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絵本『ぼくはだれだろう』を読んでは独り言

私は誰なのだろうか

以前にも
noteで書いたことがある
『私は何者なのか』という問いに
通じるものがある

何者かになりたい

そんな根源的な欲求は
誰もが一度は持つものかもしれない

「なりたい」という欲求よりも
そもそも「何者なのか」という問いは
私自身の存在を根源的に問うものでもある

未来に開かれているというよりは
過去に目を向ける試みと言えようか

今この瞬間も過去になっていることを考えると
既に何者かになっていることを考える営みは
過去に目を向けることでしか到達し得ないのかもしれない

そんなことを考えつつ

今日もまた

読んだんだか読んでいないんだか
積んだんだか積んでいないんだか
といった本達の中から一冊紹介し
心の琴線に触れた一節を取り上げ
ゆるりと書き記していきたい

今回はこちらの本を読んでは独り言

図書館で借りてきた絵本

絵本ナビにて検索したが見つからず
(見つけ方が悪かったのかもしれないが)
本書の出版社である
童話屋のHPを探しても見つからず
くもんが運営する子育て情報サイトから
リンクを貼らせていただいた

卵から生まれたばかりの赤ちゃん

そこから浮かぶのは
「ぼくは誰だろう?」
という問い

表紙やタイトルから
たくさんの妄想が浮かんでくる

私の頭の中に
問いかけが染み渡ってくる感じ
とでも言おうか

何にせよ

シンプルな絵本ながら
色々と考えさせられたのであった

さてさて

いつものように
引用する必要があるんだかないんだか
引用の定義を考えては
自己ツッコミを入れつつ
noteの引用機能を用いて
引用させていただきたい

ぼく うまれたよ。
でも かあさんが いない。
ぼくは だれだか わかんない。
(中略)
「ぼうや!」
と だれかが よびました。
「ここに いたのね!」
ふりむくと
でっかい ぼくが
いるではありませんか。

ゲルバズ・フィン トニー・ロス みらいなな. ぼくはだれだろう. 童話屋, 2013, 2p

私は誰なのだろうか

それは種への問いではなく
自分の存在を問うものとしての
「誰なのだろうか?」

そうした問いかけは
自分の内部に向けられ
思考の海を深く深く潜ることに
繋がっていくことが多い気がする

しかし

私は誰なのか?
という問いかけは
私1人では解決しないものなのかもしれない

この絵本を読んで
そう思わされた

他者との対話の中で
相手から知らされるものかもしれない
あるいは
相手の価値観に触れる中で
相対化される自分の価値観の中に
問いの答えが見つかることもあるかもしれない

そんなことを考えさせられた絵本体験であった

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