『世界への信頼と希望、そして愛』を読んでは独り言・其の十
毎日
薬局の現場で
患者さんと対峙する
何を声かけようか
どんな声質でいこうか
どんな声量でいこうか
あれやこれや考えて
お名前を呼びかけ
いざ話をすることになると
考えていたことを傍に置き
相手の目を見て
相手の話を聴き
相手の雰囲気を感じ取る
そのことに集中しているつもりである
そんな中
相手に対して
こちらが選ぶ言葉が
どのような影響をもたらすか
不安に思うことがある
ここまで言っていいものかと
心の重圧から
身動きできない様子の相手に
どんな言葉をかければ良いか
悩み彷徨いながら
言葉を紡ぎ出す
言葉が絞り出せないこともある
それもまた仕方がないことだと
自分に言い聞かせて
別の相手と対話を続けていく
果たして自分の言葉は
相手にどんな影響を与えたのか
たまに思い出すように
頭の中にひょっこりと現れては
花火の火薬が無くなるように
消えていき残る煙に思いを馳せる
今日もまた
読んだんだか読んでいないんだか
積んだんだか積んでいないんだか
といった本達の中から一冊紹介し
心の琴線に触れた一節を取り上げ
ゆるりと書き記していきたい
今回はこちらの本を読んでは独り言
本書を取り上げるのは
十度目である
ゆっくり
ゆっくりと
亀が歩むように
読み進めている
読み進めては
別の本に浮気し
また思い出したかのように
手に取っては読み進める
間を空けると
以前に読んだ部分が
すっかり記憶から
抜け落ちていることもあるが
確認しながら読み進める
そんな本書から
いつものように
引用する必要があるんだかないんだか
本来の引用の意味を考えつつ
自己ツッコミを入れながら
noteの引用機能を用いて
引用させていただきたい
患者さんに何と声をかけたら良いのか
そこに迷いが生じるのは
自らの行為の予測不可能性を
恐れているからだと思うが
それはもしかしたら
自己保身の意味合いが
含まれているのかもしれない
私の言葉のせいで
患者さんに何かがあったら
どうしようかと
そこに責任を持てないことが
迷いを生じさせ
悩みを生じさせるのかもしれない
人間事象の関係の網の目に
自らの言動が投げ込まれ
編み込まれるのを恐れているのかもしれない
そんなことを考えさせられた
一方で
予測不可能性
不可逆性
無際限性
複数性
こうした性質があるのであれば
そこまで気にしたところで仕方がない
そう思えてくるから不思議である
相手への影響を全く気にしないのは
どうかと思うが
気にしすぎて何も行動ができないとすれば
それは生きることを放棄している
とも言えるのかもしれない
相手を気遣いすぎるあまり
自分を蔑ろにしてしまうと
私の経験上そのような状態になってしまうことが多い
自分で自分の生を認識すること
私が生きていてもいいのだと
自然に思えること
そうした自らへのケアができるといいのかもしれない
そのために
私が心がけているのは何か
会話の中の主語を意識することかもしれない
無意識に発する言葉で
迷子になってしまう主語
それは相手の語る言葉の主語であったり
自分が発する言葉の主語であったり
それを意識することが
主体が生きていてもいいのだと
思えることに繋がっている気がするのである
こんなポンコツな私ですが、もしよろしければサポートいただけると至極感激でございます😊 今後、さまざまなコンテンツを発信していきたいと思っておりますので、何卒よろしくお願いいたします🥺