村山由佳『おいしいコーヒーのいれ方』シリーズ完結で俺の青春もまた終わった

『おいしいコーヒーのいれ方』(以下おいコー)は最終19巻の帯によるとだいたい550万部ぐらい売れているらしい。

そりゃそうだ、名作だから。

『おいコー』にどのタイミングで出会ったかは覚えてないんだけど、思い入れのある小説で、この小説は友達との思い出の中の一つのグッズとして名前を刻まれているだからだ。


この記事にも書いた友人と、そして友人のことが好きだったCさんにも『おいコー』を貸していた。

きっと彼らは少なくとも一回は共通の話で盛り上がっただろうから。

Cや友人以外にも、いろんな人に『おいコー』は貸していてた。

当然本を貸してほしい友人たちは「面白いの?」と尋ねてくるのだけれど、その時僕は決まって、

「僕はキュンってしすぎてベッドでジタバタしてたら柵に足ぶつけてすげえ痛い思いをしました。そのぐらい面白い」

とちょっと笑いを取って貸していた。

文庫本も1冊が200ページいくかいかないかぐらいだから、普段読書をあまりしない人たちにもとっつきやすかったと思う。


『おいコー』にまつわる思い出として、もう一つ、少し悲しいものがある。


同じクラスには一度もなることはなかったけれど、すごいモテていた同級生がいた。

その同級生も『おいコー』を読んでいたことを例の友人から聞かされ、僕は体育の時間(体育の時間は2クラス合同で行っていた)、校庭をぐるぐると走らされているときにそのその同級生に近づき、思い切って声をかけてみたのだった。

「あ、読んでるって友人から聴いたよ。アレ面白いよね」

と気さくに返事をしてくれて、作品に関して本当にわずかな時間だが少し話をできたことが嬉しかった。

しかし、友人とCさんと違って、僕と彼はこの本を通じて仲良くなるということはなかった。


その校庭走から10年近くたったとき、地元の友達と集まりでその彼の卒業後の話を聞いてぎょっとしてしまった。

なんでも高校を卒業した後、進学にも定職にも付かずに「ちょっと危なげ」な生活をしているというのだ。


僕はとても驚いた。あの彼が今そんなことになっているなんて。

僕らは同じ『おいコー』を読んで、ショーリとかれんの恋の行く末をお互いに気にしながら、あの日同じ校庭をぐるぐる走っていたはずなのに。


『おいコー』はまさしく僕の青春の1ページであった。作品を通じて僕は自分の妄想を膨らませ、誰かの恋路を舗装するためのセメントを運び、一瞬だけすれ違ったかつての同級生を忍ぶことができた。


毎年新刊が夏に出ていたから、そのたびに「去年の夏はこんなことあったな」なんて思い出すきっかけにもなった。


もう定点観測する一つの印も、来年以降は立てられなくなってしまった。

気がつけばもう30歳も手前だ。僕はまだまだ「中学生だったころ」の重力圏内から抜け出せないかもしれないけれど、

『おいコー』を定点として振り返ってきた青春についてはもう終いにしよう。



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