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【Vol.10】脱社畜して大手企業を去り、マイルドヤンキーライフを送る私の考え

いきなりですが、皆さんは地元が好きですか?

私はずっと地元が嫌いでした。

でもいろいろあって今は地元に住んでいます。

●自己紹介


申し遅れました。ヒデと申します。地元は千葉県柏市です。

私は子供の頃から何もない地元を早く飛び出して東京に行き、ひたすらにキラキラした湾岸エリアに住んで、リビングから夜景が一望できるような部屋に住みたいと、ずっとそう思っていました。

高校時代から毎日常磐線に乗って東京の学校に通い、就職し大手企業に勤め、気づけば社畜のように組織の無数の歯車の一つと化した私。

あんなに憧れた東京という街は、実際は息苦しく、狭く、逃げ場のない迷宮でした。

夢を抱き自らの意思で東京に出て、東京という街に押し潰されそうになっていた私はいま、柏の中古マンションで妻と子供2人の家族4人で、こぢんまりと暮らしています。

妻の出身も柏で、お互いの実家も市内にあります。

「マイルドヤンキー」というほどガチガチの田舎者じゃないですが、程よい郊外のベッドタウンで育ち、東京に出たが子供が生まれるパラダイムシフトでベッドタウンにUターンし、リモートワークをしながらそのエリアに根ざして暮らす。

私は自分のような人たちを勝手に「マイルドヤンキー2.0」と呼んでいます。

東京に通勤可能なベッドタウンに住みながら、その地域をほとんど出ない生活スタイルの人って、リモートワークが市民権を得たいまの時代、かなり多くなったと思います。

我が家は、平日はリモートワークで仕事をし、休日は柏の葉公園に行くか、どちらかの実家に行くか、地元の仲の良い友人家族と家族ぐるみで遊ぶか、新三郷のCOSTCO, IKEA, ららぽーとに行くか、みたいな感じで刺激的な生活ではないですが、ゆるゆる楽しく生活しています。

都心まで普通列車で30分ほど。それでも、もう滅多に常磐線には乗りません。

あんなに憧れた東京。就職から10年あまりたち、今では行きたいとすら思わなくなりました。

「柏なんてクソ喰らえ」

「千葉なんてクソ喰らえ」

そう心の中で唱えていた私は、いまでは「東京なんてクソ喰らえ」とすら思っています。

弱冠アラサーにして、なぜそこまで目まぐるしく価値観が変わったのか。

今回は、同僚で仕事の話も家族の話も深く出来る貴重な友人である歩兵君から、私が社畜思考からマイルドヤンキー思考に変わった経緯と、私が思うマイルドヤンキー論を語ってほしいとお願いされたので、熱く書いて行こうと思います。

今の生活に不満を抱いている人、何かを変えたいと思っている人、マイルドヤンキーライフに興味がある人、リモートワークの仕事に興味がある人、ぜひ読んでみてください。

●地元を出る決意

柏って言うと、「治安悪そう」って思い人が一定数いるかと思います。いまでこそ市内の北の方はつくばエクスプレスが通って再開発が進み、駅前もだいぶ整備され、全体的に子育て世代が増えて大人しい街になりました。

では治安が良いのかというと、体感では「昔よりはだいぶ良くなった」が正解ですね。

私がちょうど中学生ぐらいの頃が最盛期でした。日が沈むと駅前には悪そうな兄ちゃんたちが悪そうな座り方でたむろし、親からは夜は一人で駅の方に行くなと言われていたぐらいです。

同じ中学の同級生は、駅前のゲーセンで高校生のヤンキーに絡まれてボコボコにされ、警察沙汰になったこともありました。まあとにかく、おっかなくて「マジでこの街終わってんな」と思っていました。

「かしわはやんきーがおおいからね」。

小学校低学年ですら、そんな会話をしていました。

そんな柏においてもうちの近所はわりと良い感じの人が多く、マンションで隣に住んでいた家族のお兄さんは当時、慶応義塾大に通っていました。そのお兄さんは品が良く、僕に三田のうまいラーメン屋とか、かっこいいレンガ造りのキャンパスの写真を見せては「東京はいいぞ」と言ってくれました。

いつしか僕は、この人みたいに東京に出て洗練されたファッションで大学に通うということが目標になっていました。

そんな私が中3のとき、自分の中で柏を出る決心が固まる大きな出来事がありました。サッカー部の練習帰り、中学の近くの公園で隣の高校に通うヤンキーに絡まれました。

ケンカっぱやかった私ともう一人のサッカー部の同級生でそれを買いましたが、相手が3人いてボコボコにされました(笑)

朦朧とする意識の中、相手の一人が「オレ柏じゃ有名だから、覚えとけよ」と吐き捨てて消えていきました。一生忘れない醜い中途半端なモヒカン頭でした。

そのとき私は思いました。「柏ごときでイキってんじゃねぇよ」と。

ああいうやつに限って松戸とか流山まで行かず、柏にこもって弱いものいじめに走る。そんな井の中の蛙で中途半端なやつらしかいないこの街がますます嫌いになりました。

そして日がすっかりくれた公園の片隅で立ち上がり、もうすでに見えなくなったヤンキーめがけてボソッと言いました。

「こんな街、出てってやるよ」

あの日、僕の中の何かがプツンと切れました。

そして翌年、それまで偏差値50程だった私は死ぬ気で勉強をし、都心にキャンパスがある私大の附属高校に進学しました。

●東京で謳歌した青春

高校時代はとにかく楽しかったです。サッカー部に所属し、入学後3ヶ月で3人の女の子から告られ、いきなり「みんな可愛いし東京ってすげぇ」となっていました。

学校は男女共学で女子は最新のトレンドを気にしたファッションを纏い、男子は髪をツーブロックにしたり、マッシュにしたりと、とにかく制服の着方ひとつとっても全てが洗練されて見えました。

案の定、高校3年間はたいして勉強せず、振り返っても部活と彼女とデートをしか記憶がありません。

そしてお決まりのようにエスカレーターでそのまま大学の適当な学部へ進学。大学では毎日サークル、酒、女、バイトという感じでもっぱら夜のファンタジスタと化していました。

サッカーサークルに入っていましたが、4年間の大学生活に至っては勉強はおろか球蹴りをした記憶すらほぼありません

サークルの先輩は渋谷のバーでアルバイトをしており、かっこいいなと思いそのバーで丸3年働きました。たまに芸能人もお忍びで来るような店で、やっぱ東京ってハンパないなと日々感じながら過ごしていました。

そして大学3年からは柏を飛び出し、恵比寿で一人暮らしをしていました。この頃は酒を朝まで浴びるように飲み、たくさんの女遊びをし、酒が残った身体で「だりー」と言いながら授業を受けるルーティーンがもはやかっこいいとすら感じていました。

女に溺れ、酒に溺れた最低で最高な青春時代。アラサーになって改めて当時を振り返るとめちゃくちゃ恥ずかしいですが、僕の東京生活はこうして明るい希望だけが見えていました。

そう、社会に出るまでは。

●社畜への輪舞

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