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【Vol.13】メーカーの何でも屋からPMOコンサルへ転職してわかったこと

皆さん初めまして。

栗林と申します。

これまでこの「俺たちの転職物語」を一読者として読ませていただいていましたが、「是非とも私の転職記を取り上げて欲しい」と考えて、twitterを通じて歩兵さんに連絡をし、記事を書く機会をいただきました。

Twitterもやってますのでnoteを読んで興味を持ってくれた方は是非フォローやコメントをお願い致します。

Twitterアカウント:ディアゴスティー兄

この記事を通して何を伝えたいのか。それは下記のツイートにもある様に、「給与は自分の能力や仕事内容ではなく、環境で変わる」という事です。

https://twitter.com/yakizakana009/status/1622630390174449664

今の仕事に一生懸命向き合っているが、年収や待遇に満足していない様な人にこそ読んでほしい内容だと思っています。

●メーカー一択だった就活時代

私は愛知県の出身で、中日ドラゴンズと名古屋グランパスの熱狂的ファンという典型的な名古屋人です。

父も祖父も、親族もトヨタかトヨタ関連の会社で働いていました。極端ですが、トヨタが全てだと思っていたし、自分も将来サラリーマンとして働くなら自動車関連の仕事なんだろうなと幼き頃から思っていました。

高校まではサッカー部に所属し、一時期はプロを目指すほどのレベルでやっていましたが、長い膝の怪我に悩まされ、その道を諦めました。目標を失い、ちょうど反抗期も重なって全てが嫌になり、一度愛知を出て外の世界を知ってみたいと思うようになりました。

その流れで高校卒業後は首都圏の国立大へ進学をしました。適当に入ったサッカーサークルでたまにサッカーをして、たまに酒飲んで、適当に経営学のゼミに入って、そんな感じいわゆる平均的な学生生活を送っていました。

人並みに勉強にもサークルにもバイトにも恋愛にも打ち込んでいたら、特に何も大きなイベントがないまま、あっという間に大学3年生の就活の時期になり、合同説明会が始まりました。

合同説明会などに参加して思ったのは、やはり自動車メーカーは学生に人気な業界だということでした。

中でもトヨタやその関連企業は「福利厚生が良い」「安定してる」などの理由で特に人気が高く、事業内容でも「彼らの仕事が日本を支えているのか」と誇りにすら感じました。

幼き頃に頭の中にぼんやりあった「僕もいつかはトヨタ系の会社で働くんだろうな」というフワッとした思いは、就活が始まってすぐの合同説明会を通して確実なものになっていきました。

そんな流れから就活はトヨタとトヨタ系の部品メーカーをメインに受けました。そして最終的に、比較的志望度が高かったトヨタ系の部品メーカーから内定をもらい、そこに入社することを決めました。

希望する会社に入れただけでなく、中でも行きたかったトヨタTier1で働くことができたこともあり、入社時は働くことへのモチベーションはとても高かったです。

●想像以上に地味だった新人時代

メーカーの新人時代といえばまず工場研修ですよね。

毎日同じような作業を永遠に繰り返して、研修開始から1週間後には「あれ、おれ働く会社間違えたかな」と少し思って心が折れそうになりました。

現場のおじさん達も強面で声の大きな人たちが多く、失礼ですが今まで交わって来たことのないカテゴリーの方々で最初はコミュニケーションをとるのも一苦労でした。

入社前に知り合いだったメーカー勤務の先輩に、工場研修で現場のおじさんたちから「本社から来たエリート」だと邪魔者扱いされてキツかった話を聞いていたので、最初から地を這うぐらい低姿勢で接していたら段々とおじさん達から「クリちゃんクリちゃん」とフランクに話しかけてくれるようになり、結果的に町の飲み屋に連れてってもらうほど気に入ってもらいました。

実際の日々の作業はまじで辛かったので記憶から抹消され、工場研修の思い出はビール飲んで焼き鳥を食ってたことぐらいしかもう覚えていません(笑)

研修後の配属では、特に希望がなく人事との面談で「どこでもいいです」と言っていたからか、売上や損益の分析、予算進捗・固定資産の管理、見積もり業務などを担当する内勤メインのいわゆる「事務屋」に配属となりました。

同期の多くは調達や営業の部署に配属をされ、それらの仕事に比べて業務が非常に地味でした。同期飲みで彼らの仕事の話を聞くと自分がいる世界はとても狭く感じ、早々に異動をしたいと考えるようになりました。

●焦りを感じ始めた若手時代

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