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『手の倫理』を読んでは独り言・其の二

道徳と倫理の違い

今まで意識してこなかった違い

言葉が違えば
意味も違う

そう認識はしているが
日々出会う言葉
一つ一つの違いを
調べる間も無く
時間は過ぎていく

輪郭が曖昧な言葉が
頭の中に増えていく

他者と話をする際に
そうした曖昧な言葉は
口と耳を往復しながら
輪郭はますますぼやけていく

言葉が曖昧であっても
会話は進む

その場の空気や雰囲気の流れが
曖昧な言葉に浮力を与え
ふわふわと漂っては消えていく

会話ならそれでいいのだろう

対話だとそうもいかないこともある

言葉をどう認識しているのか
辞書的な定義ではなく
言葉を発する人が
どういった意味合いで
使っているのか確かめつつ
対話を進めていく

薬局の現場にて

状況が許す限り

対話を心掛けているつもりだ

言葉をどういった意味合いで
使っているのか…
その背景には
その人の生き様や価値観が
反映されている

それを知りたいと思うのだが
それが表現される瞬間はそう多くない

何気なく生きていく中で
言葉の意味など問わなくても
日常は滞りなく進んでいく

そんなことを思いながら

今日もまた

読んだんだか読んでいないんだか
積んだんだか積んでいないんだか
といった本達の中から一冊紹介し
心の琴線に触れた一節を取り上げ
ゆるりと書き記していきたい

今回はこちらの本を読んでは独り言

ゆるりと読み進めている本書

フィルム付箋だらけにしながら
隙間時間で読んでいる

一昨日に投稿したばかりだが
前回に引き続き
道徳と倫理について
考えたことを
書いていきたいと思う

いつものように
引用する必要があるんだかないんだか
本来の引用の意味を考えては
自己ツッコミを入れつつ
noteの引用機能を用いて
引用させていただきたい

さて、倫理が具体的な状況に関わるということをさらに一歩進めて考えるならば、そこでは「できるかできないか」ということが問題になるということを意味します。この点に関しては、哲学者・倫理学者の古田徹也の議論を参照しましょう。古 田は、倫理と道徳の違いを、いくつかの観点から非常に分かりやすい表の形にまとめています(表1)。
表のうち、一番上の行は、先に確認した「道徳=普遍」「倫理=個別」に関するものです。「できるかできないか」に関わるのは、次の上から二つ目の行。道徳が、「困っている人がいたら助けるべきである」「嘘をつかず、どんなことも包み隠さず話すべきである」等、その人の能力や状況によらない正しさを示すとき、その「すべき」は、「すべきだができない」というジレンマが発生する可能性を前提にしていません。つまり、「すべき」が問答無用の「できる」を含意している。だからこそ、なすべきことをしなかった人は「なぜしなかったのか」と非難されることになります。
これに対し、倫理においては「すべき」とは別に「できるかどうか」という審級があります。「嘘をつくべきではないことは分かっている。でも真実を伝えることは彼女を傷つけることになるから、少なくとも今の私にはできない」。まさにこうした、「すべきだができない」状況に、人はしばしば陥ります。「すべきことができる」ならば、それは道徳でよいのです。けれども、それでは解決できないとき、逡巡しながら、人は自分なりの最善の行為を選ぼうとします。倫理が問題になるのは、この迷いにおいてです。

伊藤亜紗. 手の倫理. 講談社, 2020, 38p

医療従事者の端くれとして
14年ほど薬剤師として現場に立ち
その間さまざまな患者さんと出会ってきた

その中で「すべきだができない」状況に陥り
迷いながらも言葉を紡ぎ続けてきた

そんな記憶が蘇る

そうした経験を
学会などで出会う薬剤師仲間と話すと
「それは〇〇すべきだよ」と語り掛けられる

道徳的な物言いである

もちろん知った間柄
特に意味もなく
「それは〇〇すべきだよ」と
言葉を発しているのだろう

しかし

個人的に思うのは
医療という強い文脈の中で
医療従事者は道徳に偏っているのではないか

本書を読んでそう感じた次第である

道徳だけでなく
倫理も考えていく必要が
あるのではなかろうか

そんな世迷言が頭に浮かぶ

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