僕はスポーツが嫌い
とにかくスポーツが好きじゃなかった。
幼稚園年長ぐらいから小学校を卒業するまで、走るのが好きな父親と一緒に親子マラソンに毎年連れてかれるのが本当に苦痛だった。泣きながら走っていた。
学校に上がれば、体育の時間、特に球技が嫌いだった。
多くの運動音痴がそうであるように、クラスを分けてゲームをやればどちらのチームのリーダーからも最後まで選ばれることなく常に余った人員であった。
その中でも中高のサッカーの時間が一番苦痛だった。
サッカーの、ボールさえあればとりあえずやれます、みたいな手軽さが僕らを苦しめた。
サッカーが下手なことをサッカー部のやつになじられたこともあった。
(だから僕は元サッカー部です・社会人になってもフットサルやってます、みたいなアピールをしてくる人とはなるべく近づかないようにしている)
スポーツへの参加を強制させられる学生時代が終わってからしばらくすると、そんな僕にも変化があった。
それは、コミュニケーションツールとしてのスポーツの楽しみ方がなんとなくわかったのだ。
野球が好きな同期に球場に連れて行ってもらい、「一体となって応援する場の雰囲気」の楽しさを味合わせてもらった。
自治体の広報誌で募集をかけていた市民スポーツ講座に参加して、ちょっとマイナーなスポーツを色々な年代の人と一緒に体験した。
あの夏の甲子園の決勝戦、秋田VS大阪をドキドキしながらカーステレオで聴いた。
普段は一切見ることのないテレビ中継であの馴染みのなかったスポーツのチームが平昌で、調布で、「世界に挑んでいる!」と固唾をのんで見守った。
スポーツの楽しみ方には人それぞれ好みの距離があると思う。
上手な人だけで楽しみたい部員もいれば、みんなで楽しくやりたいおじちゃんおばちゃんもいるだろう。
僕はそういう、みんなに適正な距離を与えてくれるスポーツを応援してたい。
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