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『手の倫理』を読んでは独り言・其の五

私は服薬指導という言葉に
何とも言い難い違和感を覚えている

と言いつつも
日頃薬局で働くしがない薬剤師の1人として
この言葉を使うことはある

されど

この言葉を使う度に
前と後ろを反対にしてTシャツを着た時のような
居心地の悪さを感じるのである

そもそも服薬指導とは何だろうか

服薬指導の定義は
薬剤師法の第25条の2にあるとされている

薬剤師法第25条の2
薬剤師は、調剤した薬剤の適正な使用のため、販売または授与の目的で調剤したときは、患者または現にその看護に当たっている者に対し、必要な情報を提供し、及び必要な薬学的知見に基づく指導を行わなければならない

e-Gov法令検索 薬剤師法. https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=335AC0000000146

法規の文言は仕方ないものなのかもしれないが
おそらく私は『提供』とか『指導』という言葉に
一方向的なニュアンスを感じ取り
そこに相手の意図や意志が挟めなそうなイメージを
感じ取ってしまうのだと思う

もちろん

そんなイメージを感じ取ったからといって
実際の薬局での会話が一方向的でなければならない
という訳ではない

実際に相手の意識を感じ取りながら
会話や対話を心がけているつもりである

しかし

言葉の引力というものもあって
何気なく『服薬指導』という言葉を使うことで
『指導』しなければならないという
強い雰囲気に引っ張られてしまい
そうした自分にならなければならないという
目に見えない強制力のようなものを感じてしまうのだ

というわけで

私は服薬指導という言葉が
いまいち好きになれないのである

そんな独白をしつつも

今日もまた

読んだんだか読んでいないんだか
積んだんだか積んでいないんだか
といった本達の中から一冊紹介し
心の琴線に触れた一節を取り上げ
ゆるりと書き記していきたい

今回はこちらの本を読んでは独り言

ゆるりゆるりと
他の本に目移りしながらも
読み進めている本書

本書に散りばめられた言葉から
私が過去他の本から得てきた思考と
出逢い直している感覚になる

私の中の価値観が
彩られていく感覚とでも言おうか

全てを理解できている訳ではないが
少しずつ私の地肉となるように
理解を進めていきたいと思っている

さてさて

いつものように
引用する必要があるんだかないんだか
本来の引用の定義を考えては
自己ツッコミを入れつつ
noteの引用機能を用いて
引用させていただきたい

障害者運動の文脈でいえば、これは当事者の自己決定に関わることです。健常者が善意によって何かを伝えようとすればするほど、コミュニケーションが伝達的になり、それが相手の「こうしたい」という思いを奪ってしまうことになる。もちろん危険が迫っている場合には問答無用でそのことを伝達すべきですが、かといってつねに先回りして伝えていたら、それは相手の挑戦の芽を摘むことになってしまうでしょう。伝達モードは「安全」と相性がいいですが、それでは「信頼」は育まれません。
そこで重要になるのが「生成モード」です。伝達が支配しがちな関係に、いかに「その場で生み出していく」という生成の要素を取り込んでいくか。仮に「してあげる」とか「教えてあげる」のつもりで始めた関係のなかにも、実は「ライブ感」があるはずです。このライブ感をいかに拾い、その可能性を引き出して、双方向的な関係に変えていくのか。スローガン風に言うなら、考えなければならないことは「伝達から生成へ」です。

伊藤亜紗. 手の倫理. 講談社, 2020, 128p

指導という言葉に
伝達というイメージを持ってしまうのは
私だけであろうか

もちろん

患者さんと薬剤師の関係性の中で
伝達の場面は多くなる

伝達しなければならないことも多いだろう

私が違和感を感じてしまうのは
おそらく相手の自己決定が蔑ろにされがちな状況に
指導という言葉が与えている影響を
考えているからなのだろう

相手を1人の人間として尊重したい

その想いが

相手の自己決定を蔑ろにしたくない

という考えに至っているのだと
改めて言語化する機会を頂いた気がした

こうして本を読んでは
自分の言葉の輪郭を自覚する

改めて読書の素晴らしさを感じつつ
こうして読書ができる喜びを噛み締めたい

そう思っている

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