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絵本『ソーニャのめんどり』を読んでは独り言

我が家には
カブトムシがいる

これを書いている現在

幼虫が17匹ほどいるのだ

昨年もカブトムシを
卵から幼虫そして成虫へと
無事に見届けていった

亡くなった成虫を土に還す

その際には
娘と一緒に手を合わせる

娘はケロッとしている

元々は

娘が飼いたいと言って
飼い始めたカブトムシ

世話の大半は
親である私がしているのだが
私も幼かった頃はそうだった

私の実家には犬がいた

捨て犬を拾い
我が家に迎え入れた

散歩をしたり
糞を片付けたり
餌をやったり

そうした世話は
ほとんど親がやっていた

飼い犬が亡くなった際
私は泣いた

居なくなった寂しさや悲しみだけでなく
自分が何もしていなかったことへの後ろめたさも
あったのだと思う

こうして書きながら
また別のことを思い出す

あれは私が小学生の頃

芋虫を拾って
虫籠で育てていた

自分なりに世話をしていたつもりだった

その芋虫が
蛹になることもなく
亡くなってしまった

そのときにも
私は号泣した

それは

成虫になるのを見られなかったからなのか
自分の無力さに打ちひしがれたのか

様々な感情が入り混じっていたのかもしれない

そんなことを思い出しつつ
娘を見ていると
不思議なほどに
命が亡くなる際に
泣くことはしないのだ

もちろん

泣いていないからといって
その胸の内に悲しみがあるかないかは
外からは全くわからないし
わからなくていいとも思う

しかし

自分の幼き頃と比べてしまう

そんなことを考えては

今日もまた

読んだんだか読んでいないんだか
積んだんだか積んでいないんだか
といった本達の中から一冊紹介し
心の琴線に触れた一節を取り上げ
ゆるりと書き記していきたい

今回はこちらの本を読んでは独り言

いつものように
直感的に図書館で
選んできた絵本である

三羽のひよこを
主人公のソーニャは
大切に育てあげ
三羽はそれぞれ
雌鳥に成長する

そんなある日
雌鳥の一羽が
狐に連れ去られてしまう

悲しみや
恐ろしさ

様々な感情を抱くソーニャに
父親は語る

狐にも狐の事情があるのかもしれないよと

命の尊さや
命の大切さに
思いを馳せる

そんな素敵な絵本である

さてさて

いつものように
引用する必要があるんだかないんだか
引用の意味をを考えては
自己ツッコミを入れつつ
noteの引用機能を用いて
引用させていただきたい

つぎの あさ、ソーニャは にわの すみに
きれいな いしを ならべて、
めんどりの おはかを つくりました。
それから みんなで
めんどりの おもいでを はなしました。
はいいろの はねが つやつやしていたこと。
みみずが だいすきだったこと。
ソーニャへの ごほうびの たまごを
さいしょに うんでくれたこと。
「かわいい めんどりだったわね」
おかあさんが やさしく いいました。
ソーニャの むねは、しめつけられるようでした。
けれども なぜか、めんどりのことを おもうたびに、
もりの おくで げんきに はねまわっている
こぎつねたちの すがたが おもいうかぶのでした。

フィービー・ウォール なかがわちひろ. ソーニャのめんどり. くもん出版, 2016, 24p

これを書いている現在

娘の誕生日の前なのだが
娘はプレゼントにメダカを
リクエストしている

本当は

ひよこが飼いたいと
言っていたのだが

賃貸物件で
鳥を飼うのは難しく
カブトムシもまだご健在なので
娘と話し合いメダカに落ち着いたのだった

生き物に興味関心のある娘

その娘とのやりとりの中で
命の大切さを感じてもらいたい

そんな親のエゴが見え隠れする中

娘は娘なりに
何かを感じ取り
何かを思うのだろう

それは私には見えない

だけど間違いなく
娘は娘なりに
今を生きている

それでいいのだ

そう自分に言い聞かせた

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