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絵本『ゆりかごになりたい、とヤナギは言った』を読んでは独り言

まだ幼き頃

将来は何になりたいか?
というお決まりの言葉に
胸をときめかせながら

あれやこれや妄想していた

やがて大人になることが
現実味を帯びてくると
その言葉は呪いのように
付き纏っていった

将来は何になりたいのか?

そもそも何になりたいのか…
何になるといいんだっけ…
あの人はあぁなっているけど自分は…

あれやこれや考えては
心が蝕まれていった…

希望よりも
期待よりも
不安が大きくなる

そんな自分の過去を思い出す

今日もまた

読んだんだか読んでいないんだか
積んだんだか積んでいないんだか
といった本達の中から一冊紹介し
心の琴線に触れた一節を取り上げ
ゆるりと書き記していきたい

今回はこちらの本を読んでは独り言

図書館で借りてきた絵本

いつも直感的に選んでいるが
この絵本もまた色々なことを
考えさせられる

余白の多さが
絵本の醍醐味だ

この絵本では
木々が会話をしている

木々の特性に合わせて
様々に加工される木々

木材の特性を踏まえながら
会話は展開されていく

さてさて

いつものように
引用する必要があるんだかないんだか
引用の意味を考えては
自己ツッコミを入れつつ
noteの引用機能を用いて
引用させていただきたい

「カエデもバイオリンになりたい。なんならトウヒ、いっしょにどう?」
「いいね。トウヒがおもての板、カエデはうらの板ってことで」

カエデはしばらくかんがえる。
「そのはんたいは、あり?」
「なし」
「じゃ、それでもいいか。シダレヤナギは?」

「なんにもならない。シダレヤナギは朽ちる」

「そんなのまっぴらごめんだね!」
トネリコたちが声をそろえた。
「トネリコは家のほねぐみになる。コウモリたちもつれていくよ。
 伐採されたら、ねるところにこまるだろうし」

「伐採?」
小さなトウヒがたずねた。「なにそれ?」
「木を切りたおすこと」シダレヤナギがこたえる。
「ふうん・・・・・・トウヒはね、クリスマスツリーになれるといいな。
 いますぐじゃなくて、大きくなったら。
 ねえ、トチノキは? トチノキも朽ちる?」

「いや、トチノキはまたトチノキになる、それだけ」
トチノキはそう言って、まるい実をいくつかおとす。
とげのある皮がはじけて種がとびだし、
おち葉のじゅうたんのほうへころがっていった。

やがて、木こりがやってきた。
木こりはまず、ナラとブナを
そのつぎにカバノキとポプラとトネリコを
さいごにヤナギとトウヒとカエデとトチノキを切りたおした。
シダレヤナギには手をつけなかった、年をとりすぎていたから。
小さなトウヒもそのままにした、まだ小さすぎたから。

「さて、朽ちるか」
木こりがいってしまうと、シダレヤナギがつぶやいた。
シダレヤナギの葉はおち、枝はおれ、皮もはがれていった。
そして、カビやキノコがそだちはじめた。
やわらかくなったところにテントウムシの幼虫がはいりこみ、
ハエがたまごをうみつける。
アカハネムシやカミキリムシが、幹をすこしずつかじりとっていく。

小さなトウヒはそれをみて
「たべられてる!」と声をあげた。
シダレヤナギがうなずく。「朽ちるっていうのはこういうこと」
「そうか、わかった」トウヒは言った。
「みんな、なにかになるんだね。ナラはたんすになるし、ポプラは木ぐつになる。
 シダレヤナギは虫のおいしいえさになる」

ベッテ・ウェステラ ヘンリエッテ・ブーレンダンス 塩崎香織. ゆりかごになりたい、とヤナギは言った. 化学同人, 2023, 16p

長く長く引用させていただいた

こんなに長く引用する必要があるのかと
お叱りを受けるかもしれないが
この文章から感じ取る何かを
記憶に留めておきたい気持ちが勝ってしまった

どうかお許しいただきたい

シダレヤナギは
自分の死期を悟っていたのかもしれない

他の木が朽ちるのを過去に見て
自分も同じように誰かの何かになる
そんなことを思っていたのかもしれない

将来何になりたいかと言われると
その『何』に引っ張られる

思考が『何』に引っ張られ
思考は囚われていく

たとえ『何』になろうとも
誰かの何かになっている

全ては繋がっている

そう思えれば楽なのだろうが
それはそれで年月や経験を要するのかもしれない

生きてさえいれば
ただ居ることさえできれば
それだけでいいのではないかと思ってしまうが
それもまた私の経験がそう言わせているのだろう

素敵な絵本との出会いに感謝である

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