ねれでん

They said "breaking up is hard to do"

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最近の記事

精神的童貞の僕とイオン新座店の思い出

イオン新座店(サティ新座店)が2024年2月29日に閉店した。 私は小学生時代からずっとこの商圏に住んでいて、志木駅付近のショッピングモール群には思い入れがある 。 ららぽーと志木がなくなり、ダイエー志木がなくなり、カミヤプラザもなくなり、遂にサティもなくなるとのことで、見納めに行ってきた。 写真右、イオンの西側にはでかい立体駐車場(狭くて止めにくそうだったけど)があって、何年か前に土地の権利者と折り合いがつかず? 立体駐車場を閉めてしまった。 あの時にはもう内々には閉店

    • 平野綾の結婚とハルヒとらき☆すたが青春だった俺の死因

      「いやぁ、ねれでんは変わってないよなぁ」 年明けの三が日、僕は妻の儀実家に帰りたくないがために半ば強引に設定した、高校の同級生たち数人と居酒屋で飲んでいた。 「いやー、変わらないことが自分の売りみたいなもんですからね~」 とお道化て見せる。 30も過ぎると話すことなんてあるようでなくて、 「○○は今どこに住んでいて、こないだあった」だとか、 「あのかわいかった○○さんも今は子どもがいるらしい」 とかそんな話が中心である。 僕はこういう集まりがあるたびに、自分が昔好きだった人

      • 自分の仕事のはなし

        自分は小学校高学年ぐらいから現在に至るまで 「自分が不得意なことに対しては努力しないし、前向きにならない。その代わり、得意な事には全力を出す」 を是として生きてきて、それで結果を出して評価されてきた。 * 大学4年のときにオープンキャンパスのバイトがあって、教授の隣に座って受験生と保護者の質問になんでも答えます係をやったことがあった。 中堅私大のガチ文学部だったので、保護者からは 「子どもは文学やりたいって言ってるけど、親としては就職が心配」 って質問がやはりメインだっ

        • 僕と亡くなった祖母とさだまさし『償い』

          今朝、祖母が亡くなった。90年以上祖母は生きていた。 祖母には僕を含めて孫が9人と2人いた。(その2人は母の幼馴染の娘と、私の妻だ) 盆暮れ正月には映画『サマーウォーズ』のように祖母を囲んで一族が集まり、やいのやいのやるのが恒例であった。 祖母は四半世紀ぐらい前に祖父を亡くしていたが、母の妹夫婦と一緒に暮らしていたし、僕の家も20kmも離れておらず、しょっちゅう会いに行っていたので、寂しい、という言葉とは無縁の生き方だったと思う。 * 運転免許証を取るのに必要な費用

        精神的童貞の僕とイオン新座店の思い出

          精神的童貞の僕とThe Beatles『Norwegian wood』

          大学一年生の秋、REBBECA『フレンズ』の子とだめになった僕は、同じ語学のクラスの女の子が気になっていた。 その子は有体に言えば、大学デビューしてない地方の高校生みたいな感じの女の子で、どちらかといえば野暮ったい女の子だった。似たような雰囲気の子たちと一緒にいつも行動していた。 僕たちは文学部で、当然語学のクラスも非文学部よりも多かった。 会話の授業や作文の授業など、語学のクラスでは交流するタイミングも多かったので、僕はそのあたりをきっかけにその子とメルアドを交換し、連

          精神的童貞の僕とThe Beatles『Norwegian wood』

          もうそこにはない居酒屋の話

          大学生の頃によく行っていた居酒屋はもう潰れてしまって、跡地にはセブンイレブンかなんかが建っている。 そこで飲む酒はグラス一杯400円のなんとかサワーで、決しておいしいわけではない。酒を飲むより定食を食べた回数のほうが多かったかもしれない。 例えばなんだか妙に盛り上がったゼミの後、教授と一緒にゼミ仲間何人かと行ったり、 例えば部活でイベントが無事終わった後に打ち上げで行ったり。 そこには私を含め、あの大学で、あの学生街で4年間(またはそれ以上)の日々を過ごした、かつて学

          もうそこにはない居酒屋の話

          精神的童貞の僕とTHE BLUE HEARTS『キスしてほしい』

          僕の中学3年生の恋は100%の片想いだったのだが、僕はその女の子からメールが来るとブルーハーツの『キスしてほしい』の着メロが流れるように設定していた。 僕は自他共に認めるマメな男なので、着メロ・着うた文化が死に絶えるその瞬間まで、仲のいい友達ひとりひとりに着メロを振り分けていたのだ。 着メロ、懐かしい響きだ。 剣道部の部長をやっていた彼女もまた少し不思議な女の子で、クラスメイトからも不思議な子認定を受けていた女の子だった。 結局のところ、僕は彼女のうわべしかわからなかったの

          精神的童貞の僕とTHE BLUE HEARTS『キスしてほしい』

          ToHeart2 には戻れない

          高校一年生のときに仲良くなった友人に、『ToHeart2』を借りて、それはそれはハマった。 最初に攻略したルートは「十波由真」で、そういう思い入れもあって、彼女が一番好きだ。 とはいえ、一度しかやってないからどんな展開だか忘れてしまったけど、ビルだかタワーだかのガラス越しのシーンとか涙流しながらやっていた。 学級新聞に縦読みで「十波由真は俺の嫁」と入れて、高校の廊下に堂々と飾らせた覚えもある。 愛佳、このみ、タマ姉、UFOお姉さん、FF10ルールーの声の子ちゃんまでやっ

          ToHeart2 には戻れない

          村山由佳『おいしいコーヒーのいれ方』シリーズ完結で俺の青春もまた終わった

          『おいしいコーヒーのいれ方』(以下おいコー)は最終19巻の帯によるとだいたい550万部ぐらい売れているらしい。 そりゃそうだ、名作だから。 『おいコー』にどのタイミングで出会ったかは覚えてないんだけど、思い入れのある小説で、この小説は友達との思い出の中の一つのグッズとして名前を刻まれているだからだ。 この記事にも書いた友人と、そして友人のことが好きだったCさんにも『おいコー』を貸していた。 きっと彼らは少なくとも一回は共通の話で盛り上がっただろうから。 Cや友人以外

          村山由佳『おいしいコーヒーのいれ方』シリーズ完結で俺の青春もまた終わった

          精神的童貞の僕とREBECCA『フレンズ』

          「ねぇ、なんで体育祭来なかったんですか?」 「うーん、なんでですかねぇ」 高校三年生の晩秋、普段乗らない電車に揺られて30分ほど行ったところにある、彼女の最寄り駅。 僕らは駅で合流し、カラオケへ向かっていた。 女の子と二人きりでカラオケに行くなんて18年生きてて初めてだったし、彼女の地元に行くということもあり、妙な緊張感と期待感が腹の中でぐるぐるしていた。 駅前の雑居ビルに入っていたカラオケ。店員に更に奥に通される。まるでかくれがのような店の奥に。 彼女のことを話した

          精神的童貞の僕とREBECCA『フレンズ』

          『十四歳の母』を楽しみにしていた14歳の僕ら

          三浦春馬さんが亡くなった。 僕が彼の存在を認知したのは05年にやっていた『十四歳の母』。 当時、14歳の僕らの頭の中はセックスのことしかなかったといっても過言ではなかった。(まぁ、今も似たようなもんだけれど) そんな中、テレビで14歳の中学生が母になるドラマがやるというとんでもない情報が男子の中で駆け抜けた。 主演の志田未来といえば、『女王の教室』で主演を張ったかわいいあの子じゃないか、それが「母」になるなんて…… 僕と、僕と一緒にスケベなことばかり考えていた小林君

          『十四歳の母』を楽しみにしていた14歳の僕ら

          さらばゆりしーファンだった高校生の俺、暁に死す

          それは遅くても08年の初頭で、 アイマスのMAD、ほら、perfumeのMAD、 あれを見て「うぉ!このボブカットの子かわいい!」 「えっ、ToHeart2のこのみの声優さんなんだ!!」 これが僕と雪歩との運命的な出会いだったのだ。 僕の高校生活のオタク的活動といえば、「アイドルマスター」がメインで、 初めて買ったオタクCDも雪歩のMAだったし、(僕は『Kosmos,Cosmos』よりも『津軽海峡冬景色』が好きだった) その後のナムコ8bitも、貴音とコンビを組

          さらばゆりしーファンだった高校生の俺、暁に死す

          僕はスポーツが嫌い

          とにかくスポーツが好きじゃなかった。 幼稚園年長ぐらいから小学校を卒業するまで、走るのが好きな父親と一緒に親子マラソンに毎年連れてかれるのが本当に苦痛だった。泣きながら走っていた。 学校に上がれば、体育の時間、特に球技が嫌いだった。 多くの運動音痴がそうであるように、クラスを分けてゲームをやればどちらのチームのリーダーからも最後まで選ばれることなく常に余った人員であった。 その中でも中高のサッカーの時間が一番苦痛だった。 サッカーの、ボールさえあればとりあえずやれま

          僕はスポーツが嫌い

          精神的童貞の僕とHY『AM11:00』

          「僕にもね、彼女がいたんですよ」と彼は言った。「それも、中学生の時にね」 「中学生の時?」思わず僕は聞き返した。 「ええ、そうです。中学生の時。」彼はまるで自分に言い聞かせるかのように再び言った。 「中学生の時に彼氏彼女がいた人間こそ、本当にモテる人間だと思いませんか?」 「……」 「えぇ、おっしゃりたいことはわかります。中学生の彼氏彼女なんてのはしょせんは大人のマネゴトだってね」 「マネゴトでしょうね」僕は言った。 「まぁ、こんな偉そうに言いましたけど、彼女が

          精神的童貞の僕とHY『AM11:00』

          ありがとう小林先生

          僕の通っていた学校はなぜか時間割がAからCと、3つもあった。 今日はA、明日はC、明後日は不明。たぶんC。こんな風に。 固定された時間割がないので、その時間割や、持ち物や課題を書き留めるノートも配られていた。 見開き2ページで一週間が終わるようになっていて、毎日3行ほどの日記が書き込めるスペースがあり、右下には一週間の総まとめが書き込めるスペースがあった。 日記が書き込めるだけあって、そのノートを他の同級生たちがどのように使っていたのかはわからないのだけれど、私は制服

          ありがとう小林先生

          文庫サイズの日記「マイブック」今年で10冊目になりました。

          僕は中学1年生から読書記録をつけていて、高校2年生ぐらいから映画鑑賞記録をつけている。結構記録魔な人間だと思う。 しかし、日記自体は大学入ってからと、意外と遅いデビューだ。 大学2年生になる年から新潮文庫から出ている文庫サイズの日記帳マイブックをつけはじめ、今年で10冊目になった。 さて、どうして日記をつけることになったんだろうか。 確か、未来の自分に贈り物をしたい、という気持ちで始めたんだと思う。「あぁ、あの日ってこんな感じだったな」というのは、例え24時間のうちの

          文庫サイズの日記「マイブック」今年で10冊目になりました。