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絵本『おばあちゃんのにわ』を読んでは独り言

医療とは何なのだろう

そんなことを
考えさせられる

私自身しがない医療従事者の1人として
薬局の現場に立つ中で
この問いを何回も突きつけられた

そして

息子の障害によって
患者家族の立場になり
また医療について考えさせられる

親として

息子の将来や未来を考える際に
どうやったらより良く生きられるのか
考えない日はない

どうすれば
今よりも体が動くようになるのか

どうすれば
少しでも言葉が話せるようになるのか

どうすれば…

そんなことを考えながら
ふと振り返ると
その前提として
障害の無い子供と
無意識に比較していることに気付く

体が動かなくたっていいじゃないか

言葉が話せなくてもいいじゃないか

とは

なかなかならない

頭では理解できるのだ
だが心がついていかないとでも言おうか

息子の成長を期待している自分がいるが
息子の成長とは果たして何なのかと問うてみると
それは一般的に思い描く成長過程が
前提としてあると気付いたりもする

いやはや何とも難しい

冒頭の医療の問いに戻れば
患者家族の立場として
医療従事者から言われる言葉に絶望を覚えるときがある

それはまるで

期待するな
希望を持つな

と言わんばかりに
胸の内を抉られる

直接的に
そう言われたわけではない

おそらく

期待し過ぎないように
期待し過ぎた親が調子を崩さないよう
配慮してくれているのだと思う

とは言え

様々な感情が渦巻き
現れては消え
また現れては消え
相反する感情が同居することもある

機械でもあるまいし
なかなかうまくいかないのだ

医療とは何なのか

そう思い悩みながら

今日もまた

読んだんだか読んでいないんだか
積んだんだか積んでいないんだか
といった本達の中から一冊紹介し
心の琴線に触れた一節を取り上げ
ゆるりと書き記していきたい

今回はこちらの本を読んでは独り言

図書館で絵本の表紙を一目見て
『ぼくは川のように話す』の作者達の絵本だと
すぐにわかり手に取った

これは読みたい

その衝動の速さといったら
自分でも驚くほどだった

以前に

本を読んでは独り言noteにて
取り上げた『ぼくは川のように話す』

魅力的な作品であった為
図書館で借りてきた後
行きつけの本屋さんである
桑畑書店さんに注文した

たまに読み返す絵本だ

この絵本も購入したい
そんな衝動に駆られている

さてさて

いつものように
引用する必要があるんだかないんだか
引用の意味を考えては
自己ツッコミを入れつつ
noteの引用機能を用いて
引用させていただきたい

ぼくのおばあちゃんは、
大きな道のそばにある、
もとはニワトリ小屋だった家に、
すんでいる

カナダの詩人、ジョーダン・スコットの
祖母との思い出をもとにした絵本。
ポーランドからの移民で、
あまり英語がしゃべれないおばあちゃんと
「ぼく」は、身ぶりや手ぶりで、
そして、さわったり、笑ったりして、
いいたいことを伝えあいます。
言葉にたよらない二人の親密さを描く
シドニー・スミスの情感あふれる絵が、
懐かしい記憶を呼びさまして胸を打ちます。

ジョーダン・スコット シドニー・スミス 原田勝. おばあちゃんのにわ. 偕成社, 2023, カバー裏

表紙のカバー裏の
絵本の要約から
引用させていただいた

言葉に頼らない会話が
何とも心震わせる

私の息子とのやり取りも
言葉を介さなくても
何かしら伝え合っているのだと思う

少なくとも

私はそう感じている

息子はどう感じているのだろうか
それは永遠にわからない

たとえ

言葉を扱えるようになったとしても
胸の内に秘めた心の情動は
他の誰にもわからないのだ

そうは思いつつ

やっぱりどこかで
息子と言葉を介して
会話したい思ってしまう自分がいる

それは

もしかしたらエゴなのかもしれないと
薄々わかってはいるものの
どうしてもその希望や期待に
すがりついてしまいたくもなるのだ

希望を抱いてはいけないのですか?

期待を持ってはいけないのですか?

そんな問いを持ちつつも
現実と折り合いをつけながら
生きていくしかないとも思っている

複雑で
ときに
矛盾する感情を
抱きながら

生きていきたい

そう思っている

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