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平野綾の結婚とハルヒとらき☆すたが青春だった俺の死因



「いやぁ、ねれでんは変わってないよなぁ」
年明けの三が日、僕は妻の儀実家に帰りたくないがために半ば強引に設定した、高校の同級生たち数人と居酒屋で飲んでいた。
「いやー、変わらないことが自分の売りみたいなもんですからね~」
とお道化て見せる。
30も過ぎると話すことなんてあるようでなくて、
「○○は今どこに住んでいて、こないだあった」だとか、
「あのかわいかった○○さんも今は子どもがいるらしい」
とかそんな話が中心である。

僕はこういう集まりがあるたびに、自分が昔好きだった人が結婚してなければいいなぁ、と思いながら、
「わ~ ○○さんも結婚したのか~」とため息をついたりつかなかったりする。

野球でも「松坂世代」や「ハンカチ世代」というように、ビックネームの業界人と同時期に活躍した選手たちのことをそう呼ぶようだ。
当然、同時期にその世代の選手たちを応援していたファンもまた、「○○世代」の一員と呼ばれる資格があるだろう。

そうであるならば、僕らは「平野綾世代」と自身のオタク遍歴を語る上で名乗る資格があるのかもしれない。

07年度~09年度の3年間で高校生活を送った僕が通う学校は「図書館みたいな学校」であった。
その例え方が意味するものは若干人によって左右されるかもしれないが、僕は「落ち着いた文化系連中が輝ける学校」である、と定義したい。
なぜなら、その学校で僕は「アグレッシブなオタク」として、有名人だったからである。

「ハルヒダンス」は衝撃的だった。
秋葉原のホコ天で踊り、警察の登場で解散していく例の動画を見たことある人は多いと思う。そのほかにもフィリピンの刑務所か何かでなぜか大勢が踊っていたりと、「オタク発のムーブメントが世の中で現れた」
という衝撃。

中学生の時に学級文庫に置いてあった『電車男』には完全に乗り遅れていたが、
非運動部でありながらも目立ちたがり屋の自分にとって、高校生活における自己表現の一つとして、「オタク趣味」そして「ハルヒダンス」はそれを叶える完璧な存在だった。

EDダンス動画を.flvでDLし、携帯動画変換君でW42Hに合わせてリサイズし、自分の部屋でよく練習したのを覚えている。
僕はオタク界隈でも「ハルヒダンスを踊れるやつ」として生き、「よくわかんないけど面白いオタク」としてその後の高校生活を送ることとなった。

厳密に言えば、『ハルヒ』をリアタイで追いかけられたわけではなかったので、アーリーアダプターになれなかった僕は、
『らき☆すた』の主役が泉こなた(CV平野綾)であったことがとても嬉しかった。
ハルヒからの連続性(実際にはそんなものないようなものだ)と、1から約束された流行に乗っかれる、イノベイターになり得る自分。

『らき☆すた』が自分の中で最終的に跳ねなかったことを置いておいても、平野綾が持つ話題性が僕らを虜にしていたことは紛れもない事実だ。
「AYA STYLE」とやる夫のAAから始まり、例のスキャンダルまで、自身がオタクであり続けることと、その象徴の象徴である平野綾は自分の中では特別な存在だった。


24年1月3日。トイレにいると妻が「大変!」と僕を呼んだ。
平野綾、結婚。
平野綾はあのころのようなドル売りはとっくにしていないし、あの頃のように声優が結婚しても大騒ぎになることはとっくの昔になくなった、2024年。
お相手は、昔夢中になってみていたゴーゴーファイブのゴーブル、ナガレだった。(僕は長男なので、ナガレもショウもダイモンも呼び捨てだ)
これは素直に嬉しかった。

ニュースサイトを見ると、平野綾は36歳だった。
自分と4つしか違わなかった。
妻の兄妹にはもう子どもがいて、我々にはいない。
そんな理由で正月に義実家に行きたくなかった僕は、先月やっと32歳になった。


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