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『絶滅できない動物たち』を読んでは独り言

医療とは何だろうか

以前のnote記事にも書いた気もするが
過去の駄文を読み返すこともなく
もはや150個を超えていることもあり
また同じようなことを書いている気もする

それだけ

私にとっては
根源的かつ本質的な問いであり
何度も考えさせられては
知識不足なのか単に思考力がないのか
堂々巡りになって終わる

この問いに向き合うため

医療に関する本を購入しては
積みまくっている

まだ読まれることもなく
鎮座し続ける本を尻目に
ふと気がつくと
この問いに辿り着く

それはおそらく

しがない医療従事者の私が
仕事上提供している医療に
自信が持てないことが
背景としてあるのだと思う

私は医療従事者なのか

私は薬剤師なのか

こうした問いに
悩まされ続けている
と言っても過言ではない

薬剤師法には
薬剤師の定義が記載されている

『国民の健康な生活を確保する』

その為に薬剤師は存在するという訳だ

それはわかっていても
そもそも健康とは何か
そもそも健康を求めていない国民には
どうすればいいのか
といった問いがまた浮かんでくる

とは言いつつも

もちろん仕事として
精一杯のことはしているつもりでもあるが
悩みは尽きなかったりもする

・・・・・・

今日もまた

読んだんだか読んでいないんだか
積んだんだか積んでいないんだか
といった本達の中から一冊紹介し
心の琴線に触れた一節を取り上げ
ゆるりと書き記していきたい

今回はこちらの本を読んでは独り言

最初は

図書館で借りてきて
音声配信番組である
本を読んでは独り言Radioにて
語らせていただいた

その後

本書を購入し
今ゆるりと読み進めている

といっても
この記事を書いている時点で
『はじめに』を読み終えただけなのだが…

前述のように本書を題材に音声配信し
その配信をいつものようにXでポストした結果
なんと翻訳者の方から返信いただいた

何とも嬉しい限りである

そんな嬉しさもあり
他の本をすっ飛ばして
購入したばかりの本書を
読み進めようと決意した訳である

何とも浅はかな自分を見て
呆れることもあるが
『はじめに』を読んだだけで
色々と考えさせられたのであった

そんな本書の中から

いつものように
引用する必要があるんだかないんだか
本来の引用の意味を考えては
自己ツッコミを入れつつ
noteの引用機能を用いて
引用させていただきたい

子どもだった1990年代、わたしは世界がもうすぐ破滅する、と何度も思った。
通っていたカリフォルニア州の公立校では、干ばつのときは歯みがきに水をできるだけ使わないようにと教わった。熱帯雨林の焼失や酸性雨といった環境危機のニュースも目にした。
だが、世界は「6度目の大絶滅」の真っ只中という意見ほど、想像の中で気味悪く迫ってくるものはなかった。この表現は、1990年代初めにケニアの著名な古人類学者、リチャード・リーキーが、種が消滅してゆく現象を説明するのに用いたものだ。そして「6度目の大絶滅」というコンセプトが社会全体に受け入れられると、メディアの報道や環境保護運動は重視され、切実さを帯びるようになった。
私が中学生になるころには、イギリスの自然保護主義者のノーマン・マイヤーズなどの予測が耳に入ってきた。マイヤーズの見込みでは、当時存在していた種の半分は21世紀のあいだに絶滅する。ハーバード大学の生物学者であるエドワード・O・ウィルソンは、毎年2万7000種が絶滅していると推定した。これらの数字を理解しようとした者で、途方に暮れないものはいない。子どもにしてみれば、1時間ごとに種が3つ消滅するなんて理解の範疇を超えている。こんなにたくさん消滅できるだけの種が地球上に存在していたなんて、わたしも知らなかった。とはいうものの、数値はしっかり頭に刷り込まれ、わたしはふたつの信念から種の運命を真剣に案じるようになった。
第一に、絶滅はよくないことだ。
第二に、絶滅から種を救うのはいいことだ。

M・R・オコナー 大下英津子. 絶滅できない動物たち. ダイヤモンド社, 2018, ⅰp

『はじめに』の冒頭を
引用させていただいた

この後

引用箇所の最後に書かれた
ふたつの信念が
ある意味否定されていく過程が
綴られていく

そんな冒頭の文章を
私がなぜ引用させていただいたかと言えば
こうした信念が医療にも宿っていると
認識しているからだ

医療は良いものだ

医療的な介入は良いものだ

医療的な干渉は良いものだ

医療的な関わりにより患者を救うことは良いものだ

こうした無意識で無自覚的な意識が
医療の背中にべっとりと張り付いている

そんな気がするのは私だけであろうか

無意識で無自覚的な意識を持つのは
自らの行為を正当化するための
方便なのではないか

そんなことを考えてしまう私は
懐疑的で悲観的な人間なのだろうか

そんな自己嫌悪に陥りそうにもなる

まぁこうして書いておきながら
普段の私はあまりにもチャランポランで
楽観的すぎる気もするので
文章化することでバランスを保っている
ということなのかもしれない

兎にも角にも

こうした医療への認識があるからこそ
おそらく私は冒頭の問いを持ち続けながら
悩みが尽きないのだろうなぁとも感じた次第である

自分の中で

医療について探究し続けていきたい

そう決意した読書体験でもあった

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