『手の倫理』を読んでは独り言・其の五
私は服薬指導という言葉に
何とも言い難い違和感を覚えている
と言いつつも
日頃薬局で働くしがない薬剤師の1人として
この言葉を使うことはある
されど
この言葉を使う度に
前と後ろを反対にしてTシャツを着た時のような
居心地の悪さを感じるのである
そもそも服薬指導とは何だろうか
服薬指導の定義は
薬剤師法の第25条の2にあるとされている
法規の文言は仕方ないものなのかもしれないが
おそらく私は『提供』とか『指導』という言葉に
一方向的なニュアンスを感じ取り
そこに相手の意図や意志が挟めなそうなイメージを
感じ取ってしまうのだと思う
もちろん
そんなイメージを感じ取ったからといって
実際の薬局での会話が一方向的でなければならない
という訳ではない
実際に相手の意識を感じ取りながら
会話や対話を心がけているつもりである
しかし
言葉の引力というものもあって
何気なく『服薬指導』という言葉を使うことで
『指導』しなければならないという
強い雰囲気に引っ張られてしまい
そうした自分にならなければならないという
目に見えない強制力のようなものを感じてしまうのだ
というわけで
私は服薬指導という言葉が
いまいち好きになれないのである
そんな独白をしつつも
今日もまた
読んだんだか読んでいないんだか
積んだんだか積んでいないんだか
といった本達の中から一冊紹介し
心の琴線に触れた一節を取り上げ
ゆるりと書き記していきたい
今回はこちらの本を読んでは独り言
ゆるりゆるりと
他の本に目移りしながらも
読み進めている本書
本書に散りばめられた言葉から
私が過去他の本から得てきた思考と
出逢い直している感覚になる
私の中の価値観が
彩られていく感覚とでも言おうか
全てを理解できている訳ではないが
少しずつ私の地肉となるように
理解を進めていきたいと思っている
さてさて
いつものように
引用する必要があるんだかないんだか
本来の引用の定義を考えては
自己ツッコミを入れつつ
noteの引用機能を用いて
引用させていただきたい
指導という言葉に
伝達というイメージを持ってしまうのは
私だけであろうか
もちろん
患者さんと薬剤師の関係性の中で
伝達の場面は多くなる
伝達しなければならないことも多いだろう
私が違和感を感じてしまうのは
おそらく相手の自己決定が蔑ろにされがちな状況に
指導という言葉が与えている影響を
考えているからなのだろう
相手を1人の人間として尊重したい
その想いが
相手の自己決定を蔑ろにしたくない
という考えに至っているのだと
改めて言語化する機会を頂いた気がした
こうして本を読んでは
自分の言葉の輪郭を自覚する
改めて読書の素晴らしさを感じつつ
こうして読書ができる喜びを噛み締めたい
そう思っている
こんなポンコツな私ですが、もしよろしければサポートいただけると至極感激でございます😊 今後、さまざまなコンテンツを発信していきたいと思っておりますので、何卒よろしくお願いいたします🥺