師から「運動しなさい」「痩せなさい」「動きなさい」
といった言葉を言われた結果
冒頭の言葉が薬局にて吐き出されるのである

「なかなかね…」に続く言葉にも
患者さんの嗜好や特徴が出る

「痩せ薬はないのかしら?」と冗談を言う方

「でも…この検査値じゃ将来が…」と不安を口にする方

実に様々である

薬局の現場で
運動や食事に対する
細かな助言をすることもある

しかし

個人的に思うのは
そもそも患者さんが
どうありたいのか
どうしたいのか
それが見えない場面が多いと
感じてしまうのだ

それは私のエゴなのだろう

どうありたいのか?
どうしたいのか?
と問われても困ってしまうだろう

糖尿病に関する検査値を改善させたいけど
食事や運動を改善したくもない

大雑把に言えば
こんな矛盾に満ちた考えを持つ方に
そもそもどうありたいのかと問うても酷だと
頭ではわかっているつもりだが
実際に問うか問わぬかは別にして
私の頭の中はそんな問いが駆け巡るのだった

そんなことを思いながら

今日もまた

読んだんだか読んでいないんだか
積んだんだか積んでいないんだか
といった本達の中から一冊紹介し
心の琴線に触れた一節を取り上げ
ゆるりと書き記していきたい

今回はこちらの本を読んでは独り言

久しぶりに
AmazonのURLを貼り付けたが
うまく変換されてホッとした

ゆるりゆるりと
読み進めては中断し
また読み返しては漬けている

そんな本書ではあるものの
その内容は確実に
私にとって大切な血肉となっている

さてさて

そんな本書から

いつものように
引用する必要があるんだかないんだか
本来の引用の意味を考えては
自己ツッコミを入れつつ
noteの引用機能を用いて
引用させていただきたい

ミーティングの後、家族を含め本人にもその生活史や困っていること、今後どうなっていきたいか、などを聞いていった。吉永さんは子供のころからずっとサッカーが得意で、就職してからも審判員をやるなど積極的に関わってきた。生活史についてはスポーツの話題を中心に滑らかに語るのだが、それについての感情的部分や家族への思いは口にしない。困っていることについては、「足が痛いこと」であり、趣味については「何もない」と語り、将来どうなっていきたいかについても、「別にどうなりたいとかありません。寝ていたい」と投げやりな態度を示す。
意欲はなく、しかしプライドは高く保たれ老人たちに交わろうともせず、ただ「なぜここにいるのか?」「何時に帰れるか?」「帰りたい」と繰り返す吉永さんに私たちは彼が興味を持ちそうな活動をあれこれと試してみた。

佐川佳南枝. 記憶と感情のエスノグラフィー 認知症とコルサコフ症候群のフィールドワークから. ハーベスト社, 2017, 20p

コルサコフ症候群の吉永さんの件である

コルサコフ症候群は
ある一定の時期から後の記憶を失くし
新しいことも記憶できない障害である

引用させていただいた箇所に至るまでに
デイケアの職員や家族とのやり取りが描かれていた

引用箇所を読みながら
今回冒頭に書いた薬局での
患者さんとのやり取りを思い出したのだった

薬剤師として私はどうしたいのか
あるいは1人の人間として
目の前の方とどう接したいのか

そんな問いに挟まれる

薬剤師としての自分が前に出過ぎると
患者さんの様子は投げやりに見えることがある

一方で

1人の人間としての自分が前に出ると
患者さんの様子を受け入れ
人間だから仕方ないよねとなる

その後に

それでいいのだろうか
と自分に問いかける

そんな堂々巡りである

患者さんに対して
「どうありたいのか?」
と問いかけつつ

それはそのまま
自分に対して
「どうありたいのか?」
と返ってくる

そんな苦悩の日々である

この記事が参加している募集

#読書感想文

187,975件

こんなポンコツな私ですが、もしよろしければサポートいただけると至極感激でございます😊 今後、さまざまなコンテンツを発信していきたいと思っておりますので、何卒よろしくお願いいたします🥺